大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌地方裁判所 昭和42年(わ)460号 判決

主文

(一)  被告人池盛秀を罰金三万円に、被告人宮崎義一を罰金五万円に、被告人森弘を罰金五万円に、被告北海道炭礦汽船株式会社を罰金八万円にそれぞれ処する。

被告人池盛秀、同宮崎義一、同森弘において右罰金を完納することができないときは金一、〇〇〇円を一日として換算した期間その被告人を労役場に留置する。

訴訟費用のうち証人津田誠に支給した分は、被告人池盛秀、および被告会社の連帯負担とし、証人川内貞雄(第五二回公判分)、同森俊治に支給した分は、被告人宮崎義一、同森弘、ならびに被告会社の連帯負担とする。

(二)  業務上過失致死傷の訴因について、被告人宮崎義一、同和田秀雄はいずれも無罪。

理由

(罪となるべき事実)〈省略。ただし、① 鉱業法一九二条一号、六三条四項違反、② 鉱山保安法五七条三号、二八条違反〉

(業務上過失致死傷の訴因について無罪と判断した理由)

目次

第一  公訴事実と争点

一  公訴事実

二  争点

第二  推定爆源地である右二、六尺ロング払跡周辺の状況

一  右二、六尺ロング払跡とこれに関連する密閉などの位置関係について

二  本件爆発後の右二、六尺ロング払跡周辺の状況について

第三  右二、六尺ロング払跡内部の自然発火によるものかどうかについて

一  爆源地の推定について

1 爆風、爆炎の進行方向について

2 本件爆発のガス源について

(一) 払跡内

(二) 一〇尺層露出部

(1) 消極根拠

(2) 積極根拠

(3) ガス量

(三) 総合意見

3 着火源について

(一) 払跡内の自然発火

(二) アーチ枠折損

二  自然発火を発生させる漏風とその徴候

4 自然発火を促進させたという漏風の経路について

(一) 後向一〇尺ロングゲート方向

(二) 右二入気坑道方向

(三) 排気側経路

5 爆発前における右二、六尺ロング上添目抜のガス分析結果について

(一) 一酸化炭素の検出

(1) 一〇目抜の一酸化炭素

(2) 本向一〇尺上添目抜の一酸化炭素

(3) 九目抜の一酸化炭素

(二) 九目抜、八目抜の酸素等

(1) 漏風経路のもつ意味

(2) 漏風の始期、原因等

(三) 温度上昇の有無

(1) 八・九目抜の観測管内温度

(2) パイロメーターの温度

(四) 臭気

(1) 九目抜の臭気

(2) 平泉係員の感知した臭気

三  本件爆発後右二、六尺ロング払跡に生じた影響・変化

6 二月二五日の排気側目抜におけるガス状況などについて

(一) 一酸化炭素など

(1) 一目抜ないし六目抜の一酸化炭素

(2) 七目抜奥の一酸化炭素

(二) 跡ガス圧入の可能性

(三) 払跡内のガスの対流

7 三月一三日以降の排気側密閉のガス状況

8 水柱状況について

(一) ガス爆発による体積の増減

(二) 自然発火の再燃と体積の増減

(三) 水柱増加と跡ガス圧入

9 爆発後第一風道等の気流中から検出された一酸化炭素について

10 エチレンについて

11 再爆発がなかつたことについて

四  爆風等の噴出経路であると主張されている右二入気坑道付近に爆発後に生じた影響

12 密閉構築物の飛散が認められなかつたことについて

13 アーチ枠の移動状況、右二入気坑道奥部の中打柱の変質炭じん付着状況

14 爆発後の右二入気坑道内における一酸化炭素と臭気

五  自然発火かどうかに関する総合評価

第四  被告人らの過失について

一  本件事故の予見可能性

二  その他の保安上の措置

第五  結び

被告人宮崎義一、同和田秀雄に対する各業務上過失致死傷の訴因については、爆発原因が検察官の主張する右二、六尺ロング払跡密閉内残炭柱付近における石炭の自然発火によるものであつたと断定するに足りる十分な証拠がない。爆発前後の坑内の諸状況、観測結果などに照らすと、払跡内の自然発火によるものでないかとの疑いもかなりあるが、これと矛盾する証拠も少なくなく、結局検察官の主張はいくつか想定される原因のうち比較的可能性の高い場合を指摘したといいうるに止まり、いまだ合理的な疑いを入れる余地がないほど確実なものと認めることはできない。

以下当裁判所が右のとおり判断した理由、とくに重要と思われた諸点についての証拠関係とこれに対する判断の経過を説明する。

第一  公訴事実と争点

一被告人両名に対する本件公訴事実はつぎのとおりである。

(一) 被告人宮崎義一は、北海道炭礦汽船株式会社夕張鉱業所の生産、保安、施設各部門担当の次長ならびに鉱山保安上の保安技術管理者として、同鉱業所に所属する各礦の生産課長その他の保安技術職員を指揮監督して各礦の保安業務の実施を総括管理する任務をもち、同和田秀雄は、同鉱業所第一礦の生産課長ならびに前同法上の副保安技術管理者として、保安技術管理者である右宮崎を補佐するとともに第一礦の採炭ならびに保安に関する業務を直接実施する任務をもち、両名それぞれ、第一礦の坑内作業の安全を確保して災害の発生を防止するための保安措置を行なう業務に従事していたものである。

同鉱業所第一礦丁未坑最上区右部内深部においては、昭和三七年から右二片において上層の六尺および八尺層に「右二、六尺ロング」を設けて面長約一五〇米の前進長壁方式で約六〇〇米にわたつて採炭するとともに、昭和三九年二月からその下層である一〇尺層に「右二本向一〇尺ロング」を設けて同じく前進長壁方式で採炭していたが、昭和三九年八月五日ころ右二、六尺ロングのゲート坑道第三漏斗立坑付近において石炭の自然発火が発生したため右の二切羽での採炭を中止し、同年一〇月から右二、六尺のロング採掘跡の四米ないし六米下部において「右二後向一〇尺ロング」を設けて約三カ月半の予定で一〇尺層を後退長壁方式で採炭し、昭和四〇年二月一日から右三片に移行し、「右三、六尺ロング」を設けて六尺層を前進長壁方式で採炭していたが、元来同炭礦の石炭はその組成上自然発火を起こし易い性質をもつているほか、最上区右部内は炭層の断層褶曲が多くて石炭の粉化を生じ易く、充填方式も、採掘跡の周囲に粘土帯を設けてその内部は岩石の自然崩落にまかせておくいわゆる自然充填の方式をとつて、人工完全充填の方式を採用しておらず、右二、六尺ロング採掘跡はその区域が広大で内部に未採掘の石炭を残し、同ロングゲート坑道の入口付近に幅約二〇米延長約六〇米にわたつて炭柱を残しているほか、採掘跡およびゲート坑道に古木材などの可燃物を残留させていることなどのため、同採掘跡などは自然発火を招来し易い区域であり、しかも、その右二、六尺ロング採掘跡の真下に、前記のように、右二後向一〇尺ロングを設けて同ロングへ通風したことにより上層採掘跡への漏風を惹起させるおそれがあつて、右二、六尺ロング採掘跡および同ロングゲート坑道は自然発火が促進され易い条件下におかれていたうえ、石炭の自然発火のおそれの多い右二、六尺ロングゲート坑道に連らなる右二入気坑道には昭和三九年六月三〇日丸太積みに粘土を塗つた簡易な構造の密閉を構築したのみで、同密閉との間に相当な充填を施してコンクリート密閉を新設するなどの方法により自然発火のおそれのある密閉内部の気密性を保ち内部での自然発火にともなう可燃性ガス(メタンガス)爆発の影響が外部へ波及することを防止するのに十分な構造のものに右密閉を強化する措置がとられておらず、また、右二、六尺ロング採掘跡や同ロングゲート方面への漏風を促進する原因となる右二後向一〇尺ロングゲート坑道や同ロング上添坑道に右のような密閉を構築する措置が未了であつて、もし右二、六尺ロング採掘跡などにガス爆発が発生すればその影響が広範囲に及ぶおそれのある状態であつたところ、

(1) 右のような状況のもとにおいて、昭和四〇年二月一一日ころから右二、六尺ロング採掘跡の排気側である右二排気坑道七目抜密閉を中心にガス分析の結果による密閉内採掘跡の酸素量が著しく増加しメタンガスが減少するとともに、そのころ九目抜、一〇目抜および右二本向一〇尺上添の各密閉でトレース(0.001%以下)または0.002%以上の一酸化炭素が分析されるようになり、右二、六尺ロング採掘跡や同ロングゲート坑道への漏風が顕著であつてそのまま放置すれば石炭の酸化が促進されて近い将来に自然発火ならびにこれにともなう可燃性ガス爆発が発生するおそれが生じたのであるから、被告人宮崎、同和田としては、前記の各業務上、それぞれ、自然発火とこれにともなう可燃性ガス爆発が発生するかもしれないことを予測し、その予測に基づいて直ちに、右二、六尺ロング採掘跡に関連する区域の精密な漏風検査を実施して漏風個所の発見に努め、前記右二入気坑道の密閉ならびにその他の密閉を強化し、脆弱な密閉付近坑道にセメント注入を施し、未密閉個所特に右二後向一〇尺ロングゲート坑道などに密閉を構築するなど、漏風ならびに自然発火とそれにともなう可燃性ガス爆発を防止しかつ爆発の影響を密閉内で阻止するに足る措置を講じなければならない注意義務があるのに、両名いずれも、前記のような状況を知り右二、六尺ロング採掘跡への漏風があることを認識しながら、酸素量などの変化については三月上旬までに右二後向一〇尺ロング採掘跡への通気を遮断すれば足りると考え、一酸化炭素の増加については昭和三九年八月の前記自然発火に原因するもので新らたに自然発火が発生する危険は未だないものと軽信した結果、これらの措置を怠つた、

(2) さらに、同月一七日に至つて、右二、六尺ロング採掘跡の排気側一〇目抜密閉内部において、0.018%の一酸化炭素が分析されたほか、その付近での自然発火臭が絶えず、同月一八日には前記七目抜付近の酸素量の増加とメタンガスの減少がいよいよ顕著になりメタンガスの濃度が爆発限界内になつている区域が拡大していることが認められる状況になり、あわせてパイロメーターによる測温の結果同月一五日ころから二〇日ころにかけ七目抜付近での温度の上昇がみられ、特に七目抜では一日につき摂氏一度の割合で上昇するなどの顕著な変化がみられて、右二、六尺ロング採掘跡およびこれに関連する旧坑道内において現実に自然発火が発生しているかもしれないことが推測される状態になつたのに前記(1)の防爆などの措置を講じないまま、二月二〇日から同月二二日にかけ異常な気圧の変動をむかえ、自然発火ならびにそれにともなう可燃性ガス爆発事故発生の危険がさらに切迫したのであるから、被告人宮崎、同和田としては、各自の前記業務上、それぞれ、自然発火にともなう可燃性ガス爆発の危険が切迫しているものと予測し、厳密な調査により右採掘跡などの安全が確認されるまでの間右二片、右三片方面の作業現場に、一時、坑員をどを入坑させないための措置を講じなければならない注意義務があるのに、いずれも漫然と(1)記載同様の判断をした結果、右の措置を怠つた、各過失により、昭和四〇年二月二二日午後六時三〇分ころ、右二入気坑道密閉奥に連らなる右二、六尺ロングゲートの前記弱小残炭柱周辺において石炭の自然発火を発生させこれを着火源として同所付近で可燃性ガス爆発を惹起させて、その爆風、爆焔を右二入気坑道の密閉または同密閉周囲の岩壁の亀裂から右二片、右三片方面に噴出させ、よつて、別紙1「死亡者一覧表」記載のとおり、右二片、右三片方面で作業中の藤谷武雄など六二名を一酸化炭素中毒による窒息などにより死亡させ、別紙2「受傷者一覧表」記載のおり、土屋七郎など一七名に一酸化炭素中毒などの傷害を負わせたものである。

というのである。

(二) なお、右公訴事実の記載を一読すると、密閉内残炭柱付近で起つたガス爆発の爆風、爆炎が坑道内に噴出し、直接本件致死傷の結果をもたらす原因になつたかの如くにも読めるが、その趣旨ではない。

爆発現象についての検察官の基本的な主張は、右払跡内残炭柱付近で石炭の自然発火を着火源とする小規模のガス爆発がまずおこり、その爆風によつて、払跡内にあつた濃厚なメタンガスが右二入気坑道奥の密閉(別紙3「最上区右方面略図」番号一七の密閉)付近から密閉外の同坑道に噴出し、これが同坑道内あるいは最上ベルト斜坑付近の入気によつて薄められ爆発限界(五%ないし一五%)に達したところへ、そのあとから噴出してきた爆炎が追いつき、そこであらたに大規模のガス爆発をおこし、これが本件致死傷の結果をもたらす直接の原因になつたというのである。

二争点

右公訴事実記載のとおり、昭和四〇年二月二二日午後六時三〇分ころ、第一鉱丁未鉱最上区右部内の右二入気坑道付近で爆発事故が発生したこと、それはメタンガスの爆発と考えられること(ガス爆発であつて炭じん爆発ではないとの点については鑑定人等の意見が一致しているだけでなく、爆発規模が炭じん爆発ほど大きくなく、また爆源地に近い場所で罹災した被害者の火傷程度がすべて第二度でガス爆発の特徴を伴なつている事実によつても認められる。)爆発による爆風、爆炎が多量の一酸化炭素を含んで坑道内を流れたため、当時同坑内(主として右三片方面)で作業中であつた者のうち六二名が一酸化炭素による窒息、爆風による頭蓋骨骨折などにより作業現場かその付近で死亡し、一七名が一酸化炭素中毒、火傷、骨折などの傷害を受けたことなどの諸事実は、証拠上明白であり争いはない。

そこで弁護人や被告人が主張するのは、右二入道坑道奥の密閉手前で本件爆発をおこしたメタンガスおよび火源が検察官主張の如く払跡内から右二入気坑道奥の密閉を破壊し又はその周辺の岩盤の亀裂などを通して、噴出してきたものであるとの点については多大の疑問があり、むしろ右爆発は、同坑道内に露出している一〇尺層から滲出していたメタンガスが袋坑道に滞留し、これが付近のアーチ枠折損によつて生じた摩擦火花などによつて着火したものとみるべき可能性がある。いずれにせよ、残炭柱付近における自然発火とは別個の原因によつて爆発をおこしたと考えるべき余地が多分にあるというのである。(弁護要旨一九頁)

したがつて、密閉外における本件爆発の前に、その原因となる第一次爆発が密閉内でおこつたかどうか、その爆発の着火源が払跡内における石炭の自然発火によるものであつたかどうかが本件の主たる争点である。

ところで、推定爆源地である残炭柱付近はいうまでもなく右二、六尺ロング払跡内にあり、同所に外部から通ずる坑道には、同ロングの採炭終了にともなつて密閉が構築され外部と遮断されているので、そのような払跡内部で自然発火やガス爆発が発生したかどうかを直接確かめることはできない。そこで同払跡を包囲している周辺の密閉のうち、残炭柱付近に近い位置にあり、同所付近で自然発火の発生等の異変があれば、その徴候が早期にあらわれると考えられる関連密閉や、その他爆発による影響、変化のなかに右の痕跡があらわれていないかどうかを個別的に検討したうえで、これを総合して払跡内部の異変の有無を推論するという間接的な方法によらざるを得ない。そのため、本件の実質的な争点はこれら払跡周辺における爆発前後の個々の徴候、痕跡中にどの程度密閉内部の自然発火につながる資料があらわれていると読みとれるか、個々の資料のうちどの資料を、どの程度重要と考えるべきか、そして、これら個々の判断資料を総合すると密閉内部に自然発火が発生していたかどうかを、どの程度確実に推測することができるか等の点にある。

第二  検察官主張の推定爆源地である右二、六尺ロング払跡、その周辺の状況

一  右二、六尺ロング払跡とこれに関連する密閉の位置などについて

本件においては、以下個々の争点の判断に入る前に、まず検察官が爆源地であると主張している右二、六尺ロング払跡の状況、同払跡から外部につながる坑道とその途中にもうけられている、入排気側密閉の位置、六尺ロング払跡とその直下にある後向一〇尺ロング払跡との関連性など推定爆源地をとりかこむ状況を概観しておく。

払跡周辺の地理関係は、かりに検察官の主張どおり払跡内残炭柱付近で自然発火によるガス爆発が発生したときには、どのような徴候が同所周辺のどのような場所にあらわれると考えられるか、あるいは、あらわれなかつたとしたらどの程度不自然といえるか、及びそれらの証拠の重要性の程度等を理解、評価するうえの前提となるからである。とくに各証拠の評価にあたつては、それらの徴候、痕跡相互間の有機的な関連、全体的な傾向を重視しなければならないが、そうした観点を失わないためにも必要である。

そこで最上区右部内の払跡、坑道、密閉個所等の概略は別紙3「最上区右方面略図」のとおりである。

まず推定爆源地の付近では、上部に六、八尺層を採炭した広大な右二、六尺ロング払跡があり、その下部に、合盤をへだてて一〇尺層を採炭した払跡が重なり合つている。すなわち同所付近では炭層が層状になつており、上層に厚さ約二メートルの六尺層、その下に約0.3メートルないし0.6メートルの合盤、その下に厚さ約1.4メートルの八尺層、さらにその下に約三メートルないし七メートル(通常六メートル)の合盤、その下に厚さ約2ないし2.2メートルの一〇尺層という順序になつており、これらの重なり合つた炭層がいずれも三〇度ないし四〇度の中傾斜をなして深部方向に走つている。そして右二片部分の右六尺層、八尺層は同時に合わせて採炭されたので一つの払跡となつているが、これが本件爆源地とされている右2.6尺ロング払跡である。この6.8尺層の採炭開始後、同六尺ロングの下層にあたる一〇尺層が6.8尺層とは別個に二個所に分けて採炭された。

したがつてこれらの個所では六尺ロングの払跡の下にさらに一〇尺ロングの払跡が広がつていることになり、両ロングを隔てているのはその間にある三メートルないし七メートルの厚さの合盤だけという状態になつている。

つぎに各払跡の状況をみると、六尺ロング払跡は傾斜した6.8尺層を、その炭層傾斜を横に進む方向に採炭していつた払跡である。この払跡は広大で、払面長は、始発部で約六五メートル(山丈2ないし2.3メートル)その後払面の進行につれて徐々に深部方向に延長されゲート坑道切替後は、約一二八メートルとなつており、また始発部から終掘部までの全長は約五六〇メートルに及んでいる。採炭にあたつては上添側、ゲート側とも炭層の下盤に岩石坑道(別紙3略図中の右二排気坑道、右二磐下坑道)をもうけ、払面の進行につれてゲート側は約二〇〇メートル毎に、立坑を設けてゲートに連絡し、上添側は約三〇ないし五〇メートル毎に上添坑道に連絡し、ともに払面の進行によつてつぎの立坑、目抜をもうけたときには、不要となつた旧立坑、旧目抜に密閉を構築してこれを廃棄し払跡への漏風を防ぐという採炭方式がとられていた、払跡は人工的に充填するようなことはせず、天盤の自然崩落にまかせていた。すなわち、採炭中の払面付近では天盤が鉄柱カツペで支えられるが、払面の進行に伴つて跡山側のカツペを回収すると天盤は支保を失つて崩落し、払跡内にずりとなつてたまる。ついで崩落した天盛部にあらたに空間を生じるのでさらに上層の天盤がばれ落ちるということを繰りかえし、そのうちに一定の限度まで天盤がばれ、岩盤がばれた際の体積の増積により払跡と天盤崩落のあととがともに自然に充填されるのを待つのである。したがつて、このようにして天盤を崩落させてゆくときは採炭の早く終了した払跡ほど崩落・充填が早く進み気密性も高くなつていくという関係になる。また、右払跡は先にのべたとおり三〇度ないし四〇度の傾斜をなしているので、天盤から傾斜した払跡に崩落したずりはその勢いも手伝つて深側の方に流れてゆくことが多く、その結果、深側は比較的早く充填されるが肩側はなかなか充填されず長く空間を残していることが多いと考えられるし、天盤の崩落する範囲も深側は少なくてすむが肩側はかなりの高さまで崩落するという傾向を示すことになる。

このようにして採炭が進み不要となつた目抜坑道を廃棄するにあたつては、まず払跡の肩部上添坑道に木煉瓦密閉を構築し、また目抜坑道には二重の密閉、すなわち上添坑道側(払跡内部側)には木煉瓦密閉、排気坑道側にはコンクリート密閉ないしブロック密閉の二つをそれぞれ構築してゆき、結局右2.6尺ロング終掘時までには、上添側に採炭の順序に従い一目抜から一二目抜までの密閉が作られていた。

ところで、密閉を構築して払跡と外部坑道を遮断するに際しては密閉後も払跡内のガス組成、温度、臭気等の変化の状態を外部から観測し、内部に危険な状態が発生しそうな時には、ある程度これを予知できるようにするため、あらかじめ密閉部に観測管を差しこんでおき、これが払跡内部に通じるように配置されている。払跡内のガスは主要扇風機による坑内通気圧差や温度上昇による膨脹、その他の理由で通常は常時排気側に引かれていく傾向にあるので、排気側では密閉にもうけられた観測管の木栓を抜くとその管を通して払跡内部のガスが排出されてくることとなり、このガス観測あるいはガス分析を行なうことによつて払跡内のガス組成の変化、温度変化その他を知り払跡内における異常の有無をある程度推認することができるのである。また、本件払跡内上添坑道付近にはパイロメーターを設置していたので、その結果と観測管内の温度とを比較することにより、密閉内部の温度変化を知ることもできる状態にあつた。

つぎに、右2.6尺ロングの採炭開始は昭和三七年六月、採炭中止は同三九年五月末頃(本件爆発の約八ケ月前)であつたが、その採炭途中の同三八年二月頃最上ベルト斜坑と右二磐下坑道との分岐点の約二〇メートル位出途側を入口として右二入気坑道の掘進が開始された。同坑道は入口から第一漏斗立坑付近までは岩石坑道(ただし入口から約一〇メートル前後の個所で一〇尺層を縫う部分がある)でありその奥部は6.8尺層の沿層坑道であるが、同坑道掘進は同三八年三月末ないし四月初頃六尺ロングを進行中の払面に追いついたので、この時期に、同ロング払面を右新坑道まで拡げこれをゲート坑道として第一漏斗立坑に送炭するのに使用されることとなつたが、このゲート坑道の切替に際し、新ゲート坑道と旧ゲート坑道との間に長さ約五〇メートル、巾約二〇メートル位の炭柱が保安上の配慮から残されることとなつた。これが本件において、検察官により自然発火個所と主張されている「残炭柱」である。残炭柱の炭層露出部には、粘土巻岩粉袋詰、実木充填等の通常の自然発火防止対策が実施されていた。その後六尺ロングの払面がさらに進行し、第二漏斗立坑が設けられてからは右二入気坑道は不要となり同三九年六月三〇日本件でしばしば問題となる右二入気坑道奥の木煉瓦密閉(前出の番号一七密閉)が構築されるに至つた。六尺ロングの採炭進行中これと並行して本向一〇尺ロングの採炭が開始された。同ロングの採炭は、その上層6.8尺層を六尺ロングの払面が進行したのち約八ケ月おくれて昭和三九年二月開始され、六尺ロングと同方向に採炭進行して同九月二一日に掘進を止めた。同ロングの採炭方式、払跡の密閉方法、密閉後の払跡内の観測等についても前記六尺ロングの場合ととくに変つたところはない。同ロングの上添目抜は右2.6尺上添八目抜と九目抜との中間位置で右二排気坑道に連絡し、これを密閉したのち、その観測は六尺ロング上添目抜の密閉観測と同時に行なわれていた。この本向一〇尺ロング払跡は残炭柱付近からは距離がややはなれており、また本向一〇尺ロング始発部と後向一〇尺ロング始発部との間には約四〇メートルないし五〇メートルの未採掘一〇尺層が残されている。

続いて右二後向一〇尺ロングの採炭が行なわれた。この後向一〇尺ロングの採炭は昭和三九年上半期の採炭計画にはなかつたところ(昭和三九年度上期事業計画図=同四三年押第一四四号符号二六)、同年八月五日右2.6尺ロングゲート第三漏斗立坑付近で自然発火が発生して右2.6尺ロングの採炭を中止するほかなくなり、一方つぎの採炭現場に予定されていた右3.6尺ロングの採炭準備も間に合わないという特殊な事情から、いわばその間のつなぎとして、急拠同年度下期の計画にとり入れられたものであつた(同年度下期事業計画図=前同号符号二七、池・検面・昭四一・六・三〇日付、宮崎・検面・昭四一・一一・二九日付、和田・検面・昭四一・四・二八日付)。右計画変更に従い、同後向一〇尺ロングの採炭はその上層の6.8尺層、六尺ロングの払面が進行したのち約一九ケ月経過した同三九年一〇月五日(本件爆発の約四ケ月半前)に開始され、六尺ロングの場合とは逆方向に向つて採炭を進めた。後向一〇尺ロングの採炭は右2.6尺ロングとの関係でいうと、残炭柱から上添方向に至る部分を払うことになるものであつて約四ケ月後の同四〇年一月末(本件爆発の約二〇日前)採炭を終了したが、本件爆発当時なお同ロングでは引き続いて一番方のみの人手によつて払面の資材回収作業が行なわれており、通気も通常どおり行われていた。

ところで右のように後向一〇尺ロングの稼行によつて残炭柱の下層にあたる一〇尺層の部分も採炭されたのであるが、この6.8尺層と一〇尺層のように累層となつている炭層を採炭する際には、上層を先に採炭し、その払跡が安定するのをまつて、下層を採炭するのが通常である。それは下層を先に採炭してしまうとその天盤が支保を失つて崩落したりこれに亀裂が生じたりして上部の炭層へ漏風を通じ自然発火の原因になるからである。右部内右二片でも全体としては、右の順序に従い上層の六尺ロングを先に採炭していたのであるが、残炭柱個所だけは六尺層を残したままその下層一〇尺層を先に採炭するということになり、そのため一〇尺ロングから残炭柱付近に向けて漏風を生じたのではないかとの疑いを懐かせる素地が生じたのである。後向一〇尺ロングと六尺ロングとの間にある合盤の厚さは、一〇尺ロングゲート付近、(残炭柱下盤付近)では約七メートル、一〇尺ロング上添付近では約四メートル位であつたと考えられる(別紙4「炭層等高線図」参照)。

二  本件爆発事故後の右2.6尺ロング払跡周辺の状況について

本件爆発の直後遺体搬出作業と並行して、鉱務監督官、警察官等により、本件右部内一帯について実況見分が行なわれた。右実況見分は、とりあえず同右部内全域にわたつて資材など飛散の状況、その方向、坑道破損の状況、火炎による燃焼の有無、各所のガス状態などを中心として開始され、これらについてはひととおりの見分がなされた。しかし右の時点では、爆発原因に関しては、当時の採炭現場であつた右3.6尺ロングになんらかの異変がおこつたのではないかとの見方が強かつたようであり、払跡内残炭柱付近の自然発火という疑いは生じていなかつた。そのため残炭柱を含む右2.6尺ロング払跡に関係する区域についての詳細な実況見分がなされるにいたらなかつた。

ところが、二月二五日になつて、右二排気側目抜の密閉検査が行なわれた結果、急に右2.6尺ロング内の異変によるのではないかとの疑いが生じ、翌二月二六日、急拠右部内全体を水没することとなつたため、以後の実況見分は突然不能に陥つた。すなわち、二月二五日右二排気側目抜から多量の一酸化炭素が検出されたことにより、同六尺ロング払跡内で自然発火が発生しているのではないかとの疑いがもたれ、もしそれが生じていたときには自然発火の性質上引き続いて再爆発をおこす蓋然性があり、危険であると判断されたため、会社側は二五日一七時三〇分ころ右部内入坑者を全員退避、出坑させ、続いて一九時四〇分ころ監督官らに水没許可方を申し入れ、翌二六日二時、その許可になると直ちに二時三〇分ころから水没のための注水が開始された。したがつて実況見分は二五日夕刻以降はできない状態となつた(変災経過記録=前同号の符号三五。宮崎・検面・昭四一・七・一四日付添付の上申書。畑山・上申書(六))。こうしたわけで、右2.6尺ロング払跡における自然発火の有無が問題となつている現時点からみれば、その認定上甚だ重要と思われる同ロング払跡に関連する区域の実況見分がその重要な点について未了のまま終らざるを得なかつた。そのうち以下で度々問題になつてくる点をあげればつぎのとおりである。

(一) 検察官により払跡内からの爆風、爆炎の噴出経路と主張されている右二入気坑道については、密閉の手前に天盤の全面崩落があり、外部から密閉方向を見通すこともできなかつた。

そのため爆発後の同密閉付近の状況が全く現認されていない。

(二) 右2.6尺ロング払跡内における異変の有無を知るためには、同ロング上添各自抜密閉において、その徴表たる一酸化炭素、温度、臭気などの変化推移を詳細に検査しておくことが必要であるが、これについては事故後の二月二五日密閉観測と、同密閉内採取ガスのガス分析が行なわれただけで事故直後から二五日までの詳細な変化及び翌日以降の変化推移は不明のままである。

(三) 残炭柱直下の後向一〇尺ロングゲート坑道では、ポケット口から約五〇メートル奥部付近に崩落があつたが、その崩落奥部は現認未了のままである。

以上の次第で本件においては、爆発原因をあれこれ推測することはできても、これを認定するのに必要な諸状況についての証拠収集ができず証拠の実質的な内容が乏しく、極めて断片的な資料をつなぎ合わせて微妙な検討をしなければならないという特殊な事情にある。

第三  右2.6尺ロング払跡内部の自然発火によるものかどうかについて

一  爆源地の推定について

爆源地の推定を下し得るためには、本件規模の爆発をもたらすに足りるメタンガスが存在しえたこと、メタンガスの発火点(約六〇〇ないし七〇〇度)に達する高温の着火源が存在しえたこと、そしてその双方が同時に存在することなどの条件を具備した場所でなければならない。このような観点から考えると、六尺ロング払跡内は、炭柱や残炭があつてメタンガスは多いと考えられるし、またその自然発火を推定することによつて着火源も想定することが可能であり、したがつて爆源地を右二入気坑道密閉内の残炭柱付近とする検察官の主張の方が同密閉手前の坑道内とする弁護人、被告人らの主張よりも一般的には成立の可能性が高いと考えられる。ただ爆発前、右二入気坑道から流出していたのではないかと推測されるガスが下流の通気中で検出されており、他の証拠との関連如何によつては、同坑道内での着火爆発という弁護人らの主張にも全く可能性がないとは言い切れない面がある。その理由はつぎのとおりである。

1 爆風・爆炎の進行方向について

爆発よる坑内資材の飛散状況などについては、爆発直後における鉱務監督官らによる実況見分の結果(鉱務監督官玉山康雄ほか八名作成)やその他当時入坑した会社関係者の供述等によつておよそ次のとおりであつたと認められる。すなわち、右二入気坑道では同坑道入口付近にたてかけてあつた一本の重さ約九〇キロのレールアーチが数本ベルト斜坑方向に押し出され、そのうちの一本は数メートル移動して爆発直前まで作動中であつた筈の同斜坑内石炭搬出用のベルト上に約二〇インチ位押し出されていたこと(河谷弁護士複製写真、畑山・検面・昭四二・五・二二日付)、右二入気坑道入口の最上ベルト斜坑側正面にあたる斜坑側壁には、木片ずりの砂片などが右二入気坑道内からの圧風によつて吹きつけられたと思われる状態でつきささつていたこと(実況見分調書八丁表、広川、検面・昭四二・六・三日付)、ベルト斜坑上部ではベルトキヤリアー、鉄製ヘッドシープ、安全柵などが上方に向つて飛ばされていたこと、これに対して入気坑道入口より下部右二磐下巻立付近では炭車が下方に向つて脱線横転していたこと、同盤下坑道変圧器室のブリキ鉄板は奥側に向つてはがされていたこと、その先のマザー卸、右二磐下坑道奥部における状況は爆風が奥部に向つて進行したことを示していることが明らかであり、これによると、本件爆発による爆風の進行方向は、まず右二入気坑道内部から最上ベルト斜坑に出て、そこで同ベルト斜坑上部入気側と下部奥側とに分かれて進み、奥側に進んだものは右二盤坑道巻立で二分されたが、同斜坑下部は行詰りのため大部分は盤下坑道を奥部に進行し、右三マザー卸分岐点でさらに二分されその一はマザー卸を通つて右3.6尺ロングゲートから同ロング内部へ進み、その二は盤下坑道を直進し分岐点奥にあつた戸門を破壊して進み右3.6尺ロング上添坑道を通つてロング内部へ至つたものと推定され、この点については、検察官、弁護人間にほぼ争いはない。

尤も右と異なる推定を可能とする証拠も存在しないわけではない。たとえば爆発直後、事故原因究明のため現地調査に来た夕張炭坑災害技術調査団(以下単に政府技術調査団と略称する)は直接、坑内状況を見分しなかつたが、鉱務監督官の右のような見分結果をもとにして昭和四〇年四月一七日付で通産大臣宛に中間報告書を提出したがその中で爆風の進行方向に関しては、「右二入気坑道口より一〇尺層後向漏斗立坑付近までを中心に、最上ベルト斜坑の上下と右二盤下坑道の三方向に向つてそれぞれ爆風が進行している形跡が認められる」とのべ(同報告書一〇頁=書証綴(六))、右二入気坑道口と一〇尺層後向漏斗立坑との間での爆風の進行方向は確定し難いとの意見を明らかにしており、これによればまだ右二入気坑道から噴出したとまでは認定されていない。中間報告であるとはいえ同報告書が右のような考え方をとる根拠としたのは、右の区間にはベルトキヤリアーの中に出途方向に移動しているものがあること、付近の打柱奥側に炭じんの付着しているものがあることなどの事実があつたためであるが、この点についての疑問がまだ解消されていなかつたからである。

ただ、右調査団が入手していた資料は現段階からみれば極めて限られた少範囲のものであり、またそのために中間報告とせざるをえなかつたわけでもあるが、右の問題については同調査団の中心メンバーであつた鑑定人伊木教授、同房村教授、同磯部教授らがいずれもその後公判審理の過程で明らかになつた証拠を加えて検討した結果、現段階においては右二入気坑道入口から噴出してきた可能性が最も高いと考えてよいとし、この点について、ほぼ意見が一致しているので、そうではないとする格別のあらたな理由でも示されない限り一応右の結論に沿つて検討を進めれば足りるものと考えられる。

なお、被告人和田は第二入気昇奥から右二本向一〇尺ゲート付近も爆源地である可能性があると述べている(同被告人上申書(一)、二三頁)。しかし同被告人とても、爆風の進行方向が右二入気坑道奥方面から来ていると認めるべき証拠が多いことまで否定している趣旨でないことは、同上申書全体の趣旨から明らかであり、そうすると右供述部分は一鉱々長として爆発時の坑内事情を最もよく把握しうる立場にあつた同被告人が同坑内で当時爆源地となり得る可能性のあつた場所という観点からみれば第二入気昇奥も同様であつたことを一応指摘しているに過ぎないと考えられる。もとより第二入気昇奥を爆源地と疑わせるような立証は本件については全くなされていない。

2 本件爆発のガス源について

本件爆発におけるガス源の存在を考えるにあたつては、その絶対量が本件規模の爆発をもたらすに足りるほどの量であつたことと、それが爆発限界(五%ないし一五%)内の濃度として存在していたこととの二方面から考察しなければならない。(ガス量が少ないと爆発が小規模に終るし逆に量ばかり多くても爆発限界まで薄められていなければ爆発しない。)

(一) 多量のガスが滞溜した場所としては六尺払跡内の方が右入気坑道よりも一般的にみて可能性が高いことは前述のとおりである。右入気坑道内に本件規模の爆発をもたらしうるような固有のガス源が見当らなければ同坑道内で爆発を生じた本件メタンガスは、六尺払跡内の残炭柱方面から右二入気坑道奥の密閉を通して押し出されて来たと考えるほかはないであろう。なお、この場合、右二入気坑道奥の密閉から通常時に払跡内のガスが押し出されてくる可能性は、同所が入気側の密閉にあたつていることからみて殆んど考えられないが、大気圧の降下時には、その可能性がないではない。すなわち爆発直前の二月二〇日一〇時頃七三九ミリであつた大気圧は翌二一日一四時頃には七一四ミリまで降下し、これが気圧降下の底となつているので、右降下の過程では密閉奥のガスを吸い出す傾向があるからである。保安日誌により二月二一日頃のメタンガス濃度を見ると、通常時にはメタンガスが検出されたことのない最上ベルト斜坑でも0.2%のガスが検出されていることが記されている外、全般にかなりガス量の増加している傾向を認めることができる。そして密閉内から密閉外に一たん押し出されたガスは密閉外の気流中に拡散されるので、その後気圧が上昇に向つても一部分しか密閉内へは戻らず大部分は密閉外に残るので、この際に右二入気坑道内にガスが増加することは一応推定される。しかしそのガス量はそれだけで密閉外における本件爆発をおこすほどに達しているとは考えられず密閉外のガスに加わり、これの増加に役立つという程度のものと考えるのが相当であろう。

(二) そこで以下本件爆発をもたらしたガスが弁護人ら主張のごとく右二入気坑道内の露出一〇尺層から滲出したものとみるべき可能性があるかどうかについて検討する。

右二入気坑道は一〇尺層の下の岩盤中にある最上ベルト斜坑から一〇尺層より上層の6.8尺層に着炭してゲート坑道に通じるために掘進された坑道であつて、その中間に一〇尺層を貫通する個所のあることは構造上明らかであり、このことは捜査当時にも捜査官側に知られていたと思われる。一〇尺層は同坑道入口から奥部密閉に至る約二六メートル位のほぼ中間にあたる約一〇メートル前後の個所に露出し、露出面は一〇尺層が約三七度の傾斜をなしているため炭層厚よりも広く約3.3メートル位になつていたことが認らられるが(証人畑山・昭四四・二・一三日公判八一問答、同速記録添付の右二入気坑道図参照)、炭層が露出しているのであるから同個所から大なり小なリメタンが滲出していたであろうということは容易に推測されるが、その滲出量がどの位に達していたと考えるべき状態であつたかについては、これを捜査段階で意識的にとりあげ検討の対象とした形跡は見当らない。

(1) 公判にあらわれた証拠のうちつぎのような証拠を重視すれば一〇尺層から大量のメタンガスが出ていたとは考え難い。

(イ) 鑑定人伊木、同磯部教授は、ともに右二入気坑道内に本件爆発をもたらすに足りるような大量のメタンガスが滞溜していたとは考えられないとし、その根拠の一つとして同坑道内の右一〇尺層露出部は露出後かなり日時を経過しすでにガスがかれているように思うと述べている。同坑道内の一〇尺層は、昭和三八年二月頃同坑道が堀さくされて以来露出していたのであるからかなり古い露出層であることは間違いなく、また露出炭層からのメタンガス滲出量は日時の経過によつて減少してゆくのが通常であり、かつ通気上同坑道の下流にあたる個所で測定していたメタンガス量の推移をみても、少くとも昭和三九年一一月頃までの間では、ガス量に減少傾向があらわれていた(それは同一〇尺層からの滲出ガス量減少の傾向を示していたと思われる)のであるから、特別の事情でもない限り一〇尺露出層からのガス滲出量はそのまま減少傾向をたどるべき状態にあつたと認められる。

(ロ) また、もしかりに右一〇尺層露出部から多量のガスが出ていたとすると、右二入気坑道は約二〇数米の短い袋坑道であつて坑道内には通気がなく坑道内の気流はせいぜい自然対流をおこしている程度にすぎないから検査は容易であり、一週間に一度位の頻度で保安係員が同坑道奥の密閉観測に赴き、同坑道内ガスの検査をしていたというのが事実であるならば、当然いずれかの機会にそのガス量が検知されていたように思われる。ところが本件爆発前二月一五日ころから一九日頃にかけて保安係員が理研ガス検定器を用いて直接ガス濃度の測定をしたときには、(そのうち同坑道内に入らず禁柵付近から手をのばして測定したにすぎないものは除外し坑道内に入つて測定したと思われるものの結果だけをみても)その測定値は必らずしも一様ではないけれども、おおむね同坑道入口付近で約0.1ないし0.5%坑道中間部で約1.5%坑道奥密閉手前で約1.5ないし二%と認められる程度である(塩原・検面・昭四二・三・八日付、同四一・七・一三日付、加賀屋・検面・昭四二・三・八日付、山田・警面・昭四〇・三・三日付、証人畑山・昭四四・二・一三日公判八九問答=(4))。かりにメタンガスが軽い比重(0.559)であるため同坑道内天盤ぎわにかたよつて滞溜していたとしても、これに応じて右ガス測定にあたつては天盤下二〇センチないし三〇センチ前後のところを測定するのが通常であるというのであるから、右実測値が全く信用できないというような理由はなく、これを重視すれば同坑道内の滞溜ガスは本件爆発をもたらすほど大量であつたとは考え難いようである。

(2) これに対し、弁護人らは右二入気坑道内一〇尺層からのガス滲出は一旦減少したが、その後本件事故前にいたつて再び急増する状況になつたと主張している。弁護人らがガス滲出増大の原因としてのべるのは、右二後向一〇尺ロング採炭による地圧増加の影響である。つまり、同一〇尺ロングの採炭は前述のとおり昭和三九年一〇月から開始され、同ロングの採炭面が本件事故前にかけて右二入気坑道一〇尺層の極く近くまで接近し、これによつて同露出部周辺にかかる圧力が増大し再びガス滲出を増大させる原因になつたというのである。また、鑑定人房村教授はベルト斜坑や盤下坑道通気中のガス濃度が右二入気坑道より上部では常に零であるのに同坑道下部では検知されるという有意差を示していて、その内にガス滲出源があることを示しており、かつ右ガス濃度は後向一〇尺ロングの採炭が進行して右二入気坑道に近づいた時期に増加している傾向であつたことを考えると、他に理由が判明しない限り右通気中のガスは後向一〇尺採炭の影響を受けて右二入気坑道内から流出したものと考えるほかなく、そうだとすると同坑道内に相当大量のガスが滞溜していたと疑うほかはないとしている。そこでこの点を少し詳細に検討してみる必要がある。

(イ) 後向一〇尺ロングは昭和三九年一〇月五日から採炭が開始され、その払面が同年一一月から一二月にかけて右二入気坑道一〇尺層露出部と約三〇メートル位の至近距離に達したが(鉱務監督官作成の鉱山保安特別報告書添付資料(二)古洞図)、このような場合採炭にともなう地圧の周辺部波及の影響が右一〇尺層露出部に加わり、ガス滲出が活発化することは容易に推認することができる。しかしそのためにガス滲出量が本件爆発をおこすに足りるほど増大したと考えられるかどうかが問題である。後向一〇尺ロングの接近とガス滲出量の変化とを直接計測した資料はない。しかし同ロング採炭の影響で大量のガスが出るようになつた事実があれば、その徴候は同坑道より下流にある通気中のガス濃度の変化によつておよその見当をつけることができる(同坑道内でガスが大量に増加するとそのガスは同坑道内で自然対流をしている気流にのつて逐次ベルト斜坑に流れ出すと考えられるので、同坑道より下流の通気中のメタン濃度を継続して測定しているとその上流におけるガス湧出量の目立つた増減の全体的傾向を把握することができる。房村鑑定書三五頁・伊木・昭四五・五・二一日公判一問答(13))。したがつて右二入気坑道より下流のしかも同坑道口から遠くはなれていない位置における通気中のメタンガス濃度がどの程度あるか、その濃度は右後向一〇尺ロングの採炭切羽部が右二入気坑道に接近した前後で変動しているかどうかの関係を見れば、右通気中のメタンに一〇尺層露出部から出ていたものが含まれているかどうかのおよその傾向を知ることができると考えられる。そこで右二入気坑道からのガス流出の有無、後向一〇尺ロングの接近による影響の有無を見るため右影響が最もあらわれやすいとされている同年一一月頃の通気中のガス濃度を検討してみる。

まずこれに該る資料として房村教授や弁護人らは、保安係員が毎日数回にわたつて坑内を巡回し、あらかじめ定められた測点で測定してその結果を記載した保安日誌の記載中から右三マザーベルトコンベア原動部での測定結果を拾い出し、これによつて、右二入気坑道入口より上部の坑道通気中にはメタンガスが存在したことはないのに同入口より下部の通気中には含まれており、そのガス濃度は後向一〇尺ロングの採炭開始一ケ月後、すなわち同ロング面が右二入気坑道に接近した時期以降増えた傾向があるということを指摘している。しかし、右測点でのガス量が増加したと弁護人らが主張する右一一月頃には、右三マザー卸の堀進は右三、六尺ゲート漏斗付近まで進んでいたが、まだ右三、六尺ロング方向に貫通(一二月二四日)していない時期にあたつていたから沿層坑道である右三マザー卸内で生じたメタンガスが局部通気に乗つて同卸を上昇して前記原動部付近の通気に混入し、混入したガスの濃度が同所での測定値となつてあらわれていることも考えられる。したがつて右二入気坑道からのガス流出量が増加したことの根拠として右測定地点での右の時期のメタン測定値を用いることは必ずしも適当でないと考えられる。(このことは右二磐下エンドレス座での測定値をみると右三マザーを掘進した三九年一〇月頃から増加をはじめ右三、六尺ロングに貫通した一二月末頃から減少している事実からも裏付けられる。)むしろ右二盤下坑道巻立での測定値を用いて検討する方が付近に沿層坑道もなく、また右二入気坑道入口とも距離が近いのでより適当であろう。

そこで保安日誌の記載中から磐下坑道巻立での測定値をとり出し、メタンガス検出の有無等の傾向を検討してみると、全体としては一一月末頃から〇、一%の濃度のガスが検出された回数が目立つて多くなつていることは否定できない。尤も右測定値が同所の通気全体の平均的ガス濃度を示しているか、またそのガスがベルト斜坑方向から来たと考えてよいかについては検討を要する点がないではない。まず右にいう一一月頃には同測定地より手前のベルト斜坑下部で、岩石坑道である同斜坑の掘進延長の作業が進められていたはずであり、このような岩石坑道からも掘進直後の時期にはいくらかのメタンガスが出てくるとされているので、前記盤下坑道巻立で測定したメタンガスの中には右の掘進現場から出てくるメタンガスが含まれていないとは言えないからである。ただ右三マザー卸が沿層坑道であつてメタン発生量が多いと考えられるのに比べれば、ベルト斜坑は岩石坑道であるから、ここで発生するメタンガスはかなり少ないと考えられるうえ、一一月という右の時期には右堀進距離も短かかつたのでこれらの点を考えると、右の巻立での測定値が岩石坑道掘進現場から出るガスの影響を大きく受けているとは思われない。また、右側定地となつている磐下坑道巻立は、最上ベルト斜坑から盤下坑道分岐点に入り、やや進んだ深側に位置しているのであるが(特別報告書添付資料(三)機械室・機器型式及ケーブル種類配置之図)、ベルト斜坑下部の堀進現場から排出されたガスがベルト斜坑上部から流れてくる通気と混じり合わないまま、同測定個所へ偏つて流れているというような様子も認められない。この点は保安日誌により右測定地のガス量とその時の右三マザー卸の測定値とを比べることによりある程度確認することもできるし、また他にこれを疑つてみる根拠もない。このように考えてみると右巻立でのガス測定値は同所付近の通気中の平均的なガス濃度をほぼ反映したものと考えられるが、そうだとすると、同所付近の通気中に含まれているメタンガスのうち岩石坑道堀進部で発生するガスを除くその余のメタンガスは、同巻立より通気流の上で上流にあるどこかの地点から出てきたものと考えるほかはなくなる。

ところが保安日誌によると右巻立より上流のうち右二入気抗道の入口より上部にあたるベルト斜抗の通気中ではメタンガスは常時零であつてその上方には最早ガス湧出源がないことは明らかであると考えられる。そしてその区間内でメタンガスを放出することの考えられる箇所といえば、前記一〇尺層露出部以外には見当らない。そうだとすると、磐下抗道巻立で検出されるガスは右二入気抗道から湧出してきたものとの考えが強まる。このようにみてくると盤下抗道巻立でのメタンガス測定値の前記の増加傾向はそれが後向一〇尺ング採炭開始後一ケ月頃という、いわば右二入気抗道一〇尺層に地圧のかかり易い時期と符合している点からみると同ロングの採炭進行にともなうガス量の増加ということを指示しているように考えられる。

(ロ) そこで次に爆発直前の昭和四〇年二月当時の通気中の右ガス状況はどうなつていたか、その際の右二入気抗道からの流出ガス量はおよそどの位と考えられるか。この点について房村教授は二月中における右三、マザー卸ベルトコンベアー原動部付近のガス濃度を保安日誌から抽出しその平均値〇、一二七%を右二盤下抗道の通気の平均的なガス濃度であるとし、これにより右二入気抗道からの流出ガス量は毎分約一立方メートルになるとの見解をのべている。

すなわち、右二盤下抗道通気中の総メタン量を求め(風量は毎分一〇一五立方メートル、同教授の計算によるメタン量は一、二九立方メートル)このメタンは一一月当時よりは堀進が進んでいる右三盤下抗道方向と右二入気抗道から出たものであつてそれ以外にはガス源はないから、右三盤下抗道方向の風量(毎分九〇立方メートルとしている)とガス濃度(〇、一%)から同方向のメタン量を計算して(毎分〇、〇九立方メートル)総量からこれを差し引いた残りの毎分一、二〇立方メートルが右二入気抗道からの流出ガス量のおよその見当であるとするのである(同鑑定書三五頁)。右の結論は、一応測定値にもとづいた計算ではあるが、前述の二月一五日ないし一九日頃同抗道内で保安係員が実測した数値とあまりにもかけはなれており、従つてこれをそのまま全面的に信用することは相当でなく、毎分一立方メートル以上のガスが流出していたとする結論もやや多すぎるとの印象を免れない。しかしこの房村教授の計算はともかくも通気中のガス濃度、風量などいずれも実測値をもとにしているので一応の根拠はあるといわざるを得ず、明確な理由もなく無視してしまうのも相当でない。検察官は右房村教授の見解を信用し難いと主張し、その理由として右計算過程に不適当な点があるとのべている。そこで同教授の右の計算結果がどの程度信用できるかを判断するためには右計算の過程に検察官の主張のような不適当なところがあるかどうかをひととおりみておかなければならない。検察官が不適当だとしてあげている点あるいはその他検討を要すると思われる点はつぎのとおりである。

(a) まず検察官は房村教授が磐下坑道通気中のガス濃度として右三マザー卸ベルトコンベアー原動部の同年二月分の測定平均値〇、一二七%を使用している点について、「厳密に言えば、マザー卸原動部で測定されたガス量には、マザー卸内で発生するメタンガスも含まれているので盤下坑道のガス量と若干異なつている。」と主張している。

ところでマザー卸原動部の位置は磐下抗道から水平に約三〇メートル位マザー卸方向に進んだ岩石坑道中にあるので(特別報告書添付資料(一)保安図、同機械室機器配置状況図、畑山、検面・昭四二・四・二二付添付の炭層等高線図)、その付近にメタンガスの発生源はない。またマザー卸で発生するメタンガスが右原動部に逆流してくるかというのに、右四〇年二月の時期には前述した前年一一月とは異なり、マザー卸は右三、六尺ロングに貫通し同二月一日から採炭が開始され通気が毎分四二〇立方メートル位あつたのであるから、坑道の大きさと右通気等の右状況のもとでは、メタンの浮力を考えても、卸内部のメタンが同卸上部方向の原動部に上昇してくることはまず考えられないと思われる(伊木・昭四五・五・二三日公判一九八問答)。そうだとすると右の時期においては右原動部のガス測定値を盤下坑道のガス濃度を示すおよその目安として使用することに格別の不都合があるとは認められない。ただし、ガス濃度の平均値を使用するにあたつては、これを絶体的な根拠とせずその上、下に誤差を見込んでおかねばならないであろう。

保安日誌を見ると測定した係員によつて測定結果をいつも〇、一としたり〇としたりする一つの傾向があらわれているかに窺えなくはなくそれは、たとえば検定器の目盛りのうえで〇ではないが〇、一には達しないという数値を〇と〇、一とのいずれに読みとるかによつて生ずる誤差ではないかとも推測される点があるからである。また保安日誌によつては測定値の記載が欠けているものもあるのでその部分の取り扱い如何によつても異なつてくる面がある、しかし因みに右三マザー卸よりは上流にあたる盤下坑道原動部における右の時期の測定値を見ると、ほぼ〇、一%時に〇、二%のガス濃度が継続的に検出されていることが保安日誌により確認されるので、盤下坑道通気中のガス濃度を〇、一%ないし〇、一二七%とする房村教授の数値が格別大きすぎるというほどのことはないようである。

(b) つぎに房村教授が右のメタン濃度を基準として。マザー卸原動部の通気量四二〇立方メートル中の純メタン量を計算せず右二入気抗道巻立付近の通気量一〇一五立方メートル中の純メタン量を求めている点について、これは計算上の誤りではないかと検察官は述べている。しかしこの点は検察官において充分理解していたはずの事項について何かのはずみで生じた錯覚というべきであろう。房村教授は右二入気坑道から流出するメタン量を計算するための前提として。同抗道から流出するメタンと右三盤下抗道方向から流出するメタンが合流した盤下抗道での両方向から来るメタン総量をまず計算しようとしたのである。その際同盤下坑道の通気がマザー卸原動部に達していてその間にガスの混入する個所がない本件ではガス濃度が前後同一であると考えられること前述のとおりであるから同所のガス濃度として右三マザー卸原動部のガス濃度を用いたにすぎないからである。この点は言うまでもないと考えるが右二磐下抗道の通気の一部が後向一〇尺ロングゲートに分流し、その残りの通気が右三マザー卸に達しているが、右計算上必要なのは分流前のメタン量であり、右三マザー卸に達したメタン量ではないからである。

(c) 右メタンガス総量からその中に含まれている右三盤下抗道方向からのガス量を差し引く計算をするためには同堀進部方向の風量とガス濃度が明らかでなければならない。右三盤下坑道方向のガス濃度については、これを同教授の使用した〇、一%とすることにあまり問題はないと思われる(ガス濃度特別調査図前同号符号二一の一、二によれば昭和四〇年二月一四日ガスコンター時のガス量が判る。通気中について、開さく堀進保安日誌昭和四〇年二月分前同号四四、特別報告書三二頁。)そこで問題は同方向の風量であるが、その実測値は存しないため扇風機の性能をもとにして計算するほかない。房村教授がその計算の結果同方向の風量を毎分約九〇立方メートルと算定している点について、検察官は鉱務監督官作成の特別報告書中で二三〇立方メートルとされている(同三二頁、三五頁)のに比べ右の数値は少なすぎ不当であると主張している。そこで不当かどうかを見るのに同堀進部方向はビニール風管の一端に局部扇風機(軸流式、四五〇立方メレトル毎分)をとりつけて送風されていたのであるが、このような場合同方向の有効風量は一般に認められた方程式によつて右扇風機の性能のほか、風管の大きさ、長さ、ビニール風管の抵抗、風管が屈曲している場合の抵抗増加の程度、抵抗係数(たわみなどによる抵抗増加度)漏風度(風管のつぎ目などからの漏風等を除いた有効風量比)などが明らかになれば、ある程度の計算をすることができるとされており、房村教授の右計算もこれによつたものである。右計算にあたつて基礎とした数値は扇風機の性能、風管の長さ、大きさなど本件で証拠上明らかなものについては、これに従い、漏風度その他については標準的な数値を一応用いていることが認められるのである(詳細については和田被告人・昭四五・六・一六日公判、(15)公刊の書物「局部通気」北海道石炭鉱山保安教育委員会編)。そして右計算結果によれば、同方向の風量は毎分一二〇立方メートルとなるが本件の場合は扇風機の口径(八七〇ミリ)よりも風管の口径(五〇〇ミリ)が小さく扇風機の性能一杯には働かなかつたこと、扇風機の性能低下(八年使用の中古)などの理由で右の計算結果の七五%を有効風量と見込んだ結果九〇立方メートルとしたというのであり、その根拠はいずれも一応明らかにされていて、これによれば右三盤下抗道堀進部方向の風量の計算過程に都合のよい結論を出すための不当な数値上の操作があつたとは認め難い。

右風量が監督官の特別報告書中の記載と異なつているとして、かりに検察官において異論があり、同堀進部方向からの風量はもつと多かつたと主張するのならば、まずその根拠を示すべきであろう。監督官は同方向を度々巡検していたから前記報告書中の二三〇立方メートルの数値に根拠があるのならばこれを示すことは容易と考えられるからである。しかるに右の点について何らの具体的反論はなされていない。

もとより右の如くにのべてもそれはあくまで計算値にすぎず風管の抵抗係数、漏風度の見つもり方その他の数値のとり方如何で大きく変動するものであることや実際の坑道内で作用した場合の複雑な諸影響を考慮しておかなければならないであろう。したがつてこゝでも計算値の上、下に誤差を見込むべきであるが、しかしだからといつて一応一般に認められた教値をもとにした概算上の風量としてすら、あてにできないというような根拠も存しない。

(d) 以上のようにみてくると房村教授の右推計過程にとくに不当な点があるとは認められない。またかりに不当な操作を行なえば、他の鑑定等に際してその不当さを指摘される機会もあつたのであり、この面からも右のような不当な操作をする機会があつたとも認めがたい。そこで右の計算によると右二入気坑道からの流出ガス量はそれが最大となる条件のもとでは(すなわち磐下坑道通気中のガス濃度を〇、一二七%、右三盤下坑道引立の風量を毎分九〇立方メートル)毎分一、二〇立方メートル、また最少となる条件のもとでは(ガス濃度〇、一%引立風量を検察官主張の二三〇立方メートル)毎分約〇、七九立方メートルという計算結果になり、これはいずれにしても爆発の生じた二月当時相当量のガスが右二入気抗道から流出していたかの如き事実を示していることになる。右計算結果については前述した種々の基礎数値のとり方によつて更に大きな誤差の生ずることを見込んでおかなければならないので、右結果を直ちに信用するものではないが、しかし右二入気抗道入口よりも下流の通気中のガス濃度から上流におけるメタン流出量を推計してゆく計算の筋道は一応はつきり根拠が示されているのであつて数値の詳細は別として、上流におけるガス流出の有無など全体的な傾向の目安をつけるだけの根拠とすることはできると思われる。

(3) 右二盤下抗道の通気中のメタンガス濃度を根拠として推計すると、右二入気抗道から相当量のガス流出があつたという結果になること前述のとおりである。しかしながらその計算結果は一応右の如くであるとしてもそれが同入気坑道内の実測値とかけはなれていることには、やはり疑念が残る。そこで同抗道のガス発生を否定する立場から前記ベルト斜抗の通気中のガス濃度が爆発前右二入気抗道の上では零であり、それより約二〇メートル位しかはなれていない盤下抗道巻立で〇、一%ないし〇、二%となつていたこと、爆発後の二月二三日の監督官の実況見分時にも同様であつたこと(同入口より下部では〇、〇〇五%ないし〇、一%を検出、実況見分調書八丁裏)についてどのような説明をしているかを検討してみなければならない。

この点について伊木教授は、起訴前の鑑定書では何らふれていないし、またその後の公判供述中では右三盤下抗道堀進部から出たのをも知れないとの疑問を一部とどめながらも(同昭四五・五・二三日公判一二八問答(14))、全体としては右二入気抗道から出たのかも知れないことを認めたりもし、結局よく判断し難い状況であるとのべているにすぎない(同五・二三日公判一〇問答(14))。つぎに同様のことは爆発後右二入気抗道内で検出された相当多量のメタンガスの発生源についても考えられる。これが右二入気抗道一〇尺層から出たのでないとするとそのガスは一体どこから発生したと考えるべきか。払跡内から出たとすると別の疑問が生ずる(後記15項参照)。そこで伊木教授は事故後の右二入気抗道内のガスの由来について最初の起訴前鑑定書で密閉内部から出たとしていた意見(同鑑定書一二頁)をその後変更し、同入気抗道の一〇尺層から崩落部を通じて出たとしている(公判鑑定書七項)。そのいずれが正しいかはここではしばらく別とするが、右のように意見変更を生じるということ自体ガス源についていずれとも判断し難い点のあることを示していると考えねばならないだろう。こうしてみると右のような諸証拠を否定し得ない限り検察官も立証当初とは異なり、同抗道内にガス源のあつたこと自体は認めざるを得なくなつているとする外はない。

(3) ところで本件爆発には相当多量のガスを必要とすることは検察官主張の通りである。しかしその必要ガス量が多いといつてもどの程度考えるべきかは必らずしも証拠上明らかになつていない。房村教授の前記計算結果からおよそ見当づけられる程度のガス量でもなお不十分であると主張するのであれば、その根拠が明らかにされなければならないが、この点については何の立証もなされていない。むしろ、前記鑑定にあらわれた程度の量のガスがあれば本件爆発に至ることの可能なことが当然の前提になつていると思われるのであつて必要なガス量がなかつたと主張するためには、やはり前記鑑定そのものを否定できるのでなければならないと思われる。

(三) 以上検討した結果を総合すると、右二入気抗道には、その抗内状況から考えて、本件爆発の原因となるようなメタンガスが通常滞溜していたとは考え難い場所であり、それ故に爆発前保安係員がガス測定をした時にもその濃度が低かつたと考えるべきだとする伊木、磯部両教授の判断には基本的には賛成しうるし、他に反対の証拠がなければ、一般的にみてその可能性が高いことを当裁判所も十分認めるものである。しかし、房村教授が鑑定書で示した前述の推論にも一応の合理的理由があるし、右推論を裏付ける証拠も一応存在する。従つて右二入気坑道内に固有のガス滲出があり、相当量のガスが同坑道内に滞留していたという房村数授の見解には傾聴すべきものがあり、これを否定し去るには、その根拠とされている上述の諸点について検察官においてこれを信用し難いとする具体的かつ、合理的な理由を挙げなければならないが、それはなされていない。

3 着火源について

本件爆発の着火源を直接かつ単的に明らかにする証拠のないことは、本件関係者間に全く異論はない。災害直後当時鉱山保安監督官をはじめ種々の関係者が、本件爆発の着火源について彼此考察を行なつたが、これらはいずれも主として次のような推論方法すなわち炭鉱爆発事故について一般的に火源になりうると予想される諸原因たとえば電気機器類、機械、火薬類、爆破作業、鉄柱岩石などの摩擦衝撃火花、坑内員の喫煙、自然発火などを包括的に想定し、それぞれについて本件抗内で火源になつた可能性があるかどうかを検討推察し、疑いの少ないものから順次消去してゆくという方法に基いていた。そして着火源になつたことの具体的な疑いのあるものを発見し得ないでいるうち、二月二五日排気側上添目抜の密閉内から一酸化炭素が大量に検出されたためそれ以来検察官主張の払跡内部の自然発火との疑いが強くもたれるようになつたにすぎない。

(一) 払跡内の自然発火の一般的可能性

検察官は、前述のとおり右二六尺払跡内で石炭が自然発火しそれが直接の着火源になつたという。メタンガスの着火温度は約六〇〇度ないし七〇〇度とされているが、石炭が酸化現象により一定の高温に達するときは、一酸化炭素や臭気の発生などの徴候を伴うと共に、以後酸化の速度をはやめ容易に消火し難い状態になると考えられている。そこで、本件爆発前後に右の徴候があつたかどうかに疑問を感じるものは、本件の場合には石炭が発火して直接の着火源となつたのではなく、石炭が酸化蓄熱する過程で、石炭より着火温度の低い坑木類がこれにふれて先に燃焼しこれがメタンガスに着火したのではないかとも言つている(宮崎、検面・昭四一・七・一四日付添付の上申書、和田・検面・昭四一・六・二七日付、境田三郎作成の昭四二・五・二四日付答申書その他。)両者の間には関連する事項の如何によつてはかなりの相違をもたらす点もあるが、いずれも石炭の酸化蓄熱を原因としている点では同じなので、さしあたり以下においては一応右両者を区別しないで検討する。着火源についての双方の主張を概観すると、払跡内部における自然発火という検察官の主張の方が、右二入気抗道内のアーチ枠折損による摩擦火花などという弁護人らの主張よりも、一般的に可能性が大きいと考えるのが相当であろう。北炭夕張第一鉱の石炭の炭質、炭層の状況として自然発火を起こし易いことは多くの学者などによつて指摘されている。また本件爆発直前頃、同払跡内では自然発火を生じ易い条件もいくつか存在していた。

その一つは、六尺ロング払跡内に残されていた残炭柱の下部が後向一〇尺ロングの採炭によつて取り払われ残炭柱やその直下の合盤に亀裂を生じ易い状態になつたいたこと。もとより一〇尺層を採炭しても、同炭層の傾斜などの理由で深側が密かに充填され易いことは事実であろうがそれは上添側に比べればそうであるというにすぎず残炭柱の下層を採炭しなかつた場合に比べれば採炭したことによつて亀裂を生じ漏風する可能性が強くなつたことは明らかである。残炭柱の下を採炭すること自体が直ちに不当だとまでは言えないと考えるが、やはり採炭するにあたつては上層に残炭の存しない場合以上に細心の注意を必要とする状態にあつたと考えるべきであり(第三二回公判磯部証言197問答以下)そうであればこそ右後向一〇尺ロング採炭にあたり、本社保安部長から夕張鉱業所に対してその旨の指示がなされたと考えられるのである。(前同号の符号一七号、保安巡検報告に添付の指示書。)右のような指示が異例であつたか否かは別として、ともかく上層への漏風に細心の注意をしなければならない状況があつたために発せられたものであろう。

その二は、本件爆発直前における大気圧急降下の影響。すなわち二月二〇日一〇時ころ七三九ミリ(標準気圧七二五ミリ)であつた大気圧は翌二一日一四時ころ七一四、五ミリまで降下しその後上昇しはじめて事故当時の二月二二日九時ころ七二五ミリになり、以後爆発時まで安定していたことが認められるが(特別報告書添付資料(七)大気圧状況表)、このような気圧変動時には払跡内部のガス状態が不安定となり、とくに一旦降下した気圧が上昇する際には密閉や岩盤の亀裂などを通じて抗内の空気が払跡内に吸引され、これにふれた払跡内部の残炭の酸化蓄熱作用が促進されると同時に内部のメタンガスも薄められて爆発限界に達し易くなることは十分考えられるからである。これに対して、弁護人側主張のアーチ枠折損火花などによる着火爆発の事例は、実際の炭鉱災害の歴史をみても自然発火の場合に比べて、はるかに少数例のようであるし、さらにこのような着火源の可能性を被告人らが明確な形で主張するにいたつたのは、本件についての捜査が相当に進行したのちの時期であることなどを考えると、果してそのように主張すべき具体的な根拠をもつての主張であるかどうかについても些か疑念がないわけでない。

(二) アーチ枠折損による火花

しかしながら、これを詳細に検討してみると、証拠上、被告、弁護人らの右主張を全く可能性のないものということはできない。まず被告人宮崎、同和田の両名は公判廷で本件の着火源はアーチ枠折損による火花とみるべき可能性があると強調し被告人和田はその原因として山はね現象その他の説明をしているほか(宮崎上申書、和田上申書(一))、房村教授も当公判廷において、本件爆発の着火源が払跡内自然発火とみるべきことについて、後述するとおりの種々の具体的な反対証拠の存在を指摘したこととの関連において、本件爆発事故について明確な原因を判定することはできないが、鉄柱折損火花によるものとみるべき可能性があると供述している。(房村昭四四・一一・七日公判一七二問答(11))思うに坑内においてはアーチ枠や鉄柱カッペの折損・衝撃(たとえばカッペをハンマーでたたいたりするとき)などによる火花が着火原因となつてガス爆発をおこす例のあることは一般に知られている。(炭鉱保安係員実務教本二三六頁)など本件においても事故発生後まず第一にその爆源地と考えられたのは採炭中であつた右三、六尺ロングであつたがこの場合着火源としてはカッペの衝撃火花などが想定されたものと考えられるのである。しかしそれにしても衝撃・摩擦火花が着火源になる一般的な可能性はそれほど高くはないと考えなければならないであろう。

ところでこのようにたとえばアーチ枠折損による火花が着火源になる可能性が高くないという理由は、アーチ枠という鋼材の折損がまれだということ、と火花の着火力に疑問があるからであろう。ところが本件においては、爆発直後の右二入気坑道を見分した会社側係員のなかに、同坑道内崩落の手前天盤付近にアーチ枠の折損が生じていたことを現認した者がおり(証人福田・昭四四・八・二七日公判三七問答(9))、その供述によるとアーチ枠が斜めに折損して、その折損した個所が斜めに重なり合つたままずれたようになつていた、またその付近には天盤にクラックができていたというのである。右の供述は同人の捜査官に対する供述調書中にはあらわれておらず、公判においてはじめて述べられたので何故公判になつてから述べるに至つたかに疑念を差しはさむ余地がないではない。

しかし同入気坑道内には鉱務監督官をはじめ多数の者が見分している個所であるから、そのような場所のアーチ枠折損という事項について、あえて露見するかも知れない虚構を捏造してのべているとも些か考え難い。また同人の供述においては、アーチ枠折損のほか天盤クラックについてもかなりくわしくのべており、右の場所が地圧の影響を強く受ける場所でそのため中打柱も打たれていて天盤にクラックを生じても不自然ではないと思われることなどからすると右供述を全く信用できないとはいいきれない。

本件右二入気坑道付近について具体的に考えてみても、同所付近は採炭直後の後向一〇尺ロングのゲート側に位置していて、地圧変動を強く受けていると思われる個所であるから和田被告人が主張するような山はね現象がおこりアーチ枠折損などを生じたとしても格別不自然ではない。そこでかりに右のようにアーチ枠が折損していたとすると、鋼材のレールアーチが折損するというのは余程のことであろうから地圧等による異変が同抗内におきたのかも知れないと考えることもできる。アーチ枠折損の可能性は一般に少ないとしても、その少ない事故が右二入気抗道内でおこり、その場合のアーチ枠とアーチ枠又はこれと岩石との衝撃火花が着火源になる可能性はあつたと考えなければならない。

もつとも、前記福田証言によつても右アーチ枠折損の時期についてはもとより明らかでない。したがつて本件爆発直前に折損して着火源になつたのかあるいは爆発のずつと前から折損したままになつていたのか又は爆発後に生じたのか、いずれとも判断できない。福田証言を重視することはできないが、しかし被告人ら主張のアーチ枠折損火花説を全く無視することはできない。なお弁護人らは、そのほかにもいくつかの着火源をあげている。相被告人池の上申書に記載の、区劃密閉内における天盤崩落によるメタンガス混合気体に対する瞬間的断熱圧縮による引火、崩落の際の天盤の砂岩と残存鉄材の衝撃火花による引火、畑山平八郎の上申書に記載の抗内夫による、隠匿火薬に対する天盤崩落岩石の衝撃による引火など。これらの可能性はもちろん絶対にありえないということはできないが、稀有の可能性と評してよいであろう。

以上のように着火源に関する双方の主張を比較概観してみると、検察官主張の自然発火の方が、弁護人ら主張のアーチ枠折損などより、はるかに可能性が大きいと思われるが、しかし、弁護人ら主張の可能性も一概に否定し去ることができない以上、本件について、払跡内自然発火説を断定するためには、先にも述べたとおり、本件爆発前後における抗内払跡などの諸状況密閉観測結果などを詳細に検討し、果たして具体的に自然発火を起こすべき条件が存在していたかどうか、確実に自然発火が生じたことを裏付けるに足りる具体的な徴候などが存在したかどうか、或いはこれと牴触する情況がないかどうかを考察しなければならない。

二  自然発火を発生させる漏風とその徴候

4 自然発火を促進させたという漏風の経路について

払跡内残炭柱付近で残炭が自然発火するためには、それに必要な酸素の供給源として同払跡入気側から残炭柱付近を通り排気側に達する漏風経路がなければならない。通常の抗内通気圧のもとにおいては排気側のどこかに漏風の出口がなければ入気し難い。漏風入気の経路として本件で問題となるのは後向一〇尺ロングゲート方向と右二入気坑道方向との二つであり、そこから入つた漏風は残炭柱から距離の遠くない上添側目抜に排出されることになる。

入気経路についての検察官の主張は、当初の起訴状、冒頭陳述等においては右の双方であるとしていたが、論告においては、公判における証拠調の結果一〇尺ロングゲート方向からの漏風の疑いは薄らいだと判断し、同方向からの漏風は払跡内部のメタンガスを爆発限度まで薄める役割をはたしたので無関係ではないが、自然発火をもたらす直接の漏風経路となつたのは、むしろ右二入気抗道密閉方向からであると意見を変更している。また排気経路については、起訴状では七目抜から一〇目抜に至る各目抜とされていたが、これについても論告中では一部意見を修正し、八目抜、九目抜付近であつたとしている。そこでまず、右指摘の経路に漏風の生じた具体的な可能性があつたかどうかを検討してみる。

(一) 後向一〇尺ロングゲート方向

鑑定人伊木教授、同磯部教授はともに後向一〇尺ロングゲートからの方が検察官の主張する右二入気坑道方向からよりも残炭柱付近に漏風し易い条件下にあつたろうとの見解を示している(伊木・昭四四・七・九日公判一二二問答、同四五・五・二三日公判一二〇問答、磯部昭四四・五・一九日公判六一問答)のであるが同教授らがこのように漏風の可能性が高かつたとされる一〇尺ロングゲート方向には漏風の形跡があまりなかつたことを検察官も認めている。

(1) ところで後向一〇尺ロングゲートの位置が六尺ロング残炭柱付近の直下にあたることは前述のとおりである。このような場合、残炭柱下層の一〇尺ロングゲートに坑道をもうけ、付近の採炭を行なつて残炭柱の下層を払うと天盤が支保を失つて崩落し、そのあとに更にその上層が崩落するということを繰りかえすため、払跡と上層との中間部(合盤)の厚さが十分でないときには、時に上層と下層とが一部貫通したり、あるいはこれに亀裂などを生じ、そこから漏風する可能性を生じ易い(そのため累層採炭にあたつてはまず上層を払い、その後相当の日時を置いて払跡が崩落で充填され安定したのち下層を採炭するという方法が通常とられる)。本件においても一〇尺層採炭により同払跡天盤を崩落させ亀裂等を生じさせるおそれがあつたことは否定できない。ただ本件一〇尺ロングは約四〇度近い真傾斜をもつ炭層の払跡であるため、払跡内で天盤から崩落したずりは、この傾斜にそつてゲート側に転落してゆく傾向が強く、そのため一〇尺ロング払跡の上添側ではずりがたまりにくく、充填され難いので天盤が高くまで崩落し勝ちである反面、ゲート側ではずりのたまり方がより早く行なわれるので天盤が早期に支保され崩落も少なくてすむという傾向があると考えられる。また一〇尺ロングゲート抗道肩側、すなわち、払跡との間には粘土巻、帯状ずり充填が行なわれていたことが認められるので、これも手伝つて天盤の支保が他の場所よりよく行なわれる状態にあつたらうと言うことができる。また、六尺ロング払跡と一〇尺ロング払跡との合盤の厚さがゲート付近すなわち残炭柱下部付近では約六ないし七メートル、上添側では約四メートルであつて、ゲート側の方が厚かつたと認められる。

このような点を考え合わせると、一〇尺ロング払跡の中で比較する限り、残炭柱下部にあたる同ロング払跡ゲート側は同ロング払跡上添側よりも天盤支保の状態も天盤自身の状態もともによく、したがつて亀裂を生じにくい個所にあたつていたろうということができる。

畑山上申書(1)では、この点について、払の高さが同ロングのように約二メートルのときは天盤は約二、五メートル位崩落するにすぎないとしてその根拠を岩石増積率(1.8と仮定)などにより説明し、あるいは、同人が経験している同一〇尺ロング採炭時の天盤はれ方の実状を指摘し天盤が一ないし一、五メートルはれる頃にはゲート側から三〇ないし四〇メートル上添側に寄つたあたりまでは既に充填が仕上る状態であつたと説明し、いずれにせよゲート付近の天盤に亀裂を生ぜしめる具体的なおそれはなかつたと強調している。しかし同ロング上添寄りで崩落した天盤がゲート側に転落してくるのにある程度の時間がかかることもありえようし、また常に順序よくゲート側から充填されるとも限らないであろうし、従つてゲート付近の天盤に亀裂を生じるおそれが全くなかつたとは考えられない。

検察官は逆に昭和三九年八月の旧自然発火によつて生じた一酸化炭素が長期間上添目抜に排出されていたことを根拠として、六尺ロングや一〇尺ロング程度の傾斜層ではゲート側の自然充填がより早く、進むといつても通気を遮断するほど気密性の高いものではないと主張している。しかし、残炭柱付近への漏風の可能性に関するこゝで当面問題としているのは崩落による充填の気密性ではなく崩落充填による一〇尺層天盤支保の力、すなわち天盤を天盤として保ちこれによる通気遮断の効果を維持するためにはこれを支える充填はどの程度でなければならないかの問題である。したがつて旧自然発火時のように崩落充填のみによつて払跡内の通気が遮断されているにすぎない場合と、本件一〇尺ゲート付近のようにむしろ天盤が遮断物となつている場合とを比較することはできない(また旧自然発火の際には、突然のことであつたためゲート抗道のアーチ枠は未回収であり、切羽面には通気路として使用中であつたため支柱が残されていて崩落しにくく、一酸化炭素が検出されていた一〇目抜、一一目抜、一二目抜はその直上上添側の位置にあつたという事情の相違も考慮しておかねばならないであろう)。

このように考えてくると、後向一〇尺ロングの採炭により同ロング天盤に亀裂などを生じさせる可能性が全くなかつたとは言えないがともかくその可能性は、ゲート側よりも上添側においてより大きかつたと認められ、したがつてゲート側に亀裂を生じているようなときには上添方向に亀裂が生じている可能性はより高いということはできよう。

(2) ところで右のような考え方を前提にすると六尺ロング残炭柱付近はマイナス一一八メートル、後向一〇尺上添はマイナス五二メートル(特別報告書添付資料(二)古洞図・畑山・上申書(六)水位実績グラフ、畑山・検面・昭四〇・四・二二日付添付の炭層等高線図)の位置にあたつているから、六尺ロング払跡内を同ロング上添側に上昇してゆくガスの一部は主要扇風機の負圧により引かれて、上昇の途中の六尺ロングと一〇尺ロング間の上添側に生じているはずの亀裂を通して一〇尺払跡内に流れ、同ロング材料卸方向に引かれて出てくる可能性があるものと考えられる。したがつて残炭柱付近で亀裂を生じ自然発火が進行していたものとするならば、これによつて生成された一酸化炭素、臭気、温度の上昇した気体や煙などの徴候の少なくとも一部が一〇尺ロング材料卸方面で感知されることになるように思われる。ところが、その頃同方面を巡検した保安係員(二月二〇日三方は加賀谷・二月二一日一方は高橋・二月二二日一方は加賀谷)の中には、右の徴候を感知した者はいないし、本件爆発事故当日である二月二二日一方一番方で後向一〇尺ロングの材料回収のため同方面に入抗していた作業員で、これを感知したものもいない(加賀谷・検面昭四二・五・二三日付、高橋・検面昭四二・五・二三日付、証人兵藤・昭四四・八・二七公判)。さらに事故後の二月二五日玉山鉱務監督官らが実況見分のため同一〇尺ロング材料卸、同上添坑道まで入坑調査したときにも、格別異常はなかつたとされており、(実況見分調書、証人玉山・昭四三・一一・二六日公判二九七問答)これらによれば、同方向に前記のような影響が及んでいなかつたのではないかとの見方が生ずる。

この点について、伊木教授は「右の徴候が後向一〇尺上添坑道に出て来て感知されることは十分ありうる。しかし自然発火の規標、払跡の崩落の状態によつてはあらわれなくても不思議ではない。」(伊木、公判鑑定書一三項)とか、あるいはは同方向に徴候は出たけれども感知されない程度だつたということもあり得るとする(伊木・昭四五・五・二二公判・一三七問答)。もとよりこのようなこともありえようが、感知される可能性が十分存するのに、感知されなかつたという事実は払跡内部での自然発火説にとつて一つの消極的資料であることはいうまでもなく、このことは同教授も認めている(伊木・昭四四・五・一〇日付公判調書一〇五問答)。

更にまた、内部で爆発という大圧力の生じた事故後においてすら、右の方向にその徴候があらわれていなかつたことは前述のとおりであるが、そうであるとすれば爆圧のかからない平常時の坑内通気圧差のもとにおいては、より一そう天盤箇所を経由する漏風の可能性は少なかつたであろうとの見方が生じてくる。

(3) つぎに、かりに坑内における通常の通気圧差のもとにおいて漏風が生じるような径路が後向一〇尺ロングゲート側にあつたとすると、払跡内部での当初の爆発時にはこれと比べものにならない位大きな圧力が六尺ロング払跡内から外部に向つて加わつたわけであるから、その爆風爆炎は当然右の漏風を生じていた筈の弱少部分を逆流して、一〇尺ロングゲート方面に現われ、噴出による諸痕跡をこの方向に残している筈と考えられる。

鉱務監督官らによる実況見分の結果によると、一〇尺ロングゲートには漏斗立坑から約五〇メートル奥部付近に二枠間の崩落があつたこと、その上部に空間があり、通気はあつたが、通行はできず、奥部を現認することはできなかつたけれども、現認された範囲内では、中打柱の下方に厚く、上方に薄く、板状コークス状のものが顕著に付着していたほか、同所付近に火炎のよどんだ形跡がある等の事実が確認されており(実況見分調書三二丁裏)、この個所も爆炎の影響を受けていたと考えられる。しかしそれが一〇尺ゲート天盤から噴出して来た影響によるものか、あるいは最上ベルト斜坑から右二盤下坑道を奥に進んだ爆炎の一部が到達した影響によるものかについては、決め手となる証拠は全くない。

検察官は右二入気坑道方面に残された影響と照合してみると、噴出したとすれば同入気坑道方向、従つて、むしろ後者と考えられるといい、伊木、磯部、両教授の見解もほぼ同様であるとしている。しかし、そうだとすると漏風経路となる亀裂があつたのに、その方向に何故内部爆発の影響が出なかつたことになるのか疑問が懐かれる。

このように考えてくると、残炭柱付近への漏風入気経路としては、後向一〇尺ロングゲート方向の方が右二入気坑道方向からよりも一般的には可能性が高いと考えられる地形にあるけれども、具体的な証拠関係からみると、一〇尺ロングゲート方向からの漏風入気があつたことを示す痕跡は殆んど認められないといつてよい。

伊木・磯部両教授の意見にもかかわらず、検察官がこの方向からの漏風を強く主張していないのもこのような理由に基づくものであろう。

(二) 右二入気坑道方向

検察官が漏風経路として右二入気坑道方向を重視していることは前述のとおりであるが、その理由はこれを裏付ける具体的直接の証拠があるからではなく、同坑道内でおこつた爆発ガス源、着火源からみてそのようにしか考えられないからという点にある(論告要旨七七頁)。

ガス源、火源からの推定については、前記該当個所でのべたので、こゝでは右二入気坑道奥の密閉と残炭柱間の充填状況などに漏風を生じさせる事情があつたか否か、あるいは漏風経路の推定を否定するような事実が認められるかどうかについて検討しておくことにする。

(1) 右二入気坑道奥密閉部と残炭柱付近との距離は約五〇メートル前後でその区間はかつて坑道であつたが、昭和三九年六月末右の密閉が構築され、またこれに先立つてその奥部の坑道アーチ枠も殆んど回収されて自然充填がはかられているので、これらによつてその全区間は一応遮断される状態になつていたと思われる。同密閉は木煉瓦密閉であり、その奥に約一メートルの木積をし、内部にずりや岩粉をつめて実木積とし、さらにその奥部にアーチ枠六枚分を残した約五メートル位の厚さにわたりずり充填が行なわれた密閉である(証人畑山・昭四四・二・一三日公判三三問答、同添付図、斎藤、検面・昭和四二・五・二三日付)。ところで同所付近は、払跡(六尺ロング払跡)との関係で深側に当ることなどのため盤圧が強く、アーチ枠回収時において既に坑道の下盤の盤ぶくれがはげしく、坑道空間が狭くなり、腰をかがめて作業する状況であつた。その後本件爆発までに七、八ケ月の期間を経ているが、七、八ケ月というこの期間を廃棄坑道の充填という面からみると、その間にかなりの充填が進んでいたように思われる。また、盤圧の強い個所では、コンクリート密閉などを構築すると密閉自体は強固で亀裂を生じにくいが、かえつて密閉周辺の岩盤の方に亀裂を生じさせ、これが漏風経路となるおそれがあるのに対し、木煉瓦密閉の場合には密閉自体はコンクリートより弱いが、周壁からの盤圧により密閉が圧縮されてくると、木材の可縮性により、かえつてよくしまり、気密性が高くなる利点があると同時に、周囲の岩盤にも亀裂を生じさせにくいという利点があると言われている。その他右密閉部と残炭柱の中間の箇所(第一漏戸密閉付近)が相当強い勾配になつていたことなどを考えると、本件爆発を生じた昭和四〇年二月頃には前記の残炭柱に至る区間の充填は、全体としてかなり進んでいたと考えられる。しかし、だからといつて、このことだけを理由にして漏風がなかつたとの結論を出すのは(房村鑑定書・二三頁・証人畑山・昭四四・三・一一日公判一七八問答)即断といつてよいであろう。同密閉奥部は元来坑道だつた箇所であつて空間が狭いためかえつて側壁により天盤がよく支えられ、払跡などと比べると崩落しにくく、天盤ぎわに空間を長く残し易いと考えられるし(伊木・昭四四・七・八日公判・一五八問答)また木煉瓦密閉のときでも固壁に亀裂を生じないとは言えないし(磯部・昭四四・五・一九日公判・四三問答)、さらに木煉瓦密閉は、完成後六ケ月以上もたつと密閉部自体に亀裂などの痛みを生じ易くなる傾向もあるといわれているから(証人境田・昭四四・三・二八日公判二九〇問答)、こうした理由による漏風も考えられなくはない。(被告人宮崎・同和田の両名が捜査官に対する供述調書中で右区間の漏風の可能性を否定し切れなかつた理由のなかには、このような事情も存したからではないかと思われる。)

(2) そこでつぎに、爆発事故前までの同密閉の入排気の状況が実測結果でどうなつていたかをみると、同密閉構築後しばらくの間は、入気であつたが、その後、昭和三九年八月の旧自然発火対策として六尺ロングゲート坑道第三漏斗立坑方面に密閉が構築されたのちは、ほぼニュートラルとなり、無風かやや入気と判断される状態になつたとされている(証人畑山・昭四四・二・一三日公判・二九三問答)。ここに密閉構築後しばらく入気だつたというのは、それが払跡を通つて上添側に漏風していたからではない。すなわち旧自然発火が生じる前までは、同ゲート奥部で右二、六尺ロングの払面に通じる通気がなされていて、これが一一目抜方向に排出されていたのでその負圧が右二、六尺ロングゲートを通じて右二入気抗道奥の密閉にかゝり、そのため入気となつていたわけであつたと考えられる。

したがつて旧自然発火対策として右の負圧のかゝる経路途中に密閉(別紙3、略図中番号29、24、無番号の各密閉)をもうけ、また一一、一二目抜にも密閉が完成したことにより負圧がかかりにくくなるので以後ニュートラルになるというのも当然のことと理解される。それが更に七、八ケ月の期間を経過すると充填がかなり進むこと明白であるから、事故前頃に殆んど無風と判断されたとしても、それらの質料の殆んどが一致している本件においては、一応自然のなりゆきとして理解することができるであろう。

ところでこのように同密閉がニュートラルであつたという根拠は密閉観測に際し、観測管の木栓を抜いた場合の状態であるから、木栓を閉じた状態での漏風の可能性ないしその量はこれよりも極めて少ないといつてよいであろう。もつとも検察官は、同密閉の入排気が無風を示していたといつても、観測管の密閉内部の末端部付近が崩落ずりの中にうずもれて観測管が正常に作用していなかつただけではないかとも言つている。観測管は坑道の中間位の高さにとりつけられていたから(密閉記録簿前同号符号一五号)天盤付近より早く充填される部分に当つており、その天盤に近い部分が密閉構築の順序からも崩落の順序からみても弱いことは明らかなので、観測管ではニュートラルであつても、密閉天盤部で漏風しているということが全くないとは言えないかも知れないが、右のように相当期間が経過し、従つて地圧により圧縮された密閉については、そのようなこともあまり考えられないし、またそうであればこそ、右のような密閉構築の方法が炭坑で広く用いられていると考えられるのであるから、右の測定結果が疑がわしいとする何らかの理由でもあれば格別、そうでないときには一応の資料として評価するのが当然であろう。

(3) ところで右二入気坑道方向からの漏風を考えるときには、同方向から何故密閉構築後八ケ月近く経つた右の時期に生じたのかを考えねばならない。つまり同入気坑道密閉部から残炭柱付近に至る間は密閉、廃棄坑道部とも圧縮充填が進み、全体としては日時の経過とともに漏風しにくくなる箇所と考えられるが、そうだとすると密閉構築後八ケ月近く経つた右の時期になつて何故漏風することになつたか、漏風を生ずるならもつと早い時期に漏風していてよさそうなものと考えられないかという疑問が生ずる。右について、検察官は、あるいは本件爆発直前の大気圧の降下による影響をあげるかも知れない。しかし、一方では本件自然発火をもたらした漏風が上添八目抜九目抜にあらわれはじめたのは二月初めの時期であるというのであるから、これによれば、大気圧降下よりはかなり前の時期に、これと無関係に漏風がはじまつていなければならないことになるから、他に別個の理由がなければならないことになる。ところが他にこの点を説明しうるような理由は見当らない。ひるがえつて考えるのに、残炭柱付近として後向一〇尺ロング採炭が三九年一〇月五日にはじまり、その切羽面が同一一月頃残炭柱の下層を通坑過した時期関係からみて、本件発生前頃は、右採炭の影響を最も受け易かつた時期でありこうした全体的な周囲の状況からみても一〇尺ロングゲート方向からの入気ということの方が右二入気坑道からの入気よりも考えられやすかつた筈である。それにも拘わらず一〇尺ロングゲート方向については前述の疑問があり、そのため右二入気坑道方向と考えてゆかねばならなくなつた点にすでに立証上の難しさが内包されていたことを感じさせられる。

(4) また、残炭柱付近での小爆発により、払跡内の濃厚なガスが右二入気坑道に押し出されたと説明されている点にも同様の疑問がなくはない。残炭柱付近で爆発したという以上、同所付近のガス濃度は爆発限界にまで薄められていることが前提であるが、この爆発により濃厚なガスが右二入気坑道に押し出されるためには、右二入気坑道密閉奥部と残炭柱付近の爆源地との間の廃棄坑道内にその濃厚なガスが滞溜していると考えねばならなくなるだろう。そしてこの廃棄坑道部のガスを薄めず、しかもその奥部のメタンガスを爆発限界にする漏風経路ということになると、後向一〇尺ロングゲート方向からの入気と考えなければならなくなる。それを、右二入気坑道方向からの漏風入気と主張した場合には同密閉奥部付近には爆源地よりさらに濃度の低いガスしか滞溜していないということを前提とすることになり、それなのに何故濃厚なガスが押し出されたのか疑問がないわけではない。

(三) 後向一〇尺ロングゲート方向からであれ、あるいは右二入気坑道方向からであれ、右二、六尺ロング払跡に入気するからには、同ロング排気側の上添目抜に漏風の出口がなければならない。そして同払跡のように傾斜した場所では、ガス分布上比重の軽いメタンが浮上して上添側に多く滞溜する傾向にあると考えられるので、漏風の影響が排気側に達した場合、密閉内のガス組成上ではメタンの減少、酸素、窒素、一酸化炭素等の変動としてあらわれ(この点については別項で検討する)密閉外においては、メタン濃度の高いガスの排出となつてあらわれる。しかし密閉外では通気量が多いので、漏風経路から出てきた筈のメタン増加が直ちに通気中のメタン濃度の変化を招来しない場合もあろう。

弁護人らは、本件事故直前の二月一四日実施のガスコンターにおいて、右二排気坑道内の本向、一〇尺上添目抜前におかれた測点と右二切替排気坑道におかれた測点との間で扇風機停止前のメタン濃度が共に一、〇%で同じであつたこと、その中間に九目抜が位置しているが、同目抜内のメタンは当時一、〇%より多かつたので(炭じん並自然発火処理簿・二月分前同号の符号二三によると一〇%検定器でスケールアウト、ガス分析成績綴前同号の符号二三によると二月一〇日・六九、一%・二月一七日・四九、五%)もし同目抜からも漏風していたとすれば右二測点間において通気中のガス濃度が上昇変化をしていなければおかしいことを主張している。ガスコンター時のガス測定結果が右のとおりであつたことは明らかであり(特別報告書添付資料(ハ)ガス濃度特別調査図)また同測定は性質上厳密に行なわれるので、その測定値は一応信用性が高いと考えられるし、また磯部教授も弁護人の主張と同旨と受けとれる供述をしていること(同・昭四四・六・二五日公判八二問答)などを考えると、右の主張もあながち根拠がないと言えないが、しかし以上の資料のみによつては八目抜からの影響は不明のままであるだけでなく、何よりも流出メタン量を同所付近の通風量(前記添付資料(ハ)によると二八〇立方メートル)と比べてみると、通風量自体としては多くないにしても漏風量からみれば相当多量であり、そのなかにわずかに混入するメタン増加を正確に測定することができるかは疑問と判断される。

たゞ、八、九目抜付近に漏風の出口があつたとする検察官の主張にとつては、すでに漏風しはじめていたとされている二月一四日にガスコンターという厳密な測定がなされたのに、九目抜に漏風の徴候というべきものが認められなかつたという意味において一つの消極的資料に算えることができよう。

つぎに、弁護人らは、ガス抜ブロアーの負圧変動の前後で密閉内の負圧差が敏感に変動していること(上添密閉水柱状況・前同号の符号一〇、被告人和田・上申書(一)添付表)、この点についての磯部教授の意見(同昭四四・九・一六日公判一二〇問答)などからみても、同密閉はよくきいていたことが判るから、同密閉に漏風の出口があつたというような状況は認められないとも主張している。しかし、同上添目抜密閉全般についての傾向として、右のように言えるとしても、密閉の負圧差が現実に変動を示した程度は各密閉によつて異なり、位置もそれぞれはなれているのであるから、これを根拠として直ちに八目抜、九目抜から漏風していなかつたとまでは認め難い。

5 爆発前における右二、六尺ロング上添目抜のガス分析結果

残炭柱付近への漏風があり、石炭の自然発火が進行した場合、その徴候を最も早く確認することができるのは、同払跡上添側目抜のうち、残炭柱に距離の近い目抜である。漏風により自然発火を生じたとき、通常一酸化炭素や自然発火臭が漏風経路にそつて排気側目抜にあらわれる。また自然発火が進行しメタンガスの着火点である六〇〇度近くまで成長したときには自然発火個所の付近の気体が温められ排気側に流れてくる気流の温度も上昇すると考えられる。

ところでこれらの徴候の有無の検討にあたつて考慮に入れるべき事項がある。その第一は自然発火の諸徴候のすべてが明瞭な形で同時的に排気側で観測されるとは限らないとしても、これらの徴候が漏風路と全く別個の方面に現われるとか、或いはいくつかの徴候が脈絡なく現われる。すなわち一酸化炭素だけが一つの箇所に現われ、別の箇所で臭気だけが現われ、さらに他の別の箇所で温度の上昇が認められるというように、脈絡なく発現するということは不自然であり、そのような場合には直ちに自然発火の徴候と推断することなく、他の原因による可能性を考えてみなければならないであろう。当初の検察官の主張は、起訴状によると、漏風は七目抜を中心にあらわれ、一酸化炭素は九目抜、本向一〇尺上添目抜、一〇目抜にあらわれたというような主張であつたが、論告においては漏風も八目抜、九目抜に現われていたというように意見の訂正をしている。

第二に、本件における特別な事情として、六尺払跡内ゲート方向、第三漏斗立坑付近に旧自然発火個所があり、この箇所からも本件爆発当時なお一酸化炭素や臭気が発生し続けていたと窺れる形跡のあることであつて、この旧自然発火箇所から、かつて発生し又は発生しつつあつた一酸化炭素や臭気の移動の可能性ということも考慮しなければならない。残炭柱に近い排気目抜に一酸化炭素や臭気が発現したにすぎない場合、それが果して新自然発火による徴候であるか又は旧自然発火箇所から流動したものにすぎないかについて慎重な検討を要する。

そこで以下、漏風経路と主張されている排気坑道目抜の爆発前のガス分折結果に自然発火の徴候が現われていたかどうかを検討すると、残炭柱付近の自然発火の徴候であると考えうるものは殆んど認められない。(なお以下で検討する各徴候相互の関係については、別紙5「右二排気側目抜の変化」参照。)

(一) 一酸化炭素の検出

新自然発火の徴候であると起訴状で指摘されているのは一〇目抜、九目抜、一〇尺添目抜にあらわれた各一酸化炭素である。

(1) 一〇目抜の一酸化炭素

一〇目抜密閉で二月一七日に〇、〇一八%の一酸化炭素が検出された。同目抜では昭和三九年八月の旧自然発火以来引き続いて一酸化炭素が検出されていたから、右のように一酸化炭素が検出されたこと自体は格別異常ではなかつたが、その分析値がそれまでは多くても〇、〇〇四%程度であつたのに比べると一躍急増している。

検察官は、右の増加を起訴状では残炭柱付近での新自然発火発生の徴候であるとし、その後漏風経路を九目抜、八目抜とする前記の考え方を明らかにしたあとにおいては、漏風路から外れてあらわれたことになるので当初主張したような意味で自然発火の徴候とは言えなくなつたとしながらも、なお疑問をとどめている。

ところで右の一酸化炭素が残炭柱付近での新自然発火により生成されたものであるかどうかは一酸化炭素検出時頃のその他の気体組成の変動の有無によつてある程度推測することができるといわれている。払跡内で残炭が自然発火するに足りる漏風があり、かつそこで生成された一酸化炭素が排気側に運ばれてきて検出されるのならば、一酸化炭素の検出時までに酸素、窒素、炭酸ガス等も大なり小なり変動しているのが普通ではないかと考えられるからである。そこで二月一七日とその前のガス分析時である二月九日、二月三日の各分折値を対比してみると、別紙6「右二、六尺上添各目抜分析表」のとおり、同目抜では他のガス組成は殆んど変化していないだけでなく、漏風があればこれによつてもつと増加している筈の酸素、窒素、などの濃度が極めて低いことが判る。その他自然発火の際に生じる炭酸ガスもほぼ変らず、管内気流の温度にも変化がない。こうした点を総合して考えると二月一七日に一〇目抜で検出された一酸化炭素は新たな自然発火によるものではなく、むしろ旧自然発火により生じたものと推測され、伊木・房村両教授の意見もこの点についてほぼ一致している。(伊木・起訴前鑑定書一八頁、同四四・五・九日公判二四〇問答・房村鑑定書六五頁)。

これに対し検察官は同日の右一酸化炭素が二月九日、二月三日同様旧自然発火により生じていたものだとすると何故右の一七日に限つて大量に出たのかその原因が判らなくなるとのべ、これに対し弁護人は右数値は分析の誤りに起因する異常数値にすぎないと反論している。ガス分析の結果について安易に分析の誤りなどと考えることはできないが、しかし右のガス分析を行つていた鹿の谷分析所では、これまでにも同一時刻、同一目抜から採取したガス分析値が一酸化炭素に関して大巾に異なつていた事例がかなりあつたことが認められ(畑山上申書第七)それは分析用サンプル管の洗浄不良、当時用いていたグラハム式分析方法は分析結果の正確性が必らずしも高くないこと、分析に伴う人為操作過程での誤りを全く排除できないことなどの原因によるものと考えられること、徴量の検出を要求される一酸化炭素については、一般的に他のガス測定よりも誤差を生じやすいと考えられることなどによると分析の誤りがなかつたともいい切れない状況である。なお弁護人らは右一七日に一酸化炭素が検出された際これを確認するため翌日和田被告人らが北川式検知器を携えて同目抜に赴き密閉観測をしたところ、その際には一酸化炭素はトレースであつたから右は分析誤りであるとの主張をし、一部これに沿う供述もあるが(証人福田昭四四・八・二七日公判・一二七問答、証人川内・昭四四・四・二五日公判・八八問答)右観測の結果が正確な記録として残されているわけではないし、また同被告人が右の検査をしたものならばそのことが、捜査段階でのべられてもさよそうに思われるのに同被告人の供述調書によるとこれを主張したような形跡も見えないのであつて(同被告人・検面・昭四二・六・一二日付にもふれられていない)、現時点ではかりに右測定をし直した事実があるとしても、その際の正確な測定値を知ることができず再測定の結果を根拠として前記一酸化炭素は分析の誤りであると判定することもできない。結局旧自然発火による一酸化炭素が何故二月一七日に急増したかの原因は本件証拠上まだいずれとも判別し難いというほかない。

それはともかくとして二月一七日一〇目抜での一酸化炭素をもつて残炭柱付近における自然発火の徴候と断定することはできない。

(2) 本向一〇尺上添目抜の一酸化炭素

同目抜でも二月一〇日一酸化炭素が検出された。この一酸化炭素と新自然発火との関連性について検察官は起訴状では積極的な徴候として根拠の一つに掲げていたが、証拠調の結果、論告では、その意見を訂正し「関連性がないと断定するまでの資料もないが関連性に乏しい」としている(再論告要旨第六項)。したがつて、右の一酸化炭素を本件残炭柱付近における自然発火の徴候という観点から検討する意味は余りない。ところで同目抜では一月二一日にも一酸化炭素の検出がされているが、その間殆んど内部気流の変動はなく、酸素が約一%位という低濃度で安定しているところからみると、右の一月二一日あるいは二月一〇日に検出された一酸化炭素は旧自然発火により生成されたものと考えるのが自然であろう。そうだとすると、旧自然発火個所である六尺ロングゲート付近で生成された一酸化炭素が六尺ロング払跡を上昇する途中において一〇尺ロングに浸入しうる個所、つまり一〇尺ロングの天盤に亀裂を生じて両払跡が通気し合つている個所のあることが考えられねばならないことになる。そこで同ロング採炭終了時の状況を見ると同ロングでは昭和三九年九月終掘直前、同ロング上添部分でその天盤に六、八尺層の炭層が露出していたのが目撃され、亀裂、崩落等で六尺ロング払跡に通じる虞れが生じたため、同所付近に岩粉袋詰(証人川内・昭四四・四・二六日公判・六七問答、密閉記録簿中二〇枚目の図面 前同号の符号一五号)を行なう必要が生じ、さらに上添側に密閉を構築したが、九目抜において一酸化炭素が検出されなくなつた同年一〇月二日以後においてもなお一〇尺添目抜では引き続いて検出されていたので、こうした経過によれば本向一〇尺ロング上添部で同払跡と六尺ロング払跡とが通じ合い、それが前記一、二月頃にも封鎖されていなかつた可能性がかなり存することを認めなければならない。

検察官は本向一〇尺上添目抜で分析された一酸化炭素は、一〇尺ロング払跡内に滞溜していたものというが、同目抜にあらわれた一酸化炭素がすべて同一〇尺ロング内に滞溜していたというのならばともかく、そうでなく一月二一日、あるいは二月一〇日に分析された一酸化炭素だけが、同払跡内に滞溜していたとして区別する程の理由は本件には見当らない。

このようにして本向一〇尺ロングと六尺ロングの各払跡間が通じ合つていた可能性が高いという事実は次項で九目抜にあらわれた一酸化炭素の検討をするにあたり無視できなくなる点である。

(3) 九目抜の一酸化炭素

九目抜では二月一〇日、一七日の両日続けてトレース量の一酸化炭素が分析された。同目抜では一酸化炭素は前年の九月三〇日、一〇月二日に各トレースの分析がされたのを最後として以後消失していたのであるが、前記の両日再び続けて検出されたことは間違いなく、その頃に同目抜付近に一酸化炭素があつたことを示している。

一酸化炭素検出時の他のガスの分析値の変動を見ると、二月三日と同一〇日との間では漏風の徴候はあらわれていないが、二月一〇日と一七日との間では、酸素、窒素が増加し、メタンが減少していて漏風の徴候を示している。検察官はこのように漏風の徴候とともに一酸化炭素も検出されたこと、その時期が旧自然発火による一酸化炭素が検出されなくなつてからかなり長期間経ているので別個の原因によると考えられることなどを理由として、漏風徴候の認められなかつた二月一〇日の一酸化炭素も含めてこれはともに残炭柱付近で新たに自然発火を生じたことによるものと考えるべきであると主張する。

たしかに右の点については、一〇目抜、一〇尺上添目抜の場合とは異なつており、漏風によつてあらたに残炭の酸化が促進され、その結果一酸化炭素があらわれたのではないかという主張には一応の理由がある。しかし、右の酸化促進の徴候が残炭柱付近の自然発火の影響を反映したものと考えられるかについては、つぎに述べるような疑問がある。

(イ) 残炭柱付近での自然発火を否定している房村教授はともよりであるが、起訴前の鑑定書で当初自然発火を推定していた伊木教授とも、九目抜の一酸化炭素は残炭柱付近の新自然発火によるものとは考えられないとの点では意見が一致している。(伊木・起訴前鑑定書・一七頁・房村鑑定書・六四頁)

したがつて、これに対する十分の反論なしに、残炭柱付近の自然発火の徴候と考えることはできない。

(ロ) かりに残炭柱付近で自然発火を生じ、それによる一酸化炭素が上添目抜にあらわれるとすれば、残炭柱の直近上方の位置にある六目抜、七目抜の付近にまず第一にあらわれ、その後順次奥側目抜方向に広がつてゆく順序となる可能性が強いと考えるべきであろう。残炭柱付近からの距離をみると、九目抜の方が6.7目抜より、かなり遠いことになるが、払跡内では距離が遠くなるに従つてその間の崩落充填が大きな通気抵抗となる。もつとも主要扇風機による風圧は、同扇風機に近い九目抜の方が6.7目抜よりも近いだけ大きく作用するが、その差は払跡内の通気抵抗に比べればはるかに僅少なものと考えて差つかえないであろう。

(畠山上申書(七)) あるいは右二、六尺ロングの採炭時期、逆に言えば天盤崩落のはじまつた時期との関係で6.7目抜付近と九目抜付近との間では、約七ケ月前後の遅れがあるので(特別報告書添付資料(二)古洞図)、6.7目抜方向の充填が早くすすみ、一酸化炭素も通りにくいということも考えられるかも知れない。しかし、残炭柱付近で生じた一酸化炭素が九目抜だけにあらわれ、九目抜よりも近い位置にある目抜のどれにも全くあらわれていないこと、とくに右一酸化炭素を生ずる漏風の経路であつたと主張されている八目抜にもあらわれていないのに、これより遠い九目抜にのみあらわれるということは納得し難い疑問が残る。

とくに伊木起訴前鑑定書も指摘しているとおり、本向一〇尺ロング始発部と後向一〇尺ロング始発部との間には約五〇メートル前後にわたる未採堀一〇尺層が残されており、そのためこの部分の上層にあたる六尺ロング払跡の充填が密になり易く、その間の通気抵抗はかなり大きいと推認されることを考えると、新自然発火に伴う一酸化炭素が九目抜にのみ現われたという見方にはより一層の疑問がある。(伊木・起訴前鑑定書・一八頁)。

(ハ) また右のような払跡内の距離関係、充填密度の関係にもかゝわらず、残炭柱付近で発生した一酸化炭素が前記の未採一〇尺の上層にあたる六尺ロング払跡を通過して、九目抜方向に達したものとするならば、九目抜より残炭柱に近い位置に本向一〇尺上添目抜があり、六尺ロング払跡とが通気している可能性の高いこと前述のとおりであるから、まず本向一〇尺上添目抜に先にあらわれてもよさそうに考えられる。

ところが同上添目抜にあらわれた一酸化炭素については、これを新自然発火の徴候と見ることができないことについて、すでにのべた通りであるとすると、こゝにも疑問が懐かれる。

(ニ) また残炭柱付近から九目抜に一酸化炭素があらわれたという時期についても疑問がないわけではない。すなわち残炭柱付近でまず漏風があり、それが自然発火をもたらして一酸化炭素を生じさせたとすると、観測結果においてもまず漏風の徴候があらわれ、ついで一酸化炭素が検出されるという順序をたどるのが通常であろうと考えられるが、九目抜では二月一〇日まだ漏風の影響があらわれているとは見られないうちに一酸化炭素だけ先に現らわれているからである。漏風があつても酸素は残炭の酸化に消費されるから、ガス分析のうえで酸素が常に増加するとは考えられないかも知れないが窒素は燃焼等に関係しないので、その変動を見ると、漏風の有無が判る筈である。

二月三日における同目抜での窒素量は極めて少く、一酸化炭素のあらわれた二月一〇日には増加するどころかかえつて減少している。こうしてみると、漏風の生じる前に一酸化炭素だけがあらわれているのはやはり不自然に思われる。

(ホ) それでは九目抜において前年一〇月初めから検出が中断していた一酸化炭素が何故右の二月に再び出はじめたと考えられるか。

従前一二目抜、一一目抜方向に出ていた旧自然発火による一酸化炭素が同目抜において右の時期に増加したという形跡はない。しかし、一〇目抜では二月九日と一七日の間において一酸化炭素が増加したように見えること前述のとおりであり、一〇目抜で増加したとするとこれは9.10目抜に関連する付近の払跡内に何らかの変化が生じ(たとえば天盤崩落など)それによつて両目抜に生じた一連の影響の結果とも考える余地がある。また二月一〇日頃後向一〇尺材料卸に調量戸をもうけたことによる七目抜方向の影響とも無関係と言えないかも知れない。この点については後述する。

このように検討してくると、九目抜で二月一七日検出された一酸化炭素は、その近い時期に漏風の徴候をともなつていることからみて、全く無視することはできないが、これを残炭柱付近の自然発火と結びつけその徴候であると断定するにはやはり種々の疑問があると言わなければならない。

(二) 九目抜、八目抜の酸素等

(1) 検察官は、残炭柱付近で自然発火をもたらした漏風の経路(出口)について、前述のとおり起訴状では七目抜を中心とする排気側目抜であり、したがつて事故前これらの目抜に酸素増加、メタン減少等その徴候があらわれていた、と主張していたが、論告においては、漏風経路(出口)は八目抜と九目抜であり、しかもこれは七目抜の漏風とは関連のない全く別個の漏風経路であると主張を変更した。検察官の右意見変更は、証拠調の過程において、七目抜を中心とする漏風については、その漏風を生じた頃、六尺ロングの下層である後向一〇尺ロング材料卸に風量調整のためノレン、戸枠などをもうけた事実のあつたことが弁護人側から立証され、この影響で一〇尺材料卸付近から六尺の七目抜方向に漏風し、同目抜を中心として酸素増加等の結果を示すに至つたものであることが、伊木・磯部・房村各鑑定人の意見においても殆んど一致して支持されたことによるものである。

かりにこのように材料卸付近からの漏風と考えられる限り、七目抜付近の漏風は残炭柱付近の自然発火とは無関係であるということになるから、同目抜を中心とする排気側目抜に二月一〇日すぎから漏風の徴候が顕著に出ていたとしてもそれは残炭柱付近の自然発火をもたらすわけはなく、したがつて同目抜付近で残炭の酸化が促進されていることを示す一酸化炭素などが全く出ていなかつた理由も理解することができる。そこで以下においては右の七目抜を中心として生じた漏風とは無関係でこれとは全く別個独立の漏風経路が8.9抜にあつたと考えられるかどうかだけが問題となる。尤も漏風経路の有無はそれ自体としては自然発火が発生していたかどうかの認定にとつて決定的な重要性をもつまでは考えられない。酸素、窒素等の変動を検討することによつて漏風の有無を判断することはできるが、残炭柱付近の自然発火が爆発をもたらすほど進行していたかどうかを確認するためには、漏風経路そのものよりも、まず一酸化炭素、温度上昇、臭気など残炭の酸化促進の結果として生ずる直接の徴候が右漏風経路にあらわれているかどうかの方がはるかに重要であると考えられるからである。

(2) そこで右については簡単に説明するに止める。

(イ) 八目抜、九目抜における事故前のガス分析結果(別表6によると両目抜とも事故前漏風を生じていたこと、その程度は極めて僅かであつたことの両事実を認めることができる。

(ロ) 右漏風の原因については、弁護人らが七目抜の漏風原因と同一であると主張するのに対し、検察官は別個のものであると主張し、その根拠をいくつか掲げている。しかし右の分析結果だけを根拠としてそのいずれであるかを決することはまだできないと思われる。

漏風経路が別個であることの根拠の一つとして、検察官は七目抜の漏風が二月四日と一一日との間で生じているのに対し、8.9目抜の酸素増加等は一月二七日ないしおそくとも二月三日頃にはじまつていて、漏風の始期が別個であることをあげている。

七目抜で漏風のはじまつた時期が右主張のとおりであることは、かなり明らかに認めることができる。しかし八目抜、九目抜で漏風のはじまつた時期を右分析結果によりいつと判定するかは、増加の程度が少いだけに微妙である。伊木教授の公判鑑定書(第一七項)によると、九目抜については、二月一〇日と一七日の間、八目抜については一月二〇日と二月一七日の間とされている。これによると、八目抜の漏風は七目抜に漏風の生じる前にはじまつているかに見受けられる点もある。しかし更によく分析結果を見るとそうではない。

一月二〇日と一月二七日とだけを比べてみるとその間に酸素量が増加したかに見えるが、一月一三日を加えて比べて見ると一月二七日には増加したのではなく、むしろ一月二〇日に一旦減少していたのが元に復したにすぎないとも考えられる数値なのである。ただ一月二七日と二月三日との間では酸素が増加していることは問題である。この間にはやゝ上昇傾向の気味があると見ることもできなくはない。しかしその数値がいずれも小さいので、その後の成りゆきを見ないといずれとも判別できない程度である。ところが次のガス分析が行なわれた二月一七日の前二月一三日に同目抜の水柱が〇ないしマイナス一、つまり無風ないし入気となつたことがあり(水柱状況図 前同号の符号一〇)、一七日の酸素分析値はこの時の入気の影響があるかも知れないのでそれまでの数値と同様として対照できるかに疑問が残る。

そうだとすると二月三日と一〇日の数値だけをもとにして漏風の始期を推知することは困難のように思われる。

検察官は八目抜、九目抜の漏風が七目抜のそれと別個のものであるという他の根拠としてこれらの各目抜では酸素上昇傾向は比較的ゆるやかであるのに対し、七目抜、六目抜では急であり、増加の傾向に違いがあるとも述べている。しかしこの点は後向一〇尺ロング材料卸における風量調整の影響が同材料卸に近い七目抜には急激に8.9目抜には徐々に弱く及んだと考えても、特別矛盾はしない。むしろ一〇尺材料卸における風量調整の結果同所付近の天盤を通じ六尺ロング払跡内の七目抜付近に漏風を生じたと考える限り、特別の理由がなければ同目抜に近くかつ排気側にあたる8.9目抜方向にも、大なり小なり右漏風による気流の変化等の影響が及んだと考えるのが自然かも知れない。

検察官は同六尺ロング上添坑道には、七目抜と八目抜との間に木煉瓦密閉があり、通気が遮断されているので七目抜の漏風が八目抜付近に達することはないという。木煉瓦密閉が通気の妨げになつていることはその通りであり、したがつてこれが存しない場合より坑道を通じての影響伝播の程度は少ないと考えてよいが、しかし同所付近は傾斜した払跡の上添側にあたり、天盤崩落などによる充填が行われ難い個所であるから、上添坑道の密閉だけで一〇尺材料卸風量調節の影響を完全に遮断されるかは疑問であり、払跡坑道の密閉だけで一〇尺材料卸風量調節の影響を完全に遮断されるかは疑問であり、払跡内などを通じて八目抜方向に影響が及ぶ可能性がなかつたとはいえないように思われる。

(ハ) 以上のように考えてくると、八目抜、九目抜に事故前項漏風の徴候と解しられるものが認められることは検察官主張のとおりであるが、その数値は微少なものであつて、明確に漏風の徴候と断ずることは困難であり、しかもこれに隣接する七目抜などに後向一〇尺ロング材料卸における風量調整による漏風があらわれていた事実をも考慮すると、8.9目抜への漏風も一〇尺材料卸方面からの影響の一端にすぎないのでないかと見るべき余地もあり、結局8.9目抜における酸素等分析量の増加が残炭柱付近を経由する漏風に基づくものであるかどうかはまだ直ちに決し難いと認めるのが相当である。

(三) 温度上昇の有無

もし残炭柱付近で自然発火が進行していた場合、その温度上昇は、(イ)同所付近の気体の温度を上昇させ、それが漏風経路を伝つて前記八目抜、九目抜にあらわれるか、又は(ロ)残炭柱付近の岩盤もしくは充填の温度を上昇させ漏風路と無関係に漸次周辺に伝熱してゆくかのいずれかの途をたどるものと考えられる。

排気側において払跡内の温度変化を知ることができるのは観測管内の気体の測温変化と払跡内踏前におかれるパイロメーター受感部の温度変化とによつてである。

(1) 八目抜、九目抜の観測管内温度

残炭柱付近で自然発火が進行し、付近の気体の温度が上昇すれば、気体の膨張と、同六尺ロング払跡が傾斜していることによつて温度の上昇した気体が漏風路をたどつて排気側に上昇するので、もし漏風経路が前記各目抜付近にあつたとすれば、同密閉観測管内ガスの温度上昇として感知されるものと思われる。

岩盤、充填を通じて温度上昇が伝わつてゆくときはその過程において温度の上昇した岩盤等にふれた払跡内の気体の温度が上昇し、その気体が漏風路とは限らない他の排気側目抜にも流れ出てくることが予想される。これは漏風経路にあらわれる変化よりは間接的であろうが、払跡内の全体的な温度傾向を知るうえの資料になりうるであろう。

そこでまず八目抜、九目抜における爆発事故前の観測管内温度の変化を見ると、別紙8「密閉観測管内外温度表」のとおりであつて、これによれば両目抜ともそれぞれ三〇度、二三度で安定していて温度上昇の傾向は全く認められない。またその他の排気側目抜で温度の変動があつたり、上昇傾向を示したりしている目抜もない(七目抜に二月中旬2.3度の変動があるが、これは前述後向材料卸からの漏風により一旦下つた温度がもとの温度に戻つたものであつて、残炭柱付近からの影響による温度上昇ではない。)

自然発火個所の温度がメタンガスの着火温度である六〇〇度近くまで上昇し、しかも、それは入気側から排気側8.9目抜に継続的に流れる漏風によつてもたらされたものであつて、なお引続き進行しつゝあるという検察官の主張が正しければ、これらの目抜の管内温度の上昇が認められそうに思われる。それが存しないとすると何故この漏風経路に温度上昇の影響をもたらさなかつたのかについて合理的な説明を要すると考えられるが、この点については何らの説明もなされていない。また他の排気目抜でも温度上昇が認められないことと総合してみると、同六尺払跡内では全体としては温度上昇の傾向を認め難い状況と判断するほかない。

(2) パイロメーターの温度

六尺ロング上添抗道にはパイロメーターが敷設されており、これにより受感部付近の温度変化を感知することができる。受感部は、敷設個所付近辺の気体の温度変化を感知するが、受感部の布設位置が踏前岩盤上であり、布設後日時の経過につれて崩落ずりて埋没された場合には付近岩盤の温度変化を感知すると考えられている。

まず検察官が指摘する排気側パイロメーターの温度変化の状況は別紙7「パイロメーター測温表」のとおりである。これによれば、七目抜本向のパイロメーターが事故前二月一五日の三〇度から一日一度の割合で上昇し、同二〇日三六度になつている。これに隣接する八目抜後向パイロメーターは、やゝおくれて二月一八日から二〇日にかけて約二度上昇している。他のパイロメーターも長い期間をとつてみれば全体としてはやゝ上昇気味の傾向が窺われるがその傾向は事故前頃の右二個のパイロメーターの目立つた温度変化と関連しているようには判定できない。

(イ) 検察官は右の七目抜本向、八目抜後向の各パイロメーターにあらわれた温度上昇を残炭柱付近における本件自然発火の徴候であると主張している。しかし右自然発火による温度上昇が、残炭柱付近からどのようにしてパイロメーターの受感部にわることになつたかを明らかにしていないため、その関連性がやゝ理解し難い。

(ロ) そこで、いくつかの伝熱経路を考えて検討してみるが、いずれによつても合理的な説明はむつかしい。

(a) まず自然発火個所の温度上昇が付近の岩盤、充填ずり等を通して周囲に伝わり右パイロメーターにあらわれたという伝熱経路が考えられる。この場合には漏風経路の有無にかゝわりなく残炭柱に近い個所から順次遠くへ伝熱する筈であるから、排気側目抜にばかり温度上昇があらわれるとは限らないと思われる。残炭柱付近から排気側目抜に至る間の距離は、最も近い六目抜が一四五メートル、ついで七目抜の一五六メートル、五目抜の一五八メートル、四目抜の一七〇メートル、八目抜の一九五メートルというおよその見当になるものと推定されるが(畑山上申書(三)その他各図面によつても判る。)いずれも相当遠い距離であるから、その間の岩盤を伝熱し排気側に温度上昇をもたらす頃には当然残炭柱から一〇メートルもはなれていない後向一〇尺ロングゲート方向なり、当時作業中であつた同ロングの付近においては、相当高温となり顕著な温度上昇として感知されていなければならないし、そのことは爆発後においても同様であると考えられるのに、爆前、爆後を通じ、誰一人そのことに気付いた者がいないというのは何故と考えられるか。また、一五〇メートル余もはなれた七目抜のパイロメーターを一日一度の割合で上昇させるほど、残炭柱付近の自然発火が進行しているものとすれば、漏風経路とされる八目抜、九目抜ではもちろん、その他の目抜においても観測管内の気体の温度上昇が認められるのが当然と考えられるが、右の傾向がなかつたこと前述のとおりであることは何故かにも疑問がもたれる。

(b) 検察官は自然発火個所付近の温められた気体が七目抜付近まで上昇して、同所のパイロメーターの温度上昇になつたというものの如くにも受け取れる。しかし残炭柱付近からの漏風経路は八目抜、九目抜に通じており七目抜とは全く無関係であることを別の項で主張しながら、その点に何らふれないで温度上昇をもたらす漏風だけについては七目抜付近にあらわれたというのでは、全体としてはどのような趣旨になるのか理解できなくなる。

いま、ひとまずこの点をおき、検察官の主張どおりに考えたとしても次の疑問を生じる。すなわち温度の上昇した気体がパイロメーターの温度を上昇させたとすると、七目抜の観測管内温度も同時に上昇していなければならないと思われるが、右管内温度は二五度前後以上には上つていないのであつてパイロメーターとの間にかなりの温度差がある。それは何故か。これについては、通常観測管内の温度よりもパイロメーターにあらわれる温度の方が高いことが多いとされていることも考慮に入れなければならないかも知れないが、反面ではパイロメーターは踏前岩盤部におかれ、観測管はこれよりも高い位置にあつて気体の温度変化を早く受け早い条件にあることも考えねばならない。その差をどの程度と考えるにしろ、パイロメーターにあらわれたと同様の温度上昇の傾向が観測管内の気体の温度にもあらわれていなければ不自然であることに変りはないのに、七目抜はもとよりその周辺の目抜にも右の傾向があらわれていない。さらにまた、残炭柱付近の自然発火の温度上昇が暖められた気体の移動を介して一五〇メートル余もはなれた右パイロメーターの温度を一日一度も上昇させるほど進んでいたとするならば当然これによつて一酸化炭素、臭気を発生し、これらが七目抜付近に出て来ていなければならない理くつである。しかし七目抜ではこうした一酸化炭素、臭気を全く検出したり感知したりしていないことにも疑問が生ずる。

検察官は、右の温められた気体はパイロメーター付近まで到達してその温度を上昇させたが、付近に亀裂等がなく密閉方向には排出されなかつたとも主張している。しかし、排気坑道に連なる亀裂が存しなかつたとすると、それにもかゝわらず、同方向に気体が流れて来た原因が不明となる。

(ハ) かりに七目抜パイロメーターの温度上昇が残炭柱付近の自然発火の影響でないとした場合、他に温度上昇の原因が考えられるか。房村教授は、前述の後向材料卸における風量調整の結果として七目抜中心に漏風が増加した際、これが途中で残炭の一部を酸化し、局部的な温度上昇をもたらしたのであろうとしている(同鑑定書五九頁)。

そのように断定するにはまだ資料不足と思われるが、右パイロメーター付近に漏風を生じた事実は前記のとおり認められるので、その可能性があることは一応認め得る。

検察官は右の場合もパイロメーターの温度のみ上昇し、観測管内の温度が上昇していないことに変りないから、前記検察官の主張に対する疑問と同じ意味において右房村教授の説明にも疑問が生じるのではないかと言う。しかしこの点はそうではない。前記検察官の主張においては他の場所の自然発火により温められた気体がパイロメーターの温度を上昇させるという順序であつた。したがつて観測管内の気体の温度が上昇しないでパイロメーターだけ上昇することは不自然であつた。これに対し本項の場合には、まず材料卸からの漏風により上添測付近の残炭の一部が酸化、蓄熱をはじめその温度上昇が同所付近の気体に伝わるという逆の順序になるのである。

酸化の程度が初期で蓄熱の程度が六度という僅差のときには岩盤の温度は上昇したが、まだ気体の温度上昇にまで至らないことがあつても何らおかしくはないと考えてよい。このように考えてくると七目抜本向パイロメーターの温度上昇を本件残炭柱付近の自然発火と結びつけ、その徴候と考えることは無理である。

(四) 臭気

本件爆発事故前右二排気側目抜で感知された臭気のうち、本件自然発火との関連で検討を要すると思われるのは、爆発前日の二月二一日九目抜で感知された臭気である。臭気は、その頃一〇、一一、一二の各目抜でも感知されていたが、これらの各目抜では前年八月の旧自然発火発生以来引き続いて臭気が感知されており、またこれら各目抜が旧自然発火個所の直近上添側にあたつていてこの自然発火の臭気があらわれても不自然でない位置関係にあるので旧自然発火によるものと推認され、この点については鑑定人、当事者間に異論もない。

(1) 九目抜の臭気

(イ) 九目抜では旧自然発火による臭気が前年の一一月中は時折感知されていたが(たとえば保安日誌、一一月分前同号符号七中、一一月八日三方、一一月二二日)その頃観測管の管内温度が三一度に安定したのに前後して、その後は感知されなくなつていた。

ところが本件事故直前の二月二一日一番方で高橋保全主任が密閉観測をした際、一〇・一一・一二目抜の臭気が強くなつたのに加えて九目抜、本向一〇尺上添目抜においても弱い臭気が感知された。しかし、その際、論告中で漏風経路と主張されている八目抜では、臭気は感知されなかつた。九目抜の臭気について引き継ぎを受けた桜岡主任は同日二番方で同日目抜密閉の観測に赴いたが、そのときには九目抜、一〇尺上添目抜の臭気は消失していた。(高橋・検面・昭四〇・四・二九日付、同六・三〇日付、同四二・五・二三日付、同証人・昭四四・四・八日公判、手帳、前同号の符号二四号中、二月二一日記載欄)。翌二二日一番方で再び前記高橋主任が観測したときにも一〇、一一、一二目抜に臭気はあつたが、九目抜、一〇尺上添目抜ではなくなつていたなどの事実を認めることができる(証人高橋の証言中には「二月二二日臭気がなくなつていた。」とか「弱くなつていた。」とかいう曖昧な点があるため、その受け取り方が聞く者によつて異なり、検察官は臭気が残つていたことを認めた証言だといゝ、弁護人は臭気が消失した意味だといつている。四年も昔のことについてはつきり記憶をもつているかどうか疑問であり、当時同人が記載した炭じん並自然発火処理簿二月分 前同号の符号二のうち二月二二日一方分の記載によると、同目抜には「臭気なし」と書き残されており、右記載は観測直後に記入され最も正確と考えられるので、同日右九目抜には臭気はなくなつていたと認めるのが相当である)。

(ロ) 右の臭気について、弁護人は、右二、六尺ロング払跡内に滞溜していた旧自然発火臭が、その頃大気圧降下の影響によつて右両目抜に吸い出されてきたものと主張している。大気圧の降下については、前述したとおり、二月二〇日午前一〇時ころの七三九ミリから翌二一日午後二時ころには最低値七一四、五ミリに達し、その後上昇して翌二二日午後二時ころ七二五ミリに回復したことが明らかであり、これを臭気感知の時期と対照してみると、高橋主任が九目抜の臭気を感知したのは、観測を終えて抗外に出たときもまだ気圧がさがり切つていなかつた時期というのであるから、二一日昼頃と考えられ(高橋・検面・昭四〇・六・三〇日付前記手帳)また引き継ぎを受けた桜岡主任は二番方で入坑したのであるから、同人が観測したのは気圧が上昇に向つたのち数時間たつたあとにあたつていたことになる。気圧降下時には払跡内部の気体が吸い出され易いので臭気が感知され、気圧が上昇しはじめるとこの傾向が弱まり感知されなくなるということも十分考えられるので、右弁護人の主張にも一応根拠があると考えられる。

(ハ) 検察官も弁護人の右主張に相当の可能性があることを一応認めてはいるが、なお右臭気は新自然発火によつて生じたものであつて、それが気圧変動によつた右目抜に強くあらわれたと考える余地もあると主張し、その根拠として同目抜では二月七日にも弱い臭気が出たことがあるので二一日の臭気はその時のものと一連の臭気と考えることもでき、また証人高橋の供述には曖昧な点が多いから二月二二日一方では臭気が消失していなかつたとも考えられるから右臭気が気圧の変動に対応して発生、消滅したとばかりは認められない。逆に同目抜では二月一〇日頃から一酸化炭素が検出されたり、漏風の徴候があつたりしたことを念頭において判断すべきである、と主張している。

二月七日同目抜に臭気があつたかどうかは一つの問題である。臭気があつたことの根拠として検察官が引用するのは、証人高橋の当公判廷における供述である。同証人は、二月七日にも二一日ほど強い臭気ではないが臭気はあつたと述べている(同証人の前記供述六八問答)ので検察官の主張に沿うかの如くであるが、同人は証人は証言の約四年前、すなわち爆発事故後約二ケ月経過していた昭四〇・四・二九日付検察官調書中では「二月七日の観測結果では九目抜ないし一二目抜で臭気は感じなかつた」とはつきり否定する供述をしているのである。

右検察官調書中で九目抜だけでなく、一〇目抜ないし一二目抜にも臭気がなかつたと述べている部分は、当時の自然発火処理簿をもち出すまでもなく明らかな誤りであり、また「臭気あり」と記載した同処理簿に同人の認印が何回にもわたつて押されているのでそのことを同人もよく承知していた筈と考えられるのに、何故右検察官調書中で前記のような供述となつているのか不可解と考えられ、二月七日九目抜に臭気がなかつたという右調書の記載は信用し難い。しかし同様に二月七日九目抜に臭気はなかつたとのべていた同証人がその約四年後になつて突然同目抜に臭気は弱いがあつたと供述したとしても、その供述変更の動機経過が明らかにならない限り、これまた直ちには信用しかねるものがある。ことに同証人が右の臭気に関して公判廷で供述するに至つた経過を法廷で聞いていると、同証人には会社においては上司にあたる被告人らに対する気がねが相当強く働いているのではないかと感じさせられる点があつた。すなわち同証人の右臭気に関する供述の前後のつながりをよく検討してみると、まず検察官から九目抜の臭気は事故直前に突然あらわれたものではないかという質問を受けたのに対し、これを肯定することは言外に同日の臭気と事故との間に関連性のあることを認めることになるのではないかと受け取り、その徴候ではないことを強調したいあまり、二月七日にも右の臭気は弱く問題にならない程度に出ていたかの如く供述したゝめこれを追及されて遂に曖昧な供述となつてしまつたのではないかとの心証を懐かせるふしが強かつたのがある。

これに類した供述は、同証人の供述中、他にもたとえば臭気により自然発火の新旧判別が可能かどうかに関する供述部分にも窺われ、これらの点を遂一検討すると、同証言だけを根拠として臭気の有無をいずれかに判断することには躊躇されるものがある。そこで他の証拠について検討するのに、高橋義雄の前記手帳二月七日欄の観測結果には、直接臭気に関する記載はないけれども同日の密閉ガス状況には臭気があつたとされている二一日の観測結果と共通の傾向が見られるので、あるいは臭気があつたのかも知れないと推測させる点がないではない。

すなわち両日ともその前後の観測結果よりも密閉管外のメタン濃度が高くなつているのであるが、同目抜より入気側に位置している八目抜方向の同日の管外ガス濃度はその前後と変らず低く、したがつて右九目抜で同日増加したメタンは九目抜密閉から押し出されたと考えるほかなく、そうだとするとその際に臭気も出易くなつていたのではないかと考えることもあながち無理ではないと思われるからである。

右の事実に加えて検察官主張の九目抜の一酸化炭素との関係も考えると、検察官の主張に沿う証拠が全くないとは言い切れず、右だけを考えれば、臭気に関していくらかの疑いを生じさせる程度のものはありそうに見える。

(ニ) しかし、これにはつぎのような疑問がある。すなわち、かりに二月二一日一方で感知された臭気が自然発火によるものだとするならば、その後気圧が上昇に向つたのちは、これによつて抗道内の酸素を多く含んだ空気が払跡内に押しこまれるので、自然発火は新たな酸素の供給を受けて一層促進され、それまでよりもさらに多くの臭気や一酸化炭素を生成する筈と考えられるが、本件において二月二一日二方、翌二二日一方とも逆に臭気が消失している。また残炭柱付近で生じた臭気であるならば、本件の漏風経路とされている八目抜の方がより近いので早くあらわれ易いのに同目抜に出なかつたのは何故か不明である。また八目抜と九目抜との間に位置している本向一〇尺上添目抜で九目抜と同じ二一日感知された臭気について検察官が何らふれていないのは、おそらく同目抜のガス分析の結果からみて同目抜には気流の移動がなく新自然発火と結びつけて考えることが難しいからと考えられるが、同目抜も九目抜より残炭柱に近く、また六尺払跡と通じ合つている可能性のあることは前記一酸化炭素に関する項でのべた通りであるから同目抜においても九目抜より早くあらわれてもよさそうに思われ、八目抜と同目抜とを飛びこえて九目抜に先にあらわれたというのも分らない。こうした疑問がつぎつぎに出てくるようでは、右の臭気を本件自然発火によるものとは考えられなくなると言わざるを得ない。伊木教授が右の臭気を旧自然発火により生じたものとしているのも(同・昭四五・五・二三日公判九六問答)ほゞ同様の理由によるものと考えられる。

(2) 前記炭じん並自然発火処理簿(一、二月分)によると、本件事故前に右二排気抗道一目抜ないし八目抜において平泉係員が臭気を感知した旨の記載が多い。残炭柱の自然発火による臭気としてはこの方が問題となる余地が大きいが右は古洞臭などを自然発火と誤り記載した疑いがある。

まず右の記載によると、一目抜ないし八目抜においては同人がこれらの密閉の観測を担当するようになつた数日後から臭気ありとの記載が激増し、とくに二月一日から一一日の間はこれら八個の目抜において殆んど連続して臭気が感知されたのに、一六日以降は一転して全く消失したかの如き記載となつている。突然臭気なしとの記載に変つたことに不審がもたれるが、それは同係員の右記載に疑問をいだいた上司の畑山らベテラン係員が同目抜で直抜観測し右は古洞臭であつていわゆる自然発火臭ではなく、そのような臭気は前記自然発火処理簿にいう「臭気あり」には該らないと注意したことによるものであるとされている(証人畑山・昭四四・三・一一日公判三三七問答、同塩原・昭四四・八・二六日公判)。

このことからベテラン係員の経験を信頼して臭気はなかつたと判断することもできるが、逆に臭気という極めて個人差の生じ易い曖昧な性質のものについては、はたして直ちにそのように言えるかも疑問であり、また平泉係員が真に納得していたものかどうかも、同人が本件事故により死亡した現在では確かめようがない。

そこで検討するのに、同人が観測した一目抜ないし八目抜は従前払跡の安定していた目抜であつて臭気のない状態が続いていたところであるから、その目抜に臭気があらわれたとするならばその頃密閉内のガス分析結果に気流の動きを示すような変動が見られてよいと思われるところ、同方向の目抜には殆んど右の徴候が存しないうえ、事故後にも臭気があらわれていない。

また、臭気ありとの同係員の記載には前後ばらばらで脈絡のない点が認められることも事実であり、このような事実を考え合わせると平泉係員は密閉観測の経験が少なくいわゆる自然発火臭と単なる古洞臭とを区別できなかつたものとする前記証人畑山の供述を信用して差支えないように考えられる。したがつて爆発前残炭柱に近い方向に臭気があらわれていたような事実も認められない。

三  本件爆発後右二、六尺ロング払跡内に生じた影響・変化

7 二月二五日の排気側目抜におけるガス状況などについて

本件爆発が検察官主張のとおり払跡内で最初に生じ、かつそれが自然発火に起因するものであつて右二入気坑道付近を通じて外部に波及したというのであれば、その爆圧の強さからみて、密閉内における最初の爆発の影響は同払跡上添側の各目抜にもあらわれるであろうと考えられる。そこで右方向の爆発後の一酸化炭素、臭気、温度の変化を検討してみなければならない。尤もその場合密閉外でおこつた爆発の影響(跡ガス)が密閉内にも及んでいることを念頭におかねばならないであろう。

事故後の排気側目抜のガス状況等に関する資料としては、二月二五日の測定、分析結果が存するのみである。なお労組出身の保安委員であつた山田美喜雄は、事故直後の昭四〇・三・三日付警察官調書中で、二月二五日より前の二月二三日に森保安課長、川内保安係長、山田の三人で右二排気目抜の密閉検査をしたこと、その際にはメタン、一酸化炭素共に異常はなかつたことを述べている。和田被告人も、森保安課長の右の報告を聞いた旨上申書、その一、二頁でのべている。したがつておそらく右のような偵察に赴いたことがあつたのであろうと推察はされるが、その測定結果の記録は残されていないのでこれを二月二五日の測定・分析結果と対比できるほどの資料とすることができない。

二月二五日にはまず玉山広川両監督官に会社側から福田係員が随行して三人一組となり、一二目抜から一目抜方向にむかつて各自目抜密閉で一酸化炭素(北川式検知器二台)、臭気、温度を測定し、またこれと並行して同時刻頃一目抜から一二目抜方向にむかつて会社側塩原係員ら三名が一組となり同様の測定をし(北川式一台)その際各目抜で密閉内ガスを採取してきてその分析が鹿の谷分析所で別途なされている(一酸化炭素の分析にはグラハム式が用いられていた)。それぞれの測定結果は前掲別紙5・6に摘記したとおりである。

検察官はこれらの測定結果や分析値のなかには六尺ロング払跡内における自然発火の発生、存続あるいは同払跡内における最初のガス爆発の発生等を推認させる点があるとしていろいろの主張をしている。しかし検察官が述べる点には後述のとおり立証過程で種々の疑問のあることが明らかになつたが、検察官においてこれを解明するに足りるだけの反論や立証をしていない。また右二排気側目抜にあらわれた多量の一酸化炭素については、伊木教授がこれを新自然発火により生じたものとしていた当初の見解をあらため、爆発の跡ガスの影響によるものと判定するに至つたあとにおいては、他にこの点に関する検察官の右主張を支えるに足りる十分な証拠も見当らないこと以下に述べるとおりである。

(一) 一酸化炭素など

爆発後の二月二五日採取された前記資料中、最も重視されるのは爆発後排気側目抜で一酸化炭素が大量に増加したという点である。爆発後一酸化炭素が増加したのは同払跡内部で自然発火が発生し進行中でありその規模も相当広がつているからではないか、そのため、いつ再爆発をおこすかも知れないことを被告人らを含む会社側の現地関係者も心配したことは明らかであり、そうであればこそ会社としては莫大な損害を覚悟の上で急拠同払跡方面の水没に踏み切つたのであつた。したがつてこの点を検察官が払跡内に自然発火が発生し本件爆発の原因になつたことの根拠として強調するのはむしろ当然であるといえる。また伊木教授が当初起訴前鑑定書中では「爆発後右二排気坑道各目抜で検出された一酸化炭素の発生は、一部本爆発の跡ガスもあるかも知れないが、多くは密閉内部に発生した自然発火によるものである。」としていた(同鑑定書一一頁)のは右のような経過を重視していたからである、と当公判廷で度々供述している。

しかし、その後公判審理において明らかにされた関係証拠によると、当時下された右の判断の基礎となつた事実(一酸化炭素が検出されたのは排気側のうちどの範囲の目抜についてであつたか、またそれが自然発火により生成されたものであつて爆発の跡ガスでないとするについてはどのような事実があつたか等々の事実)それ自体について多くの疑問を生ずるに至つた。

(1) 一目抜ないし六目抜の一酸化炭素

一目抜ないし六目抜においては、グラハム式分析装置を使用したガス分析の結果によると、サンプル採取の不手際から分析不能となつた二・三目抜を除く他の目抜で、いづれも相当多量の一酸化炭素が検出されたこととされている。ところが、同じこれらの目抜で玉山監督官らの一行と、塩原係員らの一行とが各別にそれぞれ北川式検知器を用いて測定した際にはいづれも零であつたとされていて全く喰い違つた結果となつている。とくに塩原係員らは北川式で測定したのと同時にサンプル管に密閉内ガスを採取して来たのであるから、そのガス中の一酸化炭素濃度は測定と分析値が一致していなければおかしい筈であるのに、たとえば五目抜についてみると、分析値では0.494%、北川式では零というように大きな相違を示している。

一酸化炭素検出方法の精度という面からみれば本件の場合北川式検知管を用いた測定の方が信頼性がより高いように思われる。それは一般に北川式検知管の方が一酸化炭素の有無に対して敏感に反応するとされている(北川「坑内自然発火の予知と微量ガスとの関係」岩礦技術一一巻九号六頁)からだけでなく、本件の場合には、玉山監督官らの一行が二台の北川式検知器を用い、これと逆方向から別途測定した塩原係員が一台を用い、各別にそれぞれ測定した結果がいずれも一目抜ないし六目抜については零であることに一致しているからである。グラハム式で分析された0.494%という大量の一酸化炭素が三台の北川式検知器のいずれにも反応しなかつたということはありえないように思われる。

同様のことは次のことからも推論できる。すなわち残炭柱付近の自然発火により生成された一酸化炭素が、かりに一目抜ないし六目抜に流れたと仮定しその量がこれらの各目抜で二五日にガス分析された程の大量に達するのであるならば、自然発火はかなり進行している筈と考えなければならず、一酸化炭素のほか、臭気、温度上昇、煙などを伴うであろうとされている(伊木・昭四五・五・二二日公判八六問・同公判鑑定書一八項)。ところが、これらの目抜のすべてについて臭気が認められなかつたし、とくに大量の一酸化炭素が分析された六目抜にも臭気がなかつたことが監督官の実況見分調書で明らかにされている。また管内温度も六目抜について塩原係員の測温結果を正しいとした場合、六度の上昇が認められるだけで(玉山の測温結果を正しいとすれば上昇していないことになる。)他の目抜においてはほぼ同じかむしろ低下傾向すら示しており、煙が感知された目抜は存しない。こうしてみると前記各目抜には自然発火により生じたガスを含む気流は到達していないと考えられる。このようにして一酸化炭素の検知方法の精度という観点からみても、自然発火の場合の他の現象との比較という観点からみても一目抜ないし六目抜には一酸化炭素は存しなかつたという結果の方が信用性が高いと考えられる。そしてこれらの目抜で臭気が感じられなかつたことは単に一酸化炭素の有無だけでなく払跡内部で自然発火が生じたとすることに対する疑問につながつてくることは明白である。(伊木・昭四五・五・二二日公判八六問答・同五・二三日公判供述一問答)。

(2) 七目抜奥の一酸化炭素

つぎに七目抜より奥の各目抜において爆発後多量の一酸化炭素が検出されていたことは明らかであるが、この一酸化炭素の生成原因についても、伊木教授は、公判審理の段階であらわれた関係証拠を再検討した結果裁判所に提出された鑑定書中では「これだけ多量の一酸化炭素が発生するような自然発火であれば気温の上昇あるいは煙なども出てくるものと考えられるが、その状況は認められず、監督官の実況見分によつて臭気を認めているに過ぎない。(中略)このことは自然発火を打消す根拠になり得る。

これら多量の一酸化炭素は大部分爆発の跡ガスであるとみることができる。」とし(同公判鑑定書一八項)その後公判廷でも右二排気坑道の奥方向の目抜の一酸化炭素中には一部自然発火により生じたものが含まれているかも知れないが、それは旧自然発火によるものであつて今回問題とされている残炭柱付近の新自然発火によるものではないとの見解を明らかにし、(同昭四五・五・二二日公判八六問答)起訴前の段階で当時の資料のみに基いて、右一酸化炭素を新しい自然発火によるものとしていた見解をあらためるに至つた。

本件事故発生の直後から多くの関係者は右の一酸化炭素の検出を理由として本件爆発が新自然発火によるものであるかも知れないと考えて来たのであつて、そのことの故に水没するに至つたのでもあつたが、右一酸化炭素が跡ガスないし旧自然発火によるものであつて内部の新自然発火の徴候でないとすると、この点についての検察官の主張は大きな根拠を失うことになつたと考えざるを得なくなる。

(二) 跡ガス圧入の可能性

もつとも検察官は密閉外で生じた本件爆発の跡ガスが右二排気側目抜の観測にあらわれることは考えられないと主張し、やはり前記一酸化炭素は密閉内部の自然発火によるものとの見解を維持しようとしている。

検察官が主張するような爆発現象、すなわち残炭柱付近で最初のガス爆発をし、それが右二入気坑道に噴出して第二の爆発をおこしたという場合に、最初の爆発による影響だけでなく第二の爆発による影響も右入気坑道奥の密閉破損部から払跡内部に及ぶということは容易に考えられるが、最初から密閉外で爆発を生じた場合、その影響が検察官のいうように払跡内には及ばないと考えることができるか。かりに右のように考えることもできるとすれば、爆発後七目抜、八目抜にまで一酸化炭素が出たり、八目抜にまで臭気が感知されたりしたことを内部爆発の徴候として検察官の主張の裏付けとすることができることになるかも知れない。

そこでこの点について考えてみるのに、坑内でガス爆発を生じたときの爆圧は、理論的には最大一〇気圧(実際には約六気圧)またメタン濃度が爆発限界すれすれであつた場合でも理論的には五、九気圧(実際には約四気圧)位に達するが(伊未・起訴前鑑定書二四頁)実際の坑内では伝播の途中炭じんやガスによつて強められ、あるいは坑道の屈曲などで弱められ、その他諸々の影響を受けるので本件の場合には約三気圧上位であつたと考えるのが相当とされている(伊木・公判鑑定書九項・房村鑑定書一七頁)。通常坑内にもうけられている密閉付近においては大きな気圧の変動を向えると、とかく密閉が呼吸作用をおこし易いと考えられているが、気圧変動程度の圧力によつてさえ漏風を生じ易いとするならば、三気圧以上という大きな圧力が加えられたときに密閉内の坑道のガスが圧入されることがあることは十分に考えられる。

右二、六尺ロング払跡に関連する密閉のなかで一〇目抜、一一目抜方向は切替排気坑道が大きく屈曲しているために爆圧による大きな圧力を受け易い場所と考えられ、このことについては検察官も特に異論はないようである。そうだとすると、爆風などが一一、一〇目抜内に圧入される影響によつて同払跡内奥部方向に滞溜していた旧自然発火による一酸化炭素や臭気が、八目抜、七目抜方向に移動させられることがあつても、格別不自然でないと考えられる(伊木・昭四五・五・二三日公判一問答、二八問答)。

これに対して検察官は、右二排気側奥方向の目抜から跡ガスが圧入された場合には、それらの目抜密閉での酸素、窒素の増加はすべて類似の傾向を示すはずだと考えられるのに爆発後のガス分析結果によると、そうではなく、一〇、一一目抜と七、八、九の各目抜とでは異なつた増加傾向を示しているから、これによればこれらの目抜の一酸化炭素は外部から圧入されたのではない、と主張している。

そこで二月二五日のガス分析結果を事故前二月一七日頃の分析結果と対比してみると(別表6)、爆発後一〇、一一目抜、本向一〇尺上添目抜では酸素、窒素が顕著に増加し、密閉外の通気が圧入されたかの如き傾向を示しているのに対し、七、八、九の各目抜では酸素、窒素ともやや減少し、前記の目抜とは一様に異なつた傾向を示していることは検察官指摘のとおりである(伊木・昭四五・五・二三日公判一五八問答)。何故このように異なつた傾向を示したかの理由について弁護人は「七、八、九の各目抜では、右二排気坑道方面からの跡ガス圧入にも増して右二後向一〇尺ロング払跡方面や第二入気昇、その他を通して右二本向一〇尺ロング払跡方面からも跡ガス圧入があり、これらの方面から侵入した跡ガスは密閉内に存在していた空気中に拡散混入し、上昇して上添側へ出現した」からであると反論している。本向一〇尺ロングゲート坑道は、いわば袋坑道に近い状態であり、また同所ではゲート肩部の粘土巻、ずり充填部が約六〇メートル位の長さにわたつて露出しており、同所に圧風が吹きつけるときは圧入され易い状態にあつたと考えられるが、しかし、本件圧風が同箇所付近に達するためには右三、六尺ロング始発部方向からか、あるいは当時まだ密閉が完成していなかつた入気昇方向からであると考えられるところ、爆圧が強かつたと思われる右三、六尺ロング始発部から一〇尺ロングゲートに通じる間には密閉が構築されていて圧力が減殺され易く、また入気昇方向は、その先方に深部風道卸があり、爆風の主流はその方向に向うとも思われるので、これ又どの程度強い圧力が右入気昇方向に加えられるか、若干疑問とされる点もあり、(ただし水柱増加が同一〇尺ロングで最大であつたことからすると跡ガスがこの方面から圧入されたとの疑いは強い。)このようなことを考え合せると、本向一〇尺ロングゲート方向からの圧入がおそらく生じたとは考えられるけれども、それがどの程度多かつたかはまだ直ちに判断できない点である。したがつて七目抜より奥の目抜のガス分析結果が前記のような二つの異なつた傾向を示している原因が、検察官又は弁護人らいずれの理由によるか明らかでない。しかしともかく一〇、一一、本向一〇尺上添目抜での酸素、窒素の増加は密閉外から通気が圧入されたことによる影響と考えるのが自然であり、これについても、密閉内からの何らかの影響により生じた変化と言うことはできないであろう。

ところで密閉外からの爆圧の影響は、六目抜と七目抜との中間に後向一〇尺材料卸が位置しているために、七目抜より奥の目抜にはより強く働くが、六目抜では、より弱いと考えるのが自然であり、逆に密閉内部で自然発火、ガス爆発が生じたとした場合、その影響は、六、七目抜など残炭柱に近い目抜にはより強く働くと考えられる。(この点については鑑定人らの意見も殆んど一致している。)そこで六目抜のガス変化をみると、爆発前の一八日には、その少し前頃に入気となつていたことを反映してか、坑道内の通気と似たような分析値となつていたのが、そのまま爆発後にも殆んど変つていない。

この傾向は五目抜についても同様である。密閉内部から自然発火ないしガス爆発の影響を受けたとすると、右の分析値よりは、もつと炭酸ガスの増加、酸素の減少などの変化があらわれている筈と考えられるのに、その変化があらわれていないのである。六目抜について密閉内からの影響が及んでいないとすると、これに隣接した七目抜等についても密閉内からの影響はなく、変化があつたとすれば、それは密閉外からの影響によるものとの見方が強まるであろう。

また七、八、九の各目抜は、二月一〇頃から一〇尺材料卸からの漏風の徴候があらわれていた目抜ばかりであり、しかも検察官の主張によると、八、九目抜の漏風原因は残炭柱方向からのもの七目抜は一〇尺ロング材料卸からのもので両者は各別の漏風であるとされていたが、若しその通りであれば、内部の爆発ないし自然発火の影響は八、九目抜には極めて強く、七目抜にはこれと別の現れ方をしなければならないと思われるのに、そのような傾向は認められない。むしろこれらの目抜についても、二五日の分析値を漏風の生じる前の各分析値と比べてみると、いずれも酸素、窒素が増加していることが認められるのであつて、このような変化となつてあらわれたのは、漏風が一〇尺材料卸から上添側にのみ生じ、しかも漏風という微量のため、密閉のある上添側のみが払跡内の全体からみれば局部的にその影響を受けただけで密閉より少し跡離のはなれた付近では漏風の影響を受けていなかつたところ、密閉外からの跡ガス圧入によつて漏風の影響を受けていた上添側のガスが影響を受けなかつたその他のガスと混和したため、その酸素、窒素量が漏風の影響を受けていた時よりは少なく、漏風の影響がなかつた時よりは多くなつたと考えることもあながち無理ではない。

伊木教授も、事故後の右二排気側各目抜のガス分析値を総合検討してみても、それが六尺ロング払跡内での自然発火によるガス爆発のあつたことを示しているとはいえないと述べている。爆発後の払跡内のガス分析に検察官の主張する九目抜までと一〇目抜から奥の各自目抜とでやや異なつた傾向が見られる点に疑問はあるけれども、これを内部の自然発火なり爆発なりの根拠と断定することはとうていできない。

(三) 払跡内のガスの対流

さらにまた、検察官は、玉山監督官ら一行と、塩原係員ら一行との各密閉観測の結果を比較し、両者の間には観測管内温度に関しても、かなり大きな相違があるが、これはいずれかが誤りであるというのではなく、一二目抜から一目抜に向けて観測をはじめた玉山監督官らと、これを一目抜から逆方向に進んだ塩原係員らとの間で各密閉観測の時間にいくらかのずれがあつたため、その測定時間のずれの間に密閉内の一酸化炭素濃度等のガス組成や温度等が変化したことによると考えるほかはない。つまり、このような短時間内に温度についてまで差を生じさせるほど密閉内では、自然発火による空気の対流がはげしかつたのであると主張している。

このような考え方は、これまでの証拠調の過程では全くふれられておらず、論告中で初めて主張された見解であり、そのため鑑定人らの意見のなかにもこのような推論の当否にふれたものはない。

ところで玉山監督官、塩原係員の両者の測定結果が温度及び一酸化炭素(七目抜より奥の目抜)についてかなりの相違を示していることは前述のとおりである。一目抜と一二目抜との間の距離は約六〇〇メートル前後であり、その間の密閉で測定に要する時間を考慮に入れても、通常それほど長い時間のずれは考えられず、両者はほゞ似かよつた測定結果となる筈であつたのに何故右のような差異を生じたか、この点について「右両者の測定は完全に同時測定ではなかつたから多少の差があつても不当ではない。」として右の相違を多少の差であるかの如く考える見解もある(房村・鑑定書一三頁)。しかし観測管内の温度というような測定する人による個人差の生じにくいと思われるものについてまで、前記のように最大六度もの相違が生じているとき、これを同教授の如く簡単に無視しうる相違と考えてよいかどうか疑問がある。したがつて右両者の測定値が真実相違していると認められるときにはその理由を検討してみなければならないであろう。

本件における右の両測定結果を比較検討してみると、一酸化炭素については、殆んど玉山監督官の方が多く、また温度については殆んど同監督官の方が低いという一貫した傾向を示していることに気付く。検察官のいうように払跡内で激しい対流をおこしているものならば、もう少し各目抜において不規則な相違があらわれるのが普通と考えられる。両者がすれ違つたとされている六目抜の温度のみが両者の測定値の一致している目抜であるが、これを対流現象にそのままあてはめると、一目抜ないし六目抜では塩原係員が測定したあと玉山監督官が測定するまでの間に一斎に温度が低下し、逆に七目抜から一二目抜にかけては、玉山監督官の測定後塩原係員の測定までの間に一斎に温度が上昇したという奇妙な結果となる。

やはりこれは温度測定の方法なり、その読み取り方なりに相違する点があつた為ではないかと推測するほかない。因みに気流の対流などの生じる筈のない管外温度についてみても、玉山監督官の方が常に高温となり、管内温度についてと同様の傾向が認められることによつても、このことは首肯される。

このように考えてくると、玉山監督官と塩原係員の各測定結果の双方が正しいことを前提として考えるわけにはゆかない。しかし、そうかといつて塩原係員の五目抜における三〇度という温度が誤りであるとする根拠も存しないから対流はなかつたとしても、このような温度上昇は自然発火の影響によるとの主張は残るかも知れない。しかし、同目抜には一酸化炭素も臭気も共に存しなかつたのであるから、右の温度上昇があつたとしても、これを払跡内部における自然発火発生の徴候とすることはまだできないと思われる。

8 三月一三日以降の排気側密閉のガス状況について

検察官は、三月一三日から再開された右二排気側目抜の密閉観測結果のうち一酸化炭素の検出傾向をみると、事故前多く検出されていた一一、一二目抜方向からは、いち早く消滅し、逆に事故前殆んど検出されなかつた八目抜で検出回数・濃度とも最も高く、これに続いて七目抜、三目抜で多く検出されており、一酸化炭素のこのような検出の傾向は八目抜に近い残炭柱付近で自然発火の発生していたことを裏付ける有力な証拠である、と主張している。

ところで、右密閉観測の再開された三月一三日以降これら排気側密閉に排出されてきた払跡内のガスというのは、本件爆発直後頃払跡内にあり、それが同方面の水没開始による水位の上昇につれて押し上げられて出てきたものであると考えられる。だから爆発時払跡内にあつてその影響を受けていたほか三月三日から四日にかけて残炭柱付近が水没するに至るまでの間(水没経過について、畑山上申書(六))にはかりに残炭柱付近に自然発火が生じていたとするとその影響をも受けていたと考えられるガスである。残炭柱付近が水没されると同時に同所への入気経路である最上ベルト斜坑が水封されてしまい以後全く入気が遮断され、その後払跡内のガスはあらたな影響を受けて変化することはなくなると考えられるので、結局、爆発後、自然発火箇所が最後に水没させられた時払跡内に存したガスは、その状態を変えることなく以後は専ら水位上昇により上添側に押し出されてくると考えられる。とくに三月一三日には水位はマイナス六三メートル(後向一〇尺ロング上添の約一〇メートル位下方)にまで達していたことが入坑調査の結果確認されているので、それ以後排気側六目抜付近にあらわれるガスというのは、同払跡の中でもとくに残炭柱付近の自然発火個所周辺にあつて、自然発火の影響を直接受けていた筈のガスが多いと考えられる。したがつて同日以降の上添側密閉観測の結果のなかに残炭柱付近の自然発火を推認させる痕跡が残されているかどうかを検討することは意味があり、これを水没開始後との理由で意味がないとする弁護人らの主張は相当ではない。そこでこの観測結果を検討してみると、八目抜を中心とし、七目抜などでも一酸化炭素の検出が多いのに比べ一二目抜の方向では極めて少なくなつていることが明らかであり、この点は検察官主張のとおりである。

そこでこの結果を一見すると、一酸化炭素が従来その発生源の存しなかつた八目抜付近に多くあらわれているということは、残炭柱付近に自然発火が生じていたということを示しているのではないかとも見えなくはない。しかし、まだこのように直ちに両者を結びつけて考えることはできない。すなわち、

(一) 水位上昇と共に六尺ロング払跡中深部のゲートに近い方向に滞溜していたガスが押し上げられてくると考えると、順次自然発火個所の近くにあつたガスが排出されてくることになるから、自然発火が生じていたものならば、その影響が大きくあらわれ、一酸化炭素の検出回数・濃度ともに多くなつてゆくはずであろうと考えられる。そしてこのことは残炭柱付近のガスが六・七目抜方向に排出されてくる場合だけでなく、これとほぼ同じレベルにあつて同じ頃に水没したと想定される第三漏斗付近の旧自然発火についても同様であろう。

ところが、一三日以降の前記密閉観測の結果によると、八目抜を中心としてあらわれた一酸化炭素は水位が上昇し、残炭柱付近に近いガスが押しあげられてくるにつれて、検出回数濃度ともにむしろ減少するという逆の傾向をたどつていることが認められる。また第三漏斗立坑付近に旧自然発火箇所があり、水没直前まで同所かから一酸化炭素を放出又は滞溜せしめていたことは明白であるから、水位上昇につれてこれが順次強くあらわれてもよさそうに思われるのにそうならず、同方向ではいち早く消滅した理由についても検討を要するが、検察官はこれに関しては、何らの説明をしていない。

(二) 検察官は、八目抜にあらわれた一酸化炭素が残炭柱付近の自然発火よよるものであることの根拠として検出回数・濃度だけを問題としている。しかし、三月一三日以降のガス分析結果をもとにして、一酸化炭素の検出とその他のガス変動とをともに検討してみると、同日以降これらの目抜に排出されて来た一酸化炭素は残炭柱付近でかつて生成されたものが、そのまま押し上げらたものではないかも知れないとの疑いを生じさせる点がある。

すなわち、右ガス分析結果を各目抜毎に整理してみると、九目抜より奥側にあたる各目抜と、八目抜より手前の各目抜との間に際立つた相違があることに気付く。九目抜より奥側の各目抜では三月一三日以降メタンが事故前よりもはるかに高い九〇%位で安定し、酸素、炭酸ガスともに極めて少く安定している。したがつて、この各目抜方面では入気側が水封されて以来、メタンの放出による濃度の増加が生じた以外は他の気体についてはガスに変動がなく、払跡内のガスが均質なまま水位の上昇につれて順次押しあげられ排出されてきているのではないかと理解される。

これに対し八目抜より手前の各目抜では、入気側が水封されたはるかあとであるにも拘らず密閉内のガスの変動がかなりあり、ことに一酸化炭素が多く検出された八目抜、七目抜付近ではとくにその変動が顕著である。たとえば八目抜では三月一四日までメタンが増加して八〇%位に達し酸素は減少し、このままゆけば九目抜より奥の目抜と同様に安定してゆくかに窮われたところ、一四日と一五日との間で酸素、窒素が急増し、メタンが急減し、その間に漏風を生じたかの如き変動を示し、以来時にメタンが増加し或いは酸素、窒素が増加するというような変動をくりかしてえいる。この傾向は七目抜でも同様であり、一四日と一五日との間で漏風による変動のあつたことまで共通している。

六目抜は入気となつていたことが多いので検討することは無意味なので除外し、五目抜ないし一目抜についてみると七・八目抜よりは全体としてガス変動が少ないと言いうるものの、しかし時折酸素、窒素の急増等の変動が認められることに変りはない。(たとえば四目抜について三月一九日、三目抜について三月一五日、一九日、二目抜について三月一四日、一七日、一九日、一目抜について三月一五日など)。

そしてこのような右ガス変動について注目されることは、検察官指摘の一酸化炭素の検出は、こうしたガス変動が認められた時にこれと同時かまたはその直後に検出されていることが非常に多いという傾向のあることである。右のガス変動を生じた原因は、密閉外からの漏風によると考えるのが相当であろう。そうではなく払跡内部に崩落により空間を生じ、ここに滞溜していた一酸化炭素などが水位の上昇により押し出されたとの考えがあるかも知れないが、かりにそうであるならば、むしろ採炭時期のおそかつた九目抜より奥方面においてこそ顕著にあらわれるはずであると考えられるし、またガス変動時の窒素が七〇%以上、酸素が一五ないし二〇%足らずとなつている右分析数値は坑道通気が漏風となつて侵入したことを示していると考えられるからである。ところがその頃には、すでに払跡下部ゲート側は水封され入気経路が全く存しなくなつていること明白であるから、右の漏風は上添目抜密閉側から侵入したものであり、六目抜が入気となつたのと同じ影響を他の目抜でも大なり小なり受けていたのではないかと思われるふしが強いのである。

上添目抜から漏風が生じたときに、一酸化炭素の検出されることが多かつたという右の関連はいわば漏風があることによつて一酸化炭素の検出が促進されているのではないかということを疑わせるということである。もとより漏風が払跡内のガスを移動させ、かつて生成された古い一酸化炭素で払跡内の空隙などに滞溜しているものを排出させるのか、あるいは未水没区域の残炭をあらたに酸化し一酸化炭素を生成しているものか、それともこれらと全く別個の理由によるものかは、不明であるけれども、ともかく、漏風の侵入によつて一酸化炭素の検出が増加しているかに読みとれるふしがあるのであつて、少なくとも逆の場合、すなわち漏風がなければ、残炭柱付近で生成された多量の一酸化炭素が順次排出されてくるであろうのに、漏風が生じたためにその順調な排出が妨げられ一酸化炭素の検出が途切れたというような状況ではないように見受けられるのである。

以上のような諸点を総合して考えると、三月一三日以降、八目抜付近で検出された一酸化炭素が残炭柱付近の自然発火により生成された痕跡であるとまではまだ認め難いことにならざるを得ない。

9 水柱状況について

検察官は、事故後右二、六尺ロング上添一ないし七目抜の水柱差が増大した事実を掲げ、これは六尺払跡内部でガス爆発がおこり内部圧力が強まつたためと考える以外にない、と主張している。

爆発前後の水柱差を各目抜ごとに対比してみると、本向一〇尺上添で最も増大したのを別とすれば、六尺ロング上添目抜では、おおむね七目抜より番号の若い目抜で大巾に圧力が増大した事実を認めることができる(和田被告人上申書その(一)別紙一監督官の実況見分調書)のであるが、このような爆発後の内部圧力の増大がどのような意味で内部爆発の結果であるというのか検察官はその関連性を明らかにしてはいない。

(一) ガス爆発による体積増減

検察官の主張を推測すれば、おそらく爆発による密閉内部の気体の体積膨脹を主張しているものと考えられる。ところでガス爆発と体積の増減との関係については、検察官の主張とは逆に爆発後体積は減少するというのが一般には説明されている。すなわち「爆発を生じると瞬間的に高温度(約二〇〇〇度)となり、最初の体積の約八、二倍に膨脹するが坑内等の実際では高い爆発温度は長く続かず、爆発ガスは他の冷い空気に混合したり坑道周壁面あるいはその他の物体にふれて直ちに坑内温度近くまで冷却される。このとき容積が約八分の一に収縮するだけでなく水蒸気が凝縮して水となるので結局爆発前の容積より小さくなる。このようにガスは最初の瞬間には激しく膨脹して爆炎の進行方向のものを押しまくるが、その後直ちに収縮して最初の容積より小さくなる。」とされているのである(山田穰編・鉱山保安ハンドブツク七六頁)

ガス爆発自体の右のような性質に加えて、爆発が密閉でおこつたときには更に体積縮小の条件が加わる。つまり密閉内部で爆発がおこると、強大な爆圧が衝撃的に密閉部あるいは周壁の亀裂などに加えられるため、爆風の一部は圧力に弱い部分をつき破つて坑道等の自由空間に噴出せずにはすまないであろうが、ついでに密閉内でガスの収縮と水蒸気が水になる等のことによる体積縮小を生じ、密閉内部が爆発前より負圧となり密閉外のガスを密閉内に吸いこもうとするときには、その圧力は密風外に向けて衝撃的に噴出したときよりは、はるかに弱くなつてしまつているので密閉等が抵抗となつて噴出したのと同じほどには吸いこむことができないという事情が加わるからである。右の考えが正しいとすると、検察官のように爆発後一ないし七目抜の水柱圧が増大していたことを密閉内部でガス爆発がおこつたことの根拠とすることはできない。

(二) 自然発火の再燃と体積の増減

ガス爆発自体による体積の膨脹は、右のとおり生じないとしても、その爆発の着火源となつた自然発火が爆発後なおいつそう活溌となつて内部温度を上昇させ、内部のガスを膨脹させているということはないか、この点は検討を要する。

磯部教授は爆発後密閉内部の水柱圧が増大した原因について、密閉内部で自然発火が再燃し、これによる温度上昇、水蒸気の蒸発等のためではないかとの見解をのべている(同昭四四・九・一六公判三七問答一一〇問答)。同教授はこの場合には温度上昇、一酸化炭素、炭酸ガスの各増加のほか、臭気もあらわれるというので、上添目抜についてこのような状況が認められるかどうかを検討してみるのに、一ないし七目抜では二月二五日臭気はなく、また一酸化炭素も七目抜以外にはなく、炭酸ガスも全体としては殆んど増加していない(ただし分析不能だつた二・三目抜を除く。)。また温度上昇の有無については二月二五日の密閉管内温度を玉山監督官と塩原係員とがそれぞれ測温した結果に相違があり、いずれが正しいとも決し難いこと前述のとおりであるので、ひとまず双方を前提として爆発前の管内温度と比較してみると、玉山監督官の測温結果によると、一ないし一二目抜で全体として温度低下の傾向であり、(ただし八目抜で〇、五度の上昇、六目抜で変らず。)塩原係員の測温結果によると、各目抜によってまちまちであるが、水柱圧の上昇が問題になつている七目抜より番号の若い各目抜では五目抜を除いて温度は変つていないことが認められる。このような諸点は磯部教授の前記見解に沿わないと思われるが、磯部教授もこのことを認めたうえで、自然発火による熱膨張だけがあらわれながら温度上昇があらわれていないのはなぜかとの点については、熱膨張による圧力増加は早く伝わるが、空気の熱伝導率は低く、上添目抜に達するのに時間がかかつていてまだ温度が上昇していないことも考えられるとしている。

一般に右のような圧力伝播と温度の伝導との間に時間的なずれが生じうるということについては、理論上はありうることだとしても、本件払跡内程度の広さ、傾斜、自然発火発生後ないし、爆発後の経過時間その他の諸条件を考慮し、右両者のずれという微妙な場合のなかに本件が入つているという蓋然性は、事柄の性質上あまり高くないと考えるべきではないだろうか。また同教授は右自然発火再燃の根拠として七・八目抜方向にまで一酸化炭素があらわれたことをあげているが、同教授の公判における供述以後の証拠調の結果によると、これらの一酸化炭素が爆発の跡ガスと考えられるべきことが、かなり明らかとなつたことについては前述したとおりである。もしかりに七・八目抜にあらわれた一酸化炭素が自然発火の再燃によるものならば、前述したほかにもこれを上添目抜まで運んできた通気の温度も上昇し、それが同目抜にあらわれている筈なのに、これらの各目抜では温度上昇が認められないこと、七目抜に一酸化炭素が到達するだけの時間を経過しているのに、それより近い五・六目抜に温度上昇が伝わらないという可能性は高くないと思われることなどの疑問もあり、これらを考え合わせると、前記圧力伝播と熱伝導とのずれが、本件で上添一ないし七目抜にあらわれたとする磯部教授の見解にはなおなお疑問が多い。

(三) 以上のように考えてくると、爆発後密閉内の水柱圧が増大した原因を、密閉内部におけるガス爆発あるいは自然発火の再燃と考えることはできないと言わなければならない。もとより、他に明確な原因が判明しているというわけではないが、本件ガス爆発の爆風が密閉内に圧入されたため、であるとするのも一つの見解であることは否定できない。

それは排気側目抜のうちで本向一〇尺上添目抜が最も水柱圧の増加が激しかつたという事実が存するからである。六尺ロング払跡内でガス爆発自然発火を生じた場合その影響が払跡内を通じて本向一〇尺ロングに最も大きく伝わるということは考えられないのに反し、密閉外から圧入されるという場合には同一〇尺ロングゲート側は粘土巻部分が長く露出し圧風侵入が比較的容易と思われる構造となつていたので、あるいは同方向からの圧風侵入はかなり可能性が高いと考えられるからである。

(10項以下15項までは弁護人の主張に対する判断であるが、主張内容は検察官の主張内容と関連するので便宜これに引き続いて説明する。)

10 爆発後第一風道等の流出気流中から検出された一酸化炭素について

右方面水没のための注水が開始されたのと前後して二月二六日二時二一分第一主要扇風機の運転が停止され(運転再開は三月八日)、以後自然通気力による排気がしばらく続いたが、三月二日一九時無風となつた(畑山・上申書(四)特別報告書添付資料二九)。第一風道が無風・入気となつたのち三月八日同扇風機の運転が再開されるまでの間は、同坑内の通気は第二風道の扇風機によって行なわれていた。そこで事故後の坑内通気中に含まれている一酸化炭素の測定が、第一風道が無風となる前は同風道で、無風となつたのち扇風機運転再開までは第二風道で行なわれていたのであるが、これら風道における一酸化炭素の検出経過等のなかには残炭柱付近に自然発火が存しなかつたことを推測させる点があると弁護人らは主張する如くである。その一部についてであるが、理由があると認められる点もあること以下のとおりである。

(一) 第一風道で二月二六日一二時から排出気流中の一酸化炭素の検査を開始したところ、短期間のうちに多量の一酸化炭素が検出されたのち、その後間もない二月二八日一二時頃には急減してしまつたことが認められる。ここに短期間のうちに大量に排出された一酸化炭素は本件爆発の跡ガスであつて、残炭柱付近の自然発火によるものでないことについては争いはない。すなわち右二入気坑道付近でおこつた本件爆発の跡ガスが右三、六尺ロング内に吹きつけられ同ロング払跡に押しこまれて滞留していたところ、最上ベルト斜坑方向との双方から注水された水位がまず右三、六尺ロングを水没させはじめたのにともない、この水位上昇により水と置換された跡ガスが第一風道に排出されてくることになつたものと考えられるのである。(房村・鑑定書七五頁・伊木昭四五・五・二三日公判七九問答)。この時点においては、かりに右二、六尺ロング払跡内にあらたな自然発火が発生し、事故後その規模がさらに広がつていたとしても、右は密閉された払跡内に生じている変化であり、すでに第一主要扇風機が停止され自然通気力のみによって坑道内の通気が行なわれているにすぎない状態のもとでは、払跡内に存する一酸化炭素などが密閉を通して密閉外の坑道に排出されることが一般的に難しくなつていると思われるので、その結果第一風道においてその変化を把握できるまでには至らないと考えられるのである。このことは右二、六尺ロング払跡内に存するかも知れない自然発火による一酸化炭素が上添目抜から全く排出されないとまでいうのではない。自然通気となつたあとも通気をもたらす負圧差が存する限り六尺ロング払跡内のガスが微量ではあつても排気坑道に流出し第一風道に排出されてくるかも知れないことは当然考えられるが、ただこの場合、一酸化炭素については右三、六尺ロング払跡方面の跡ガス中にも多量に含まれていて、排出途中でこれと混合されてしまうため、第一風道においては跡ガス排出の傾向を全体として把握できるに止まり、この中に右二、六尺ロング払跡内から排出された一酸化炭素が含まれていてもその推移を示す資料とはならないであろうというだけである。

本件関係者のなかには第一風道で検出されたような多量の一酸化炭素を出す自然発火が特別の対策なくして急激に減少することは考えられないという考えを前提とし、それなのに第一風道でこれが急減した本件の場合には自然発火によるものではない、との結論を出しているものもいるが(たとえば証人境田・昭四四・三・二七日公判二二五問答、磯部・昭四四・六・二六日公判一〇四問答)これらはいずれも第一風道で大量に検出された一酸化炭素が本件右二、六尺ロング払跡内から排出されて来たものであることを、当然の前提としている議論であつて、その後取調べた証拠により、右は同六尺ロング払跡内から出てくる一酸化炭素を中心とするものではなく、水位上昇によって右三、六尺ロング払跡内から押し出されてくる跡ガス中の一酸化炭素であると考えられるに至つた現在においては、本件に妥当しなくなつたものと考えねばならない。

房村教授が第一風道におけるガス分析結果をもとにしてグラハム比数(酸素の消費量と一酸化炭素の発生量から自然発火個所の温度を推計するもの)などを引き合いに出し、同所の一酸化炭素が自然発火により生成されたものでないと説明する趣旨も、要するに右は跡ガス中の一酸化炭素であるということをいうに止どまり、このことから同所に排気となつて流れてくる右部内方面に自然発火個所が一切存しないとの事実までいう趣旨ではないと理解されるし、その限度においては首肯できる。

以上のように第一風道における流出一酸化炭素量が急減したのは、右三、六尺ロング方面の跡ガス排出によるものだとすると、爆発をともなつた本件の流出傾向が爆発をともなわなかつた昭和三九年八月第三漏斗立坑付近で生じた旧自然発火の場合に、長時間一酸化炭素の排出が続いたことと相違しているのはむしろ当然であつて、右両者間の相違を理由として本件においても残炭柱付近に自然発火が生じていないなどと言うことができないことも明らかである。

(二) つぎに水位が右三、六尺ロングを上昇し、これを水没させてしまつたあとにおいては、右部内で一酸化炭素を出す主な場所は右二、六尺ロング払跡であると考えられる。

右三、六尺ロング水没後も他の未水没払跡坑道などに爆発の跡ガスが一部滞溜していることは当然予想されるが、しかし、こうした場所の滞溜跡ガスは爆発後比較的早い時間に排出され易いと考えられようし、逆に六尺ロング払跡内に自然発火が生じていたとすると、同所付近では爆発後さらに多量の一酸化炭素が生成されている筈と考えられるからである。したがつて、右の時期以後に第一風道にあらわれる一酸化炭素の検出傾向は右六尺ロング払跡内の一酸化炭素増減の推移をある程度反映していることも考えられる。(ある程度というのは同払跡内にも跡ガスが多量に圧入されたと考えられるので、これと自然発火によりあらたに生成される一酸化炭素との区別の問題が残されているからである。)

ところで第一風道における一酸化炭素は二月二八日一二時には急減し、以後漸減して三月一日七時からトレースとなり、三月二日一八時頃零となりその一時間後の一九時無風になつたことが確認されている(特別報告書添付資料二九、畑山上申書(四)・なお一酸化炭素が零になつた時期については、右添付資料二九のうち当該部分が不同意になつているのでこれによって確認することはできないが、畑山上申書(四)により、認めることができる。)。そこで右の時期に水位がどこまで上昇しているかを検討してみると、水位は二月二八日九時頃右二盤下坑道に達し、三月二日二二時頃、すなわち、第一風道における一酸化炭素が零となつた約四時間後に残炭柱下部に達しているとの凡その見当になる(畑山上申書(六))。これによれば、水位が自然発火個所に達する前に第一風道では、一酸化炭素が検出されなくなつたという順序になり、したがつて払跡内部における自然発火が否定されているように見える。

この点を房村教授は自然発火否定の根拠の一つに掲げているし(房村鑑定書七四頁)、伊木教授も、公判鑑定書提出の際にはこの点を検討し、「水没によって想定された残炭柱付近まで水位が上昇しないうちに一酸化炭素が急激に減少したことは自然発火を打ち消す大きな根拠になりうる。」とし(同公判鑑定書一八項)公判廷においてもその趣旨は必らずしも明白ではないが詳しく述べている(同・昭四五・五・二三日公判六三問答・七四問答)。

(1) 右の見解のうち第一風道の一酸化炭素が零になつた四時間後に残炭柱付近の想定自然発火個所に水位が達したとの事実を前提にしている部分は、その前提事実に問題があり、そのまま直ちに採用することは相当でないと思われる。

水位上昇の経過については、畑山上申書(六)であきらかにされているが、三月十日以降入坑して確認された部分以外は、払跡、坑道などの体積の推計と、注水水量の計算から想定されているものであり、右計算にあたつて払の容積は採堀時の一律四〇%、放棄坑道は堀進時の一律五〇%、現存坑道は現加背としたとされていることからも判る通り、それが全体としての傾向を示すにあたつては、役立ちうるとしても四時間という僅かな時間差の有無を決める根拠とすることができるほど正確なものとは考え難いからである。

右計算結果と実際の水位上昇との間に種々の理由でずれの生じることを考えておかねばならないであろうし、そのずれは常に一方が早いというわけではなく、或る箇所では計算より早くまた他の箇所では計算より遅く水没してゆくことも考えられる。したがつて、水位上昇を確認したある時点で、実際の水位上昇が計算よりもおそかつたからといつて、残炭柱付近への水位の上昇も、同様に計算より早く、四時間以上の時間差が存したとか、少なくとも第一風道での一酸化炭素が零になつたあとで水位が残炭柱に達したことだけは明らかであるとか、言うことができるかに疑問が残るからである。

右のように考えると、右の点に関する伊木、房村両教授の見解も、一応検討に値いするとは思われるけれども、なおこれを過大評価し、自然発火否定の根拠とすることは相当ではないと思われる。

(2) ところで、伊木教授の右見解のなかには、「第一風道で一酸化炭素が急減した二月二八日一二時頃には水位が右三、六尺ロング払跡を水没させ右二盤下坑道に達していたと考えられるので、その後の一酸化炭素は主として右2.6尺ロング払跡から排出されていると考えられるところ、その数値は、同払跡内に自然発火個所をかかえているにしては少なすぎるので、自然発火に疑問を生じさせる。」との意見を含んでいるように思われる。そのため、この点を検察官から詳しく反問されたのであるが、これに対する説明が必ずしも明確とはいえない。事故後の二月二五日、右2.6尺上添目抜で検出された一酸化炭素は、爆発の跡ガスであろうと同教授も述べているので、そうだとすると、当時同払跡内部の自然発火による一酸化炭素がどの程度の量に達していると考えられるのか、それが二六日以降増加したとすれば二八日以降には第一風道においてどの程度の濃度となつて検出されなければならないと考えられるか等の点が、およその推量としても明らかになつていない、そうだとすると、二月二八日頃以降の第一風道における一酸化炭素が、残炭柱付近に自然発火が生じていたとすると、少なすぎるかどうかを判断することはできない。

(三) 水位が更に上昇し、六尺ロング払跡内に侵入すると、同払跡内のガスを上添目抜方向から排気坑道に押し出す筈である。残炭柱付近で自然発火が発生していたとすると、爆発した二二日から水位がこの付近に達する三月二日頃までの間にますます自然発火の規模が広がり、多量の一酸化炭素などを生成してそのガスが払跡内に滞溜していて、これが水位上昇によって押し出されるものと考えられるので、右のガス分析を行なえば払跡内の変化を推知しうるかも知れない関係にある。三月二日第一風道が無風となつたあとは第一扇風機によって排気がなされ、右二、排気坑道の通気も第二風道方向に排出されていたのであるが、その第二風道の通気について一月四日ガス分析がなされた結果によると、三月三日一三時三〇分、三月四日〇時に各トレース量の一酸化炭素が検出されたほかは、三月一〇日前後まで全く検出されていない。また同じく第二風道で係員がガス測定した結果によると、三月四日三時から六時までトレースの一酸化炭素が検出されたことがあるほかは三日から一〇日頃まで検出されていない(特別報告書添付資料(二九))。さらにまた、三月八日第一主要扇風機運転再開後、第一風道で採取したガスを会社外の試験所(資源技術試験所北海道支所。以下単に白石試験所と略称する。)で分析した結果によっても、一酸化炭素は検出されなかつた。これらの資料によると、右の時期に右2.6尺ロング払跡内には、それ程大量の一酸化炭素は存しなかつたのではないかとの疑いを生じる。尤も、前述したとおり三月一三日から同六尺ロング上添目抜の密閉観測が再開された際には、これら上添目抜中に一酸化炭素が検出されている目抜が存するのであつて、この一酸化炭素が第二、第一各風道における右ガス分析以降にあらたに生じたという理由でもない限りそれ以前から、同払跡内に存したものと考えるべきであろうから、前記各風道における一酸化炭素などの分析、測定結果をもとにして直ちに同六尺ロング払跡内に一酸化炭素がなかつたと言うことまでは判断はできない。しかし、その量は多くなく、密閉外に押し出されて坑道通気中に拡散したのちは0.0001%まで検出できるという北川式検知管にもあらわれない位の微量であつたことは否定できないから(房村・鑑定書七六頁)、このように少量の一酸化炭素しかなかつたということは払跡内に自然発火がなかつたからではないかとの疑問をいだかせる。

(四) 以上は一酸化炭素についての検討であるが、自然発火を生じていると、この場合にも、これらの風道において臭気、温度上昇などの徴候があらわれることが考えられる。とくに、右2.6尺ロング払跡内から臭気が排気坑道に押し出されると、臭気については一酸化炭素の場合のように密閉外でこれと混和する他の臭気が存しないので、これを第一風道において把握することができる理くつではある。しかし、第一風道での観測開始後全く臭気、温度上昇、煙などが感知されなかつたことは明らかである。(特別報告書添付資料(二九))。そこで伊木教授はこの点について「払跡内部に自然発火がなかつたことになるか、極めて小規模の自然発火にすぎなかつたことになる。」としている。(同公判鑑定書二三頁)尤も、同六尺ロング払跡から排出されるガスは、通気量に比べれば極く微量と考えられ、旧自然発火臭が感知されていないのも、そのためかもしれないと考えられるので、第一風道で臭気が感知されなかつたといつて、このことを直ちに、残炭柱付近に自然発火が存しなかつたことと根拠とすることまでできるかには疑問もあると考えられよう。ただ、それにしても爆発後自然発火規模が広かつた筈であろうと考えられる点を考慮すると臭気、温度上昇等の徴候が一つもあらわれなかつたことにはいささか疑問の残ること伊木教授の指摘のとおりであろう。

11 エチレンについて

本件爆発後の三月五日、同六日の両日第二風道で採取したガスおよび三月八日第一主要扇風機運転再開後第二風道で採取したガスを前記白石試験所で分析した結果によると、いずれも一酸化炭素が検出されていないのにエチレンが検出された(特別報告書添付資料(二九))。弁護人は、このことは、本件が自然発火によるものでないことの大きな根拠であると主張している。

(一) 北川教授は坑内で自然発火を生じた場合、エチレンと一酸化炭素との間に密接な関連があるとしつぎのようにのべている(北川、「坑内自然発火の予知と微量ガスとの関係」北海道炭鉱技術会誌一一巻九号)。「坑内で自然発火が生じたときには、通気又は密閉内ガス中における一酸化炭素とエチレンとの間に密接な関連があり通常一酸化炭素量がエチレンの一〇ないし三〇倍(稀に五ないし五〇倍)となる。したがつて、自然発火かどうかは右両者の比率からわかる。右の比率とならず、一酸化炭素に対してエチレンが極めて微量(一〇〇分の一)のときは吸蔵ガスであり、逆に一酸化炭素よりエチレンが多いときは、発破後ガス又は含油層からの放出ガスの疑いがある。」というのである。前記白石試験所の分析結果を見ると第二風道、第一風道で採取された一五のサンプル中、エチレンは一四のサンプルについて0.0001ないし0.0003%検出され、一酸化炭素は全部について検出されなかつたのであるから、右分析値は凡そ正しい数値を示していると考えられる。そこでかりに、北川教授の右見解を正しいものとして、本件分析値をあてはめてみると、本件風道のガスは一酸化炭素がエチレンの一〇ないし三〇倍(あるいは五ないし五〇倍)という自然発火の特徴を備えていないのであるから自然発火ではないと判断されることになりそうである。

(二) しかし、右の見解を現段階では直ちに採用することは、まだ相当ではないと思われる。まず北川教授の右見解について、伊木教授はエチレンを自然発火の指示ガスとする右のような考え方は、ごく最近研究が進められている分野であつて、それがどの程度正しいのかはまだよく判らないとのべている。磯部教授においても、ほぼ同様であつた。そうだとすると、北川教授の右見解が正しいかどうかについては、まず、専門家の間における評価がかたまるのを待つてからでなければ、何とも判断の仕様がない。また、右見解の当否とは別に、これを本件にあてはめた結果についての疑問も生じる。すなわち、前記見解によればエチレンのみ検出された本件の場合は自然発火ではないというだけでなく、発破後ガス又は含油層からの放出ガスの疑いがあるという判定になると思われるが、本件右部内には含油層はないと考えられているし、また、爆発前頃発破が使用された形跡もないことについては、証拠上全く明らかだとされており、これらの事実と矛盾するからである。

(三) そこで、房村教授は、右のエチレンは発破、含油層からのガス放出から生じたものではなく、本件ガス爆発が伝播する際、坑内各所にあつた少量の炭じんを燃焼させ、その際に発生したものであろうと説明している(房村、鑑定書七三頁、伊木公判鑑定書二一項)。しかし、そうだとすると、炭じん燃焼の際にはエチレンだけでなく、一酸化炭素も生じ両者混合して存在している筈であるから、それにも拘わらず、エチレンだけが検出され、一酸化炭素が検出されなかつた理由が理解できなくなると思われる。(伊木、公判鑑定書二一項)。このように考えてくると、爆発後エチレンが検出された際のガス分析量をもとにして、本件は自然発火でない根拠とすることができないのは勿論、自然発火説に対して、どの程度強い疑問点となるのかについても、まだ判断不能であるというほかはない。

12 再爆発がなかつたことについて

本件、事故発生後、再爆発がなかつたことは、爆発の火源が自然発火でなかつたことの、有力な証拠であると弁護人らは主張している。

(一) 払跡内に自然発火という火源を生じ、そのためガス爆発がおこつたという場合には、爆発後益々多くの新鮮な通気の供給を受けて、自然発火は盛んとなり、かつメタンガスは薄められて爆発し易くなり、そのため最初の爆発に引き続いて第二次、第三次の爆発をおこすことが多いと一般に認められている。このことについては、各鑑定人らの意見がいずれもほぼ一致しているし、検察官においてし異論はないようである。尤も最初の爆発後どの位経つて第二次、第三次の爆発をおこすことが多いかについては、たとえば」直ちに完全密閉ないし完全水没しない限り、二、三時間から五、六時間以内に再爆発の例が多い」(房村鑑定書四頁)とか、「三日間も再爆発しないのは異例である。」とか(証人、境田、昭四四・三・二八日公判一五問答)あるいは「三、四日も再爆発がおこらないということの解釈はむつかしい。」とか(磯部・昭四四・六・二六公判、二六四問答)それぞれ供述する人によって表現は異なるが、いずれも最初の爆発後、それ程の日時を経ずして、連続して再爆発がおこるであろうとする点については変りはない。また、一般にそのように考えられているからこそ、爆発後の二月二五日右二排気側目抜で多量の一酸化炭素が検出され、払跡内で自然発火が生じているのではないかとの疑いを生ずるや、急拠会社側関係者は莫大な経済的損失は覚悟のうえで水没許可を申し入れ、また、関係当局もこれを許可せざるを得なかつたわけであつた。

(二) ところが、二月二二日の最初の爆発後、水没のための水位が残炭柱付近に達したとされる三月三日頃までの間に再爆発はおこらなかつたのである。まず、爆発直後から罹災者救出活動などのために救助隊が入坑し、あるいは、実況見分のために監督官が入坑するなどしていた二五日一八時頃までの間に再爆発がなかつたことは、これらの者により直接確認されているので明らかである。その後全員退去した後のことについては、坑内に設置されている電話の送話機を通じて坑外に伝えられる異常者の有無、風圧変化、第一風道におけるガス測定、その他の方法によって爆発がおこれば確認することができるよう配慮されていたが、再爆発と考えられる異変は生じなかつた(特別報告書添付資料(二八)の異音聴取記録中には爆発音キヤッチというような記載も散見されるが、これがどのような状態を指しているのかは明らかではない。しかし、証拠を全体として検討してみると、再爆発がおこらなかつたということについては、ほぼ異論はないようである。)。

そのことは、最後に全員出坑するに際し再爆発の有無を知るため、最上ベルト斜坑原動部と深部風道卸に立てかけられていた四分板が、その後三月一〇日入坑調査した時に当初立てかけられたままの状態で動かずに発見されていることによっても判る。

(三) このようにして、再爆発がおこらなかつたということが、残炭柱付近で自然発火が生じたとする見解にとつての大きな弱点なることは明らかである。自然発火であれば、払跡内に火源とメタンガスとが共にあり、より多くの通気の供給を受けて一層爆発しやすくなつている筈と考えられるのに、それがおこらなかつたからである。右が大きな疑問点となつていることについては、各鑑定人もすべて異論はない。そこで残炭柱付近の自然発火によるガス爆発という見解からは、右の点はどのように説明されるかその説明によって右の点の疑問は解消するかどうかを検討してみなければならない。

(1) 政府技術調査団の中間報告書は、右の疑問に何らふれていない。報告書作成過程で問題にならなかつたためではなく、問題となり過ぎたために、あえて、記載しなかつたのであるということが、当時の調査団員であつた各鑑定人らの供述によって認められる。たとえば、房村教授の供述によると(同、昭四四・一一・七日公判、一八二問答)、中間報告書の最初の草稿においては「本災害は水没個所の取あけ、および必要な試験を行なつたあとでなければ原因の究明は困難である。火源が自然発火のときは、通常引き続き二次爆発をおこすことが多いが、本件では、その現象がなかつたことからすると、その他の原因も考えられないことはない。」という趣旨の一文が加えられていたが、紛らわしい表現は困る等という意見があり、最終的には削除されて、前記中間報告書の表現になつた、というのである。これによれば中間報告においては、再爆発がなかつたことについての疑問は実質的には何ら解消していなかつたが、報告書の表現上この点を削除したにすぎなかつたことが判る。

(2) 伊木教授は、起訴前の鑑定書の見解を前提とした場合の説明として、火源となつた自然発火の規模が小さく、密閉内部で生じた最初のガス爆発によって天盤などの崩落を生じ、そのずりが自然発火個所をすつかり覆つてしまつたため、再爆発の着火源になり得なかつたということも万一あり得ないではない、としている。しかし、かりに自然発火個所が崩落ずりなどによつて一部覆われるということが生じたとしても、その内部に高温の自然発火をかかえていては直ちに消火しないので、やはり再爆発をおこすと考えるのが通常であり、爆発の直後に続いて再爆発をおこさないほど自然発火個所の全域をすつぽりと崩落ずりがうめつくしてしまうということは、現実にはまずあり得ないと考えるべきであろう。同教授も前記のように説明をする一方では、うまくできすぎている説明であつてまずあり得ないと思われることを認めている(伊木・昭四四・七・八日公判一一八問答・昭四四・七・九日公判一八五問答・磯部・昭四四・六・二六日公判二六六問答。)。

(3) 磯部教授は、右以外の説明方法としては、払跡内部が広くて再爆発をおこすに足りるメタンのたまる余裕がなかつたとでも考えるしかないが、これは前記より更に苦しい説明であり、実際に右説明のとおりであつたとは考えられないことを認めている。

(4) そこで検察官は、右と別個の理由づけをし、爆発後右入気坑道密閉手前に生じた天盤の崩落によって、残炭柱付近にあらたな漏風の生じる余地が減少ないし遮断されたのではないか、とか二月二六日以降第一主要扇風機の運転を停止したので負圧が減少し、いわば、その分だけ密閉を構築したのと同じ入気遮断の効果が生じたので漏風を断つことになつたのではないかと主張している。しかし、検察官は一方では、爆発前右二入気坑道奥の密閉部や、半年以上も経つた崩落ずりを通つて漏風があつたとするのであるから、そのような充填を通過する漏風が考えられるのならば、爆発後には、尚更多くの漏風が考えられるとしなければならないのであつて爆発後に生じた天盤崩落だけについては漏風遮断の効果があつたなどとは、到底考えられるず、納得できない。これに比べれば、扇風機の運転停止による負圧の減少は、まだ、納得できる余地があるが、右は二六日のことであつて、それまでの三日間のうちに再爆発をしなかつた理由とはならないうえ、運転停止後も直ちに負圧差がなくなるわけでなく、自然通気力は残るしその力は必らずしも小さくなく、伊木教授はこれによって六尺ロング払跡内の一酸化炭素が上添目抜から出てくることも十分考えられると判断していたほどであり(前記一〇項参照)、そうであればこそ伊木、磯部両教授らとも前記(2)(3)の如き苦しい説明を、それと承知のうえで考えるほかなかつたものと思われるのである。

以上、要するに、再爆発をおこさなかつたことの説明方法として、再爆発をおこすのに必要な火源、ガス、漏風のうちのどれかる消去しようとすることが試みられたといえる。しかし、それらの説明はいずれも、到底合理的に納得しうべきものでないこと前述のとおりであり、結局は各鑑定人らも言うように、よく判らない疑問点として残つていると考えるのが正直な認定というべきであろう。この再爆発がなかつたとの点は、払跡内における自然発火の発生という見解に対して最初から提起されていた疑問であり、また、最後まで解消しなかつた大きな疑問であるということができる。

四  爆風等の噴出経路であると主張されている右二入気坑道付近に爆発後生じた影響

13 密閉構築物の飛散が認められなかつたことについて

かりに本件爆発が、検察官主張のように、払跡内残炭柱付近の自然発火に起因し、最初に払跡内でおこつた小爆発の爆風、爆炎が右二入気坑道奥の密閉を破つて噴出した結果、大爆発になつたものであるとすれば、噴出経路となつた右の密閉は破壊された筈であり、爆発後その密閉構築物等が飛散していなければならないと考えられるのに、これが全く発見されなかつたことは、本件が密閉奥部における自然発火に起因するものではないことを証明していると弁護人らは主張している。

(一) 残炭柱付近から爆風、爆炎が噴出し、これが密閉外で爆発を生じるのに必要なメタンガスと火源とを運んできたというのであれば、噴出に際し、密閉の少なくとも一部が破壊され、その構築資材が飛散している筈ではないかという右の考えは一応もつともだと考えられる。

ところが、事故後密閉の手前に天盤の崩落があり密閉方向の状況を直接確認することは全くできない状態となつていたため、密閉破壊の有無を直接確認することはできず、密閉構築物の飛散状況などにより間接的に推測するほかはない。そこで事故後の同所付近の状況を見ると、右二入気坑道から最上ベルト斜坑に出た正面にあたるベルト斜坑側壁の矢木の間などに木片、ずりなどのささりこんでいるのが確認され(監督官の実況見分調書)、また、その付近のベルト斜坑踏前には、木片の切れはしなどが吹きよせられていて、それは爆発前右二入気坑道入口にもうけられていた禁柵や踊り場の資材であると判断される状況であつた(証人畑山、昭四四、二、一三日公判供述、五八問答、二一三問答)が、それらのなかに密閉資材の断片などが混入している形跡はなかつたというのである(証人玉山、昭四三、一一、二六日公判一七一問答)。

密閉構築材は直径一五センチないし二〇センチ、長さ約八〇センチの丸太材であり、これに粘土が付着しているので、通常の禁柵、踊り場などに使用される資材とは、容易に識別できる形状をしており、かりに同所付近に右資材が飛散していたとすれば、発見可能な現場の状況であつたと実況見分をした監督も供述していることや、また同所付近は事故後多数の者が何度も通行していた個所であるのに誰一人気付いた者がいないことから考えると、同所付近には、右の密閉資材が飛散していなかつたと一応認められる。

(二) それでは、密閉資材が飛散しなかつたのは、密閉が破壊されなかつたからだと直ちに考えてよいか、換言すれば密閉は破壊されたがその資材は飛散しなかつたという可能性がどの程度考えられるか。この点をめぐつて検察官と弁護人との意見が対立している。尤も飛散していないことから逆算して、飛散しない程度に破壊したとする見解もあるが(磯部・昭四四、六、六日公判、八四問答)、これは検討の筋道が逆であろう。破壊しているかどうかが問われているのだからである。

(1) 弁護人は、事故前右二入気坑道踏前に置かれていた九〇キロのアーチ枠鋼材が、出途方向に移動していたことを前提とし、右アーチ枠を移動させるほどの強大な爆圧であれば密閉が破れながら、その資材が飛散しないということは考えられないと主張している。しかし、検察官の主張においても、右アーチ枠鋼材の移動が密閉内から噴出した最初の爆圧によるとまではされていない。むしろ、検察官も最後的には、密閉外の爆発地点として右二入気坑道内部を考えこの爆発により、アーチ枠が移動したものと考えているものと理解されるので、右はまだ、検察官の主張を否定する理由にならない。

(2) 検察官は、密閉内からガスや爆炎が噴出したからといつて、密閉破壊の程度が大きく資材を飛散させるほどでなければならないわけはない。破壊程度が小さく単に密閉に鋼裂を生じさせた程度でも、噴出の可能性はあると主張している。しかし、右の主張にはいくつかの問題がある。まず、密閉に通常生じる程度の小さな亀裂からは爆風やガスは噴出するが、爆炎は噴出しにくい。すなわち、当初にものべたとおり、密閉部の亀裂が小さい時には、爆炎がこれを通過する際、いわゆる狭げき効果によって冷却され、消炎したガスとして噴出するにすぎず着火力を失うことが多いと考えられるのである(狭げき効果について房村、鑑定書二四頁。伊木公判鑑定書四項)。したがつて爆炎が噴出したと主張するときは、密閉破壊の程度は狭げき効果を生じない程度に大きいことを前提としなければならないことになる。

ところで、残炭柱付近と密閉部との間には、噴出を妨げる抵抗となるものがかなり多かつたと推認される。たとえば約八〇センチの丸太を並べた木煉瓦密閉、その奥に岩粉をつめた実木積約五メートルのずり充填、そしてその奥部約五〇メートル位がアーチ枠を回収し、自然崩落にまかせた廃棄坑道部となつている。このような、充填部を通して密閉内における最初の爆風などが噴出してくるためには、その爆発がある程度以上大きいと考えなければならないし、(伊木、昭四五、五、二二日公判三〇問答以下)その場合には密閉が破壊されているものと考えられやすく(同起訴前鑑定書四頁、昭四四、七、九日公判六〇問答)、破壊されれば資材を密閉外に飛散させる可能性が多いと考えられる(伊木、昭四五、五、二二日公判三四問答)。

また、個々的には狭げき効果を生じさせない程度の亀裂であつても、これが、重ね合わせられると、全体として狭げき効果を発揮するに至ると考えられるので、この点からも残炭柱から、密閉外に至る噴出経路の破壊の程度をあまり小さく考えることはできないと思われる。

伊木教授は右二入気坑道の天盤崩落も内部爆発が噴出した際の圧力で生じたのではないかとの意見をのべているが、(伊木、昭四四、五、八日付公判調書 二六八問答)、そうだとするならば、相当の爆圧を前提とすることになるので、尚更密閉が破壊されたであろうと考えねばならない。

右のように見てくると、密閉資材の飛散状況が認められなかつたことには、やはり不自然な点があると考えられる。

(3) そこで、検察官は、密閉資材は一旦飛ばされたとしても、噴出力が弱くて天盤崩落の奥付近に飛散しているにすぎないとか、あるいは、一度は崩落より出途側に飛散させたが続いておこつた同坑道内での爆発により、これらの飛散物は再び密閉方向に押し飛ばされ、そのあとで、天盤崩落がおこつたと考えられることもできると主張している。しかし、右のような可能性があまり考えられないことは、主張自体からも明らかであるし、また、密閉資材が飛ばされるときには、同時にその奥部などにあるずりなども飛散し、中打柱の折損、破損などをまねくことがあるだろうと考えられるのに、同所付近の中打柱にはこのような痕跡は全く存しなかつたように窺える点からも疑問が懐かれる。

このように考えてくると右入気坑道奥の密閉が破壊されなかつたと考える余地があり、このことは、密閉内部の自然発火説に対し、やはり一つの疑問を提供するものであろう。(捜査に対する事後批判にわたるが、もしも、災害直後の実況見分の際に、右二入気坑道や、その入口踏前などの土砂やベルト斜坑側壁の矢木の間の木片、ずりなどを採取してきて、その中に密閉材料の丸太、粘土などの混入の有無を分析したならば、以上の疑問を今少し解明することができえたと思われるが、行なわれていない。)。

14 アーチ枠の移動状況、右二入気坑道奥部の中打柱の変質炭じん付着状況

弁護人らは、右二入気坑道奥部の密閉から、最初に爆風、爆炎が噴出したとは考えられない根拠として標記の二点をも掲げている。アーチ枠の移動状況に関しては、事故前ベルト斜坑から、右二入気坑道入口に向つて左右両側の側壁付近に、アーチ枠鋼材(全量約九〇キロ)が各一〇本位づつおかれていたが、爆発後右側に置かれていたアーチ枠が同坑道内から、ベルト斜坑方向に移動し、うち一本は、事故直前まで正常に運転されていた筈のベルト斜坑内のベルト上に乗り出して止つていたのに対して、左側に置かれていたアーチ枠は動いた形跡がない。

同坑道は曲率半径一八メートルのわん曲した坑道であつて密閉内部から爆風が噴出したときには、遠心力により外カーブに当る左側に爆風は強く作用すると思われるのに、同方向のアーチは動かず、逆に圧力に弱いと考えられる右側のアーチが動いているのは不可解ではないかというのである。

また、中打柱への変質炭じんの付着状況に関しては、同坑内奥部でアーチ枠に打たれていた七本の中打柱のうち、奥から四本目と五本目には、向い合つた方向に変質炭じんが付着しており、四本目より奥では、主として出途側に、また、六本目より入口側では奥側にそれぞれ付着が多かつたことその他の付着状況を指摘し、密閉奥部から爆風などが噴出してきたとするときは、このような付着状況とはならないというのである。弁護人の主張する右事実のうち、右側のアーチ枠の移動状況については、その模様を撮影した写真などがあつて争う余地なく明らかであり、(上述の一項参照)左側のアーチ枠についてもほゞ主張どおりの事実を認めることができる。また、中打柱に対する変質炭じんの付着状況については、境田証人の当公判廷における供述だけしか、詳細なものはないが、これによれば、大筋において右の主張に沿う状況であつたと一応推測することができる。

しかし、右の両事実には、いずれも右二入気坑道の密閉外の中打柱四本目と五本目の間で爆発がおこつたことを窮わせる点があるということはできるけれども、同所付近で爆発がおこつたことを前提として考える場合に、なお、その爆発の火源やガスが密閉奥部から噴出したかどうかについてまでは特別証明力をもつているわけではないと思われる。そして、検察官も論告の段階においては右二入気坑道内の右同所付近で本件爆発がおこつたことを否定しているわけではないので前記二点がかりに認められたとしても、それが検察官の主張を否定する根拠になるとは考えられない。尤も起訴当時検察官の主張の根拠にされていたと思われる伊木教授の起訴前の鑑定書においては、密閉外の爆発地点は右二入気坑道から最上ベルト斜坑に出た付近と想定されていたので、これを厳格に考えれば弁護人の爆発点についての主張とは、移動したアーチ枠をはさんで反対側にあることになり、したがつて伊木教授の指摘する爆発地点を前提とするとアーチ枠の移動、変質炭じんの付着などはいずれも、密閉外の爆発によるものではなく、密閉内からはじめに噴出したとされる爆風、爆炎によるものと考えざるを得なくなるような点があり、そうだとするとこれに対しては、前述のような反論が弁護人からなされる余地もあつたかも知れない。しかし、検察官は論告中では右爆発地点を最上ベルト斜坑に出た付近とせず、右二入気坑道内としていると理解される。そして、両地点は元来同一場所と考えてもいいほどに接近した位置関係にあり、弁護人らからの前記の如き主張を予測していなかつた段階においては、右二入気坑道内が少しでもベルト斜坑に出た付近かを、とくに厳格に区別して表現していたとも考えられないし、右の主張を知つたのち検察官が右二入気坑道内であると考えることにしたとしても、そのことが、これまでの検察官の主張や立証と矛盾するわけでもない。したがつて、弁護人の主張する前記二点は密閉内から爆風、爆炎が噴出したか否かの点については、特別重要な意味はもたないと考えられる。

15 爆発後の右二入気坑道における一酸化炭素と臭気

弁護人は事故後、右二入気坑道で一酸化炭素や、自然発火臭が検知されなかつたことは、本件が密閉内での自然発火に起因するものでないことの有力な証拠である、と主張している。

(一) 残炭柱付近で自然発火が発生し、その徴候が右二入気坑道にあらわれる場合としては、つぎの二つが考えられる。

(1) 本件爆発のメタンガスが残炭柱方向から噴出してきたとすれば、その際には、メタンガスだけが分離して出てくるということはなく、メタンガスと共に払跡内にある一酸化炭素や自然発火臭も噴出していると考えねばならないこと。

(2) 払跡内の自然発火個所は入気側に近いことが多いが、その場合には、爆発後の自然発火の成長によって、払跡内で気体の温度上昇による膨張がおこり、そのため払跡内の一酸化炭素や自然発火臭を含んだガスが入気経路を伝つて外部に押し出され、右二入気坑道にあらわれやすいと考えられること(房村、鑑定書二五、二六頁、同、意見書六項。伊木、公判鑑定書六項)である。もとより、右(1)(2)のような可能性があるとしても、それだけで、爆発後、一酸化炭素や臭気が検知されなかつたのは、不自然であるとまで言うことができるか否かは、別問題である。なぜならば(1)については、右の徴候が右二入気坑道内に出てきたのち、その付近で本件爆発がおこつたことの影響によって霧散消失するということも考えられるし、(2)については爆発後、自然発火の徴候が入気側にあらわれ、それが検知されるに至るということが、どの程度確実なことなのかが、まだ明らかではないからである。房村教授は、鑑定書中では、かなり高度の蓋然性があるかの如くにも述べているが、(同四三、四四頁)、同じ点について、公判廷では自然発火の場合には入気側に出てくることがあるであろうということであるとも述べていて徴候が入気側に出て来なければ、直ちに不自然であるとまでいう趣旨かどうかは明らかでない。しかし、本件においては、爆発後右入気坑道内でメタンガスが検出された。

すなわち鉱務監督官の実況見分結果によると、二月二三日坑道奥部崩落ずりの冠部で一〇%読み検定器によりスケールアウト、二月二五日同所及び付近の冠部凹部で一〇〇%読み検定器により、二八%の検出があつたのである。したがつて、このメタンガスが密閉奥部から、前記(1)(2)のいずれかにより出て来たものであるならば、その際メタンガスだけでなく、一酸化炭素や臭気が同時に存しなければおかしくないか、という問題がおこるのである。

爆発後の一酸化炭素については、メタンガス測定前の二月二二日、二三時ころ、つまり、救護隊入坑前という爆発直後の最も接近した時期に、畑山係長、上田保安主任、労組の類家生産部長らが検査したときも(畑山、検面、昭四〇、六、二九日付(五))、その後二五日の前記監督官による、メタンガス測定時にもともに検出されなかつた。もとより、右検知結果にあらわれなかつたからといつて直ちに同坑道内には、一酸化炭素がなかつたと判断してよいか、どうかには疑問がある。弁護人主張のように同坑道内付近を爆源地とするガス爆発がおこつた場合でも、その際の跡ガス中に多量の一酸化炭素が含まれ、同坑道内にも滞溜していたであろうと考えられるからである。これに対し、房村教授は、同坑道内の気流はベルト斜坑から入る冷い空気が下盤にそつて奥部に進み、坑内で温められているうちに上昇し、上昇した空気は、天盤ぎわを反転してベルト斜坑に流出するという自然通気をおこしているので、跡ガス中の一酸化炭素もこの気流にそつて流出した可能性があると述べているが、しかし、爆発後四時間余しか経つていない時期に畑山係長らが検出したのであるから、その時までに、跡ガス中の一酸化炭素がすべて流出してしまうというほどの大きな気流が同坑道内にあつたときは、まだ考えられない。むしろ、あえて考えるならば、爆発によって跡ガスもベルト斜坑に一旦排出され、戻り現象によって同坑道内に再び流れてきたのは、ベルト斜坑上部からのあらたな通気が多かつたためということの方がまだ考えやすいのではないだろうか。いずれにしても、ここで問題なのは、同坑道内に一酸化炭素が全く存しなかつたかどうかではなく、その測定をしても、これにかからなかつたという事実である。

つぎに、臭気についても、爆発時ベルト斜坑下部で作業していた者(出町、検面、昭四二、七、五日付(二))あるいは爆発後、右入気坑道内に入つたもの(証人境出、昭四四、三、二七日公判、九九問答)らのうちで、これを感知したものはおらず、二月二三日玉山監督官らの実況見分時に、こげくさい臭気はあつたというが(同、昭四三、一一、二日公判、三七九問答)、その臭気は自然発火臭ではなく(同昭四三、一一、二六日公判二九七問答)、二月二五日に後向一〇尺材料卸で感知した臭気と似ていたというにすぎない。また、右二入気坑道付近は爆発後多くの者が通行しているのに、その際、誰も、特別の検査をしなくても感知できる臭気に気付いたものがいないことからすれば、臭気はなかつたものと認められ、臭気がなかつたとすると一酸化炭素もなかつたのではないかと考えられる可能性がある。

(二) 以上のような事実を前提とし、まず、右二入気坑道内に独自のガス源がなく、したがつて爆発後、同坑道内で前記の通り検出されたガスは、密閉奥部から押し出されてきたものであると考えると(伊木教授の起訴前の鑑定書は右の見解であつた。)この場合には(1)の理由により爆発前に押し出されたメタンガスは爆発の際に消費されるか、あるいは、爆圧で激しく移動させられ易いと思われるので、むしろ、爆発後(2)の理由により出て来たと考える余地の方が強いと考えられる。そうだとすると、爆発後払跡内から押し出されてくるガスはメタンのほか、一酸化炭素や臭気を混在させたガスとして出てくるのが自然な筈であつて、メタンと一酸化炭素や臭気が分離して出て来たというのは不自然と考えねばならなくなる。そうなると、右メタンガスは密閉奥部から出てきたものではないと考えてゆかねばならなくなる。

(三) そこで検察官も論告中では、右のように主張し、爆発後、同坑道内に生じていた天盤崩落部分から出たものと述べている(論告要旨一〇頁)。伊木教授も、公判鑑定書中では「右二入気坑道の含ガス空気は、爆発後、密閉奥部に吸いこまれてしまい、その後に同坑道の天井崩落がおこり、ここに可燃性ガスが多く湧出してきたことも考えられる」。としている(同七項)。そして、ここに天井崩落からの湧出という趣旨は、かりにその、崩落個所が一〇尺層の炭層部でないときには、同炭層部のガスが崩落した場所を通じて湧出するという趣旨であつて、岩盤部からのガス湧出ではないとのべている(同昭四五、五、二二日公判五七問答)。もとより、右湧出ガス量は、本件爆発をもたらすほどのものではなく、本件爆発原因を払跡内の自然発火と推定するうえで、支障になるものではないとの趣旨ではあるが、しかし、それまで同坑道内にガス源が全く存しないことを前提としていた最初の検察官の主張からすればかなりの退歩である。爆発後同坑道内に臭気、などが存しなかつたという事実はそのために、同坑道内にガス源があると考えてゆかねばならないことになる点で軽視できない点である。

(四) つぎに、爆発後の右メタンガスがかりに同坑道内の一〇尺層から湧出したものであつて密閉奥部から出たものではないとすると、検察官の主張を前提とすれば、同坑道奥の密閉部には、最初の爆発による爆風、爆炎を通すほどの通気路が生じていた筈であるのに、爆発後払跡内のガスが入気側に出なかつたということになる。そこで、残炭柱付近から内部のガスが出易いとされるのに、出なかつたことをどのように評価すべきかという最初の問題が残ることになる。これについては、前述したとおり自然発火の徴候が爆発後入気側に出る可能性があるとしても、どの程度高いのか、とくに、密閉手前に崩落が生じていたりする本件爆発後の具体的な諸条件のもとにおいて、右の徴候が出て来ないことが、どの程度不自然であり、そのため、密閉が破れていないとか、その他払跡内部に自然発火のあることは否定する程の事情と考えられるかどうか鑑定人の見解もわかれ(伊木、公判鑑定書、六、七項)、まだ明らかではないと思われる。したがつて、これを、いま直ちにいずれかに判断するまでには至らなかつたが、払跡内部に自然発火が生じていれば、その徴候が入気側に出易いという可能性が全くないのならともかく、その可能性が存することだけは認められるので、それにも拘わらず、右の徴候が入気側にあらわれなかつた点には、やや疑問が残らないではない。

五  自然発火かどうかに関する証拠の総合的評価

以上においては、検察官が自然発火発生の根拠であると主張する点と、逆に弁護人らが自然発火は発生していないことの根拠であると主張する点のうち、本件爆発原因の推論にとつて重要と思われる諸点をとりあげ、それぞれについて、個別的な検討を加えてきた。

検察官は本件証拠を総合すれば、残炭柱付近の自然発火は十分裏付けられているし、それ以外には爆発原因は考えられないと主張しているので、つぎに上述の個別的な検討結果を基礎とし、それ以外の関係証拠をも加えて、総合的に判断するとき、本件爆発原因についての検察官の主張は、合理的な疑いを残さないほど明白に立証されているかどうかを検討しなければならない。検察官が前記主張の根拠としているのは、これを要約して再度列挙すればつぎの諸点にある。すなわち

(1) 右二入気坑道が爆心地であることは疑う余地がなく、そのガス源、および火源は、右二入気坑道密閉奥から由来したものと考える以外にないこと。

(2) 本件爆発前に、右二、六尺上添の八目抜、九目抜に認められた漏風は、七目抜に発現した漏風とは別個のもので、一〇尺材料卸からの漏風とは認められないこと。

(3) 二月一〇日、一七日の両日、九目抜で検知された一酸化炭素は、その際の観測された同目抜のガス組成から考えても、旧自然発火に由来するものではないこと。

(4) 二月二五日に八目抜、九目抜で検出された一酸化炭素は同時に採取された資材のガス組成から推論すると、跡ガスによるものでもなく、旧自然発火に由来するものでもないこと。

(5) 二月二五日、一目抜ないし七目抜に一酸化炭素が検出され、これらの目抜の水柱が異常に上昇しているが、この事実は密閉内の自然発火を想定しなければ説明ができないこと。

(6) 本件爆発の直前に、一部パイロメーターの温度が上昇して従前認められなかつた温度を記録しており、自然発火以外の原因では、これらのパイロメーターの温度が上昇することは考えられないこと。

(7) 三月一三日以降のガス分析結果によれば一一目抜、一二目抜の一酸化炭素は早期に消え、八目抜では四月下旬まで継続的に検出されるなどの現象があるが、これまた、残炭柱付近の自然発火を考えなければ合理的な説明ができないこと等である。

そして、これらの諸点も、それを個々独立して考えれば、いずれも自然発火を断定するまでの証拠とはいえないが、これを総合的に判断すると自然発火を認定するに十分である、というのである。これによれば、検察官は以上の諸事実や証拠評価の方法が、いずれも、本件証拠上立証され、明白になつていることを前提とし、これを自然発火の発生を推論させる根拠として引用しているのであるが、しかし、すでに右にあげられた各事項について、各別に詳述したところから明らかなとおり、これらの諸点のなかには、主張どおりの具体的事実が立証されているかどうか、その前提自体に疑問のあるものや、指摘どおりの事実を認めることができる場合にも、これを残炭柱付近の自然発火と結びつけ、その徴候ないし痕跡と判断するのが相当かどうか不明というほかないものが少なからず含まれている。また、かりに爆発原因を残炭柱付近の自然発火と想定することにとつて、矛盾障碍となる事実が、これとは別に存在することについても前述したが、検察官の主張においては、これらの疑問点に対する反論も十分ではない。このことについては、すでに各事項毎に詳述したので繰り返えさないが、これら諸点を逐一検討してゆくときは、検察官の主張には具体的な証拠によって裏付けられていない事実を前提とした推定に止つている部分や、その主張にとつて不利益となる証拠についても十分の考慮を払つた立論ではないといわざるをえない部分があり、結局、公判に提出され、相手方の批判にさらされた証拠のすべてを総合して考えるときは、あまりにも多くの疑問を残していて、到底合理的な疑いを残さないまでに立証された主張とは考えられない。

再論をさけるため、以下には極く簡単にふれることとする。

まず、検察官が列挙している前記諸点のなかで、証拠によりかなりの程度立証され、また、内容的にも検察官の主張を最も強く裏付けていると思われるのは(1)の点、すなわち、ガス源、火源からみて爆源地は払跡内であり、したがつて残炭柱付近で自然発火が、発生した可能性が高いと考えるべきではないかとの点である。

他にこれといつた爆発原因の形跡が認められない本件においては、一〇尺露出層からのガス湧出という弁護人らの主張よりも、残炭柱付近の自然発火という見方の方がはるかに可能性が高いと考えられることはむしろ当然であろう。

ただ、本件の場合、右二、入気坑道内のガス源、火源等を全く否定することができればこれのみによって、払跡内の自然発火をかなり強く想定することができるのかも知れない。しかし、前述したとおり、同坑道内にガス源および火源がなかつたとまでは言えないこと、前記のとおりであり、加えて払跡内の自然発火とすると、説明の困難になる諸点もあることからすれば、他に自然発火を推論させる別の根拠でもないかぎり、右事実のみによって自然発火と認定することはできないと考える。そこで、払跡内で自然発火が発生していたことの爆発前の徴候か爆発後の痕跡がどこかに、発現していたことが認められるかというのに、前述した通り、そのような事実は殆んど確認できないのである。すなわち、検察官の主張によれば、右2.6尺上添、八目抜と九目抜とにおいて、事故前一〇尺材料卸からの漏風とは別個の漏風があつたとされている。これらの目抜において事故前認められたガス変動を一〇尺材料卸からの漏風とは別個の漏風と断定してよいかも明らかではないが、かりに別個の漏風であつて、それが残炭柱付近で自然発火を促進させたのち、上添目抜に排出されてきたものであるとすると、自然発火に伴つて生じる一酸化炭素、臭気、温度上昇などの変化も、事故前ないし事故後において、これら漏風経路の生じている目抜に顕著にあらわれる筈と考えられるのであるが、そのような形跡は殆んど認められない。

事故前の二月一〇日、一七日の両日、九目抜において一酸化炭素が検出されたが、この一酸化炭素は旧自然発火によるものとの疑いの方が強いことは前述したとおりであるし、臭気、ガスの温度上昇などはあらわれず、一部パイロメーターの温度上昇は一〇尺材料卸からの漏風があつた七目抜方向にあらわれていて、これは、残炭柱付近の自然発火の有無とは無関係の現象と考えられる。つぎに事故後に右の影響がこれらの目抜に顕著にあらわれているかというのに、二月二五日八、九目抜で一酸化炭素が検出されているが、その際には、八、九目抜の特徴をもつてあらわれたのではなく、これより奥側の各目抜においてより急激に増加したことの一環として両目抜にもあらわれたものですなわち跡ガスと考えるべきことについては鑑定人の意見が一致するに至つているし、同日一目抜ないし七目抜で北川式検知器には反応せず、ガス分析結果だけにあらわれた大量の一酸化炭素については、その分析値の正確性に大きな疑問があり、むしろ分析の不手際による誤りではないかとさえ考えられることは上述したとおりである。臭気についても奥側の目抜においてより強く、八、九目抜方向においては順次弱くなつているのであつて、残炭柱付近の自然発火により生じた臭気が漏風経路を伝つて、これら目抜に強くあらわれたという形跡はなく、温度変化にも注目すべき痕跡はない。爆発後の水柱上昇の結果についても、これを直ちに残炭柱付近の自然発火の影響であると判断すべき根拠は明らかにされていないと言わねばならない。このように、検討してくると本件爆発前ないし爆発後の諸変化のなかに、爆発原因が残炭柱付近の自然発火であることを確実に裏付けるべき徴候ないし痕跡と認めうるものは証拠上殆んど存しなかつたということにならざるを得ない。更に又、このことに加えて、本件においては、自然発火であれば、通常ともなうことが多いとされている、再爆発がおこらなかつたこと、爆発後の一酸化炭素の減少傾向、右二入気坑道奥の密閉構築資材の飛散が認められなかつたことなど、自然発火説にとつて説明の困難な諸現象があることも考えねばならない。これらの各事実を総合して考えると、本件については、爆発原因が自然発火であつたと判断することは、到底むつかしいことは自ずから明白であろう。

逆に言えば、本件各証拠を前提として爆発原因を自然発火と想定するためには、可能性の低い多くの条件をすべて満たすという極めて稀な事態を考えねばならなくなるのである。たとえば、上添目抜に徴候があらわれなかつたのであるから、その自然発火はメタンガスに着火するような高温度に発達するまでの間に生じた一酸化炭素、臭気、温度上昇などの変化を上添側目抜のどこにもあらわさないか、あらわれても観測されない程度の小規模のものでなければならず、また、密閉内で最初におこつた爆発は、右二、入気坑道の密閉や、爆源地から密閉に至る間の旧ゲート坑道崩落充填部を通過して外部に噴出しうるほどの大きな圧力をもつている一方、排気側目抜方向に対しては、八、九目抜を中心として前記のような徴候をあらわすほどの影響力がなく、また、右二、入気坑道奥の密閉の破損個所は火炎を通過させる程度の大きさはあるが、密閉資材を飛散させるほど大きくはなく、さらに再爆発がなかつたのであるから爆発の戻り現象によって爆発前より多くの酸素が自然発火個所に供給されるまでの一瞬の間に、火源は崩落ずりなどで埋没されてしまうなどして、あらたな空気が吸いこまれて来た時には、火源とならないような状態になつていなければならない、というように、その他多くの条件をすべて満たしていなければならないことになるのであるが、そのような事態のすべてが生じる可能性が極めて小さいことについては、言うまでもないであろう。もとより、だからといつてそのような偶発的な自然発火もおこり得ないとは言えないし、伊木教授の供述のようにこうした事故は、大なり小なり偶然的要素が重なり合つたところにおこるという面のあることも否定はできないかもしれない。しかし、本件について、自然発火が爆発原因になつたことを単に推測するという域を越えて刑事責任を科する根拠として認定するためには、相応の明確な根拠が必要なのである。本件審理を振り返つてみると、すでに起訴状中において、右自然発火の徴候として、酸素増加等の漏風傾向は七目抜へ、これにより生じた一酸化炭素は九目抜、一〇目抜へ、温度上昇は七目抜本向パイロメーターへというように、本来相互に関連している筈の徴候が各別ばらばらにわかれて脈絡なく発現しているかの如く主張されていて、そのため、その後主張自体を修正せざるを得なくなつたことが目につく。これによれば起訴当時においてすら、すでに本件爆発原因が自然発火であつたことの確かな徴候なり痕跡としてどの点を把握していたのか、いささか理解し難いのであるが、起訴状においても、右のようにばらばらの徴候しか把握することができなかつたということは、つまるところ本件においては爆発原因につながる確かな証跡を確認することができていなかつたこと、そしてそのことが、ここにあらわれているのではないかと考えられるのである。

証拠をはなれて推測するだけなら、本件爆発の真の原因は自然発火であるかも知れないし、そうでないかも知れない。ただ、ここで明らかなことは、本件公判において明らかにされた証拠をもとにして、考えれば、確かなところ、いずれであるかの判定はできない状態であるということである。

(二) 本件審理にあたつては、爆発原因を解明するため、専門の学者、本件事故調査団、現場経験者あるいは、現場労働組合など各方面の意見を鑑定書、報告書、証言などの方法で聞いた。なかでも、伊木教授からは、起訴前の時期における検察官宛鑑定書と公判審理が終局に近づいた時期において、公判にあらわれた諸証拠を基礎とした裁判所宛の鑑定書の二通が提出された。房村教授からも、同様公判にあらわれた証拠を基礎とした鑑定書と伊木教授の裁判所宛鑑定書に対する再反論の意見書の二通が提出された。公判においては、両教授のほか、北大磯部教授や北炭境田三郎顧問ら専門家からも、詳しい供述を聞くことができた。

これら学者の見解は結論と理由とが一体となつて理解されるべきものであろうから、その結論だけを切りはなして評価することは相当ではないであろうが、いま便宜上、あえてその結論だけをとり出してみれば、伊木、磯部両教授の見解は、おおむね、本件においては、爆発原因が自然発火であつたことを示す積極的な証拠は存しないけれども、他に爆発原因となりそうなものが見当らないので爆発個所からみて自然発火という疑いが最も強く残る、というのである。尤もそのうち伊木教授の見解は起訴前の検察官宛鑑定書と裁判所宛鑑定書との間では見解は必らずしも同一ではなく、後者の鑑定書中においては、自然発火の疑いの程度や、その根拠となる証拠の評価などについてかなりの後退が認められることに注意しなければならない。これに対し房村教授の見解は、本件爆発原因を具体的に指摘することはできないとしながら、少なくとも自然発火でないことは確かである、というのであつて、前記伊木、磯部両教授とは全く逆の結論であり、また、境田三郎顧問は捜査時に知りえた資料からは、自然発火の疑いが強いと考えていたが、起訴後入手した資料を検討してみると、自然発火ではないと考えざるを得なくなつたというのである。

当裁判所は検討の結果、結局、本件爆発の原因を自然発火と断定することができなかつたこと、前述のとおりであるが、一流の学者によるこれらの鑑定結果ないし、その基礎となる本件諸現象についての専門的な説明は、本件爆発原因を考察するにあたり非常に役立つた。尤も、これら専門家が事故原因の根本的解明という点については絶対的な解決を示さなかつたことは、正に検察官指摘のとおりであるが、しかしそれは、検察官のいうような学者としての、観察が局部的な考察にとらわれる傾向があつて、証拠の総合的判断という点でかけるところがあつたからではなくむしろ、本件においては、爆発原因を直接に捉えた証拠がなく、間接的な諸事実を総合して推論するほかないという困難さがあり、しかも、その間接事実のそれぞれについて関係証拠が乏しく、そのため、少しでも疑わしい徴候、痕跡を含んだ断片的な証拠まで拾いあげて資料とし、検討するということになると、勢いそのなかに、相互に相反する証拠が錯綜してくることにもなつたりして、個々の間接事実ごとに、どの証拠をどの程度信用すればよいかという、学者ならずとも、直ちに判定し難い困難な問題がつきまとい、そうした問題が広い範囲にわたつて存在していたことによるものと考えるべきであろう。

本件爆発原因についての専門学者等の意見が前記のとおり大きく異なつている理由のなかには、検討の対象とした基礎資料の範囲の違いもあるであろうが、それだけではなく、同じ事実を前提として判断してもなお、異なつた結論に達することが避けられないような基礎事実ないし間接事実自体の曖昧さがあることは否定できず、しかもそれらの間接事実のうち、どの範囲の事実が証拠により裏付けられていると考えるかについても、考慮する人々によつて一定しないという事情が、事実問題をより複雑にしていると考えられるのである。

また、伊木教授や磯部教授が自然発火の推定をしながら、他方断定することはできないと証言している点について、検察官は、それは、科学者という立場からは、直接の証拠を確認していないことからこのように言わざるを得ないのにすぎず、刑事裁判の上で、断定と同様に評価して然るべきであると主張している。もとより、鑑定人らが科学者としての立場から推定としか言えないときでも、その推定根拠に十分の理由があつて、高度の蓋然性を肯定しえられるときには、刑事裁判の上で、断定とみなしてよい場合があることは当然であろう。しかし、本件の場合に両教授らが断定できないと供述しているのは、要するに爆発個所からみて、他に爆発原因が見当らない現状では自然発火の疑いが最も強いが、さりとて、その推論が正しいかどうか確認するに足りるだけの積極的な証拠を得られないでいるということであつて、やはり、本件間接事実が、まだ、爆発原因を確実に推論させるほどの明確な輪郭をなすに至つていないことを示していると考えられるのである。当裁判所が本件爆発原因の考察をするにあたり鑑定人の鑑定結果を前提としてその信用性を検討する前に、まず、鑑定の基礎となるべき本件爆発前後の諸情況とその際問題になると思われる事実をとりあげ、これに関する事実のうち、どの範囲の事実を推論の前提としてよいかを、まず、確かめてから判断するという方法をとらざるを得なかつたのも、主として以上のべた事情によるものである。

ところで、本件爆発原因を自然発火であるとする検察官の本件訴因は、主として、伊木教授の起訴前の鑑定書を根拠としたものであると窺われるので、同教授の右鑑定結果について若干ふれておく。

同教授は起訴前の鑑定書中で、六尺ロング払跡内の自然発火を推定する根拠の主なものとして爆風などの噴出してきた、右二入気坑道内にはガス源、火源がなく、同所にガスがあるとすればそれは、旧坑道の奥の払跡方向であると考えられること、爆発後、六尺ロング上添目抜で一酸化炭素の増加が認められているが、これは、一部爆発の跡ガスもあるかも知れないが、大部分は、自然発火によるものであることなどをあげている。このような考え方は、伊木教授ひとりの独自な考え方ではなかつた。本件事故直後の二月二五日、六尺上添目抜で一酸化炭素の検出がされた時から、現地関係者の間では自然発火の痕跡ではないかとして問題とされており、そのため遂に水没決定をするというほどの理由になつたのをはじめとして、その後、政府技術調査団の中間報告書においても同様の考えが採用された。

また、会社関係者のなかにも、このような、考え方があり、災害報告書の作成にあたつては、報告書提出期限に追われ、一方本件の原因追求よりも操業の再開を急いでいたという政策的な動機が関係者に存したにしろ、ともかく、会社自身によつても一旦は承認された考え方であつた。こうしてみると、同教授の右鑑定書は、その当時の多くの関係者のこのような、一連の考え方を踏襲し、集約したものであつたとも言える。同教授自身も、むしろ右鑑定書作成にあたつては、作成前までの右のような考え方が先入観念として強かつたことを証言中でしばしば強調しているところである。ところが、同教授はその後、公判審理にあらわれた新たな諸証拠を考慮に入れて再度、鑑定した結果、これらの点については意見の変更を余儀なくされたとしている。すなわち、右二入気坑道内のガス源について、かりに同坑道内にガス源が存しないとすると、事故後同坑道内で鉱務監督官らにより検出されたメタンガスは、どこから由来したと考えるべきかが問題となるが、起訴前の鑑定書で密閉奥の払跡方向から出たとしていたことには若干の疑問を生ずるに至り、これは同坑道内部のどこか、たとえば、天盤崩落部付近の一〇尺層から出たのではないかとして、同坑道内にもいくらかのガス源が存することを認めるに至つており、また、二月二五日、六尺上添目抜(七目抜より奥側)で検出された多量の一酸化炭素については、自然発火によるものではなく爆発の跡ガスと思われるとしているのである。

以上の二点は本件の自然発火説を理由づけるうえで極めて重要な点であつたことは、これまで、たびたびのべてきたとおりであり、このように重要な点についての根拠を失つたことは到底軽視できない。また、同教授は再鑑定事項のうち、つぎのような資料ないし事実「(イ)二月二五日の上添目抜ガス観測値(ロ)二月二六日以降三月二日までの間の第一風道扇風機付近のガス観測値、(ハ)右二入気坑道密閉の奥に実木積、研充填があること(ニ)同坑道中打栓の変質炭じん付着状況(ホ)爆発後同坑道内で一酸化炭素は検出されなかつたこと(ヘ)本件爆発の前後を通じ同坑道内に自然発火臭はなかつたこと(ト)再爆発がなかつたこと」を参酌して考えても爆発原因は残炭栓付近の自然発火であつた蓋然性が高いといえるか、との問いに対し、「これらの資料ないし事実のみを参酌して推論すると、残炭柱付近の自然発火であつたと考える確実性は極めて低いものと思われる。しかしながら、これ以外の自然発火を疑わせる事実を無視しているように思われる。」としたうえ (チ)二月上旬に一目抜ないし七目抜で平泉係員が感知した臭気 (リ)二月二五日上添目抜の臭気 (ヌ)事故直後の会社の判断をあげている(同三〇項)。ところで、右鑑定事項の問いとして掲げた(イ)ないし(ト)については、証拠上おおむね認めて差支かえない事実であると考えられるから、これをもとにして、考える限り本件爆発の原因を自然発火と考える蓋然性の低いことを同教授も一応承認していることになる。そこで、同教授がそれ以外の自然発火を疑わせる事実として掲げた(チ)ないし(ヌ)の諸点は、右の判断に対して、どの程度の影響を及ぼすと考えられるかであるが、まず平泉係員の感知したという臭気については、すでに、のべたとおり他の証拠からみて自然発火臭ではなかつた疑いがあると思われる。

また(ヌ)の事故直後の会社の判断も、そのことだけでは格別の意味をもちうるものではなく、会社が何故そのような判断をせざるを得なかつたかという基礎にある事実こそ問題なのであるが、それは、前記二月二五日上添目抜方向で検出された一酸化炭素やガス源についての判断など、すでに伊木教授自身、本件自然発火を疑わせる事実ではないと判断した点であるから、この点も亦前記判断を動かすものではない。残るのは(リ)の二月二五日八目抜より奥の目抜で感知された臭気だけであるが、この臭気は検察官が自然発火をもたらした漏風の経路があつたと主張している八、九目抜に顕著にあらわれたのではなく、むしろ、旧自然発火の影響を受けていた一一目抜方向において強く、八目抜方向で順次弱くなり、残炭柱直上にあたる六、七目抜方向では存しなかつたのであるから、これが、かりに、いくらか自然発火を疑わせる点があつたとしても、前記の判断に到底大きな影響を及ぼすものとは考えられない。このように考えてくると、本件公判審理において、あらわれた上述のような、諸事実をあわせて考える限り、どうしても、本件爆発原因が自然発火であつたとの蓋然性は、高いとはいえないことに帰着せざるを得ないと思われるのである。尤も、自然発火でないといつても、これに代る、どのような爆発原因があつたのかが、不明なのであるから、なお疑問が残ることは当然である。

しかし、かりにそのような疑問が残るにしても、それは前述したような事情で爆発直後に水没をしたため爆発原因解明のための資料が著しく不足していることによるものであつて、不十分な資料によつて自然発火と認定し、刑責を認めるようなことを、正当化するものではない。

第四  被告人らの過失について

検察官は本件爆発原因が自然発火であつたことを前提として、その場合に被告人両名に過失があつたことを論述している。しかし、自然発火であつたかどうかが不明となつてしまつたので、検察官の主張するような過失が被告人らにあつたかどうかを判断することはできない。ただし、爆発原因が自然発火であつたかどうか不明であるとする理由が前述のとおりであり、そのなかには、爆発前、自然発火の徴候と認めるべきものが、存しなかつたということが含まれているからといつても、そのことは直ちに当時被告人らが行なつていた密閉観測、坑内ガスの観測、管理、その他の保安措置について何らの手落ちもなかつたということまで含んでいる趣旨ではない。むしろ、被告人らが、より慎重で用心深い措置を行なつていれば、自然発火であるにしろ、ないにしろ、より正確で信頼度の高い判断ができたと思われるふしがあると考えられるので、以下極く簡単にふれておく。

一  爆発を含む異常事態の予見可能性

本件爆発前、右二排気側の各目抜で観測された酸素増加等のガス組成の変動、一酸化炭素、九目抜の臭気、七目抜パイロメーターの温度上昇などの変化から払跡に関連する区域付近の異常状態、ことに爆発など坑内作業員の生命身体の安全に危険をもたらす種類の異常事態を予告することは、おそらく誰にもできなかつたであろうという点については、各鑑定人や本件関係者の間に異論はない。

したがつて、右の時点では、坑内作業員の入坑を一時見合わせるなどの措置をとる必要は存しなかつたと考えてよいし、このことは大気圧の降下時であつても同様であつたと認められる。要するに、被告人らが現実に入手していた資料のなかには、自然発火であろうとなかろうと、本件のような爆発の危険性を疑わしめる資料は存しなかつたと言つてよかろう。

二  その他の保安上の措置

しかし、現実に入手した資料中に右の危険を予知させるものが、なかつたとしても、より慎重な観測ないし検査を行なつていれば、そのような資料を入手することができたかも知れないし、たとえ無駄に終つても、そのような措置を講じておくべきであつたと思われる点はある。

(一) 右二盤下坑道の通気中のガス湧出源の検討

右二盤下坑道通気中のガス量が本件事故前年の一一月、すなわち、後向一〇尺ロングの採炭払面が右二入気坑道に接近した頃から増加し、本件事故発生前にも、かなりの量と計算上考えられる状況であつたことが認められ、そのことが、本件において右二入気坑道内の一〇尺層、露出部からのガス湧出の疑いを否定し切れない大きな理由の一つであつたことは前述したとおりであるから、被告人らとしては一一月当時、以降遅くとも事故発生までの間において、盤下坑道内の通気中に含まれているガスが、はたしてどこから由来しているものかを、よく検討しておかねばならなかつたと考える、当時、盤下坑道にメタンガスを流出させるおそれのあつた個所としては、右三盤下坑道方向の岩石坑道堀進部と、右二入気坑道内との二個所しか、想定できない坑内状況だつたのであるから、小範囲の区域において精密な測定を行なえば、ガス湧出の有無、ガス量を知ることは可能だつた筈である。そして、かりに弁護人や被告人らが主張する通り、同坑道内一〇尺層から湧出していることが確認できたならば、その際には同坑道内に危険なガスを滞溜させないよう通気によりベルト斜坑へ流すなり、あるいは一〇尺層の手前にコンクリート密閉をあらたに構築するなり、適宜の方法をとることができたと考えられるのである。

被告人らは盤下坑道通気中のガス量が増加した様子を知りながら、通気中の右ガス濃度それ自体は、さして保安上注意を要するまでもない数値に止つていることに安心してか、通常の保安係員の坑内巡検以上の特別の措置をとつていなかつた。そのことが、本件事故原因の解明を困難にさせているのである。坑内通気中のガスの管理ということについては、単に通気中のガス濃度だけでなく、そのガスがどこに由来し、湧出個所付近においても危険な状態が生じていないかどうかという点も含めて、常時検討を怠らないことは当然ではないか。

(二) 上添目抜密閉の観測強化

本件事故前、上添目抜の密閉ガス分析結果にいくつかの検討を要する変動があらわれていた。すなわち、一〇目抜では二月一七日に0.018%の一酸化炭素が検出され、九目抜では、二月一〇日と一七日の両日各トレースの一酸化炭素が検出され、二月一七日には漏風を生じた疑いもあらわれ、一〇尺上添目抜では二月一〇日0.002%の一酸化炭素が検出され、また、そのころ、七目抜を中心として酸素・窒素等の増加が生じている。もとより、これらの数値が直ちに払跡内部の異常を示しているとは限らない。一〇目抜、一〇尺上添目抜においては、ともに他のガス組成に全く変化はないのに一酸化炭素だけが増加、検出されているというにすぎないし、また七目抜には調量戸の影響が考えられ、結局内部の異常を疑わせるのは九目抜だけということになること。その九目抜の変動もまだ、自然発火に結びついた徴候とまでは考えられないこと、などについては前述したとおりである。しかし、このような判断は、入手された資料から判断すればこのようにしか考えられないというにすぎず、十分な資料をもとにして検討した結果、右の判断に達したというものではないことを忘れてはならない。

前記各目抜のガス組成の変動が一見したところ、それ自体、自然発火に結びつきそうな疑いを含んでいるにせよ、いないにせよ、ともかく、それまで安定していたものが、変動を示したことには変りはないのであるから、このような場合には、右ガス組成の変動が、その後どのような推移をたどるかを、よく注意して追跡調査をし、原因を確かめることが保安上必要なことは言うまでもない。そして払跡内の異常発生の有無は少ない回数のガス分析値からは推論し難いのであるから、慎重、正確な判断をしようとすれば、必然的にその回数を、それまでよりも増加することが必要だということにならざるを得ない。本件上添目抜においては、事故前ガス分析が週一回位の頻度で行なわれていたが、その分析頻度は九目抜などで、やや疑問のもたれる、ガス組成の変動があつた時にも格別増加されていない。

ガス分析によつて、少しでも、密閉内の異常発生の早期発見をはかろうとするのならば、ある目抜で変動をおこしたときには、その目抜と、これに隣接する各目抜ぐらいについては、より頻繁にガス分析を行ない、その変動が安定した状態に戻るのか、それとも、増々はげしくなつてゆくのかを監視することが必要だと言わなければならない。もとより六尺ロング払跡のように広大な区域内に生じる変動を一部上添目抜のガス分析によつて、どれほど把握できるかには自ら限度があるかもしれない。しかし、他に方法がないとすれば、尚更、密閉での監視を強化すべきが、保安というものの考え方ではないか。

密閉でのガス分析が通常時には週一回程度で足りるとしても、それは疑問をいだかせるガス組成の変動が生じたときには、直ちに分析回を数増加し、これによつて変動の推移をもれなく監視することができるという機動的な態勢が保たれている場合のことであつて、機械的に週一回観測をしておれば、それで足りるというものではない筈であろう。自然発火の場合、徴候を感知したのち、それほどの時間を経ずして爆発等に至る場合もあるとされていることを考えれば、少しの変動であつても、そこに疑わしい点が残つている限り分析頻度を増やすことを躊躇してはならないというべきである。その結果、何事もなく終り分析回数の増加が一見無駄に終るということも少なからずあり得ようが、疑わしい分析結果が出たその時点に立つて考える限り、将来それが、どのような経過をたどるかは、全く予測できない状態なのであるから、保安上は最悪の事態の場合にそなえて、たとえ無駄に終ろうとも万全をつくすということでなければならないのである。このように考えてくると、検察官が本件事故前における前記のような、ガス組成の変動を考慮し、二月一七日以降においては、毎日毎方七、八、九、一〇の各目抜でサンプルを採取してそのガス分析を行なう必要があつたと主張していることも、よく首肯することができるというべきである。

これに対して、弁護人らは一〇目抜で0.018%の一酸化炭素が検出された際には、翌日、生産課長の和田被告人と川内保安係長らが同目抜密閉に行き、北川式検知器を用いて測定をし、トレースであることを確認したので、対応措置は十分行なつていたと主張している。和田被告人らの右測定の結果は、本件証拠上、記録などにより確認することができないが、かりに右のとおり北川検知器で測定したことが事実であつたとしても、これにより、対応措置が十分であるとするのはやや早すぎる。二月一七日0.018%の一酸化炭素が検出されたということは、右サンプル採取時にたまたま一酸化炭素が密閉内に存したということを示しているのではない。それは前回二月一〇日のサンプル採取後生じたものが、その後一七日のサンプル採取時までの間、継続して、滞溜していたことも疑わせる。

このように、ある期間同目抜奥に滞溜していた一酸化炭素であるとするならば、翌日の北川式検知器による測定においてトレースであつたとしても、これにより、それまで数日間継続して滞溜していた一酸化炭素が、右北川式による検知までの間に急激に減少してしまつたと速断しないでもうしばらくの間、同目抜や、隣接目抜でガス分析等他の方法による検査を行ない、その結果を見て消失したかどうかを判断するという位の慎重さが必要であろう。

また、当時上添目抜方面では、原則として、毎方、保安係員において、密閉観測を行なうことと定められ、実際にも、一日一回以上観測が行なわれ、その結果が「炭じん並自然発火処理薄」に記入されて、関係上司に報告されていたので、ガス分析は週一回であつても、少なすぎることはないという考え方があるかも知れない。しかし、右の密閉観測にあたつては、観測管内のガスの臭気、温度、メタン濃度などの測定は行なうが、一酸化炭素の検知などは、通常行なわれていない。したがつて、臭気とともに自然発火の大きな徴候とされている一酸化炭素については、週一回のガス分析結果により、一週間間隔の数値を知りうるにすぎないのである。元来、密閉観測のために行なわれるガス分析や保安係員による巡回検査は、そのいずれも、その片方だけで高い信頼性があるわけではないようである。ガス分析の場合にも、サンプル採取から分析に至る過程での人為操作の不手際がある程度避けられないためか、本件においては同一時刻、同一場所で採取したサンプルのガス分析結果が大きく相違するという状態が続いていたのであるから、このような分析数値を全面的に信用するというわけにはゆかない。

また、密閉観測結果についてみても、たとえば二月二五日玉山監督官と塩原係員とが各別に観測した結果において、大幅な相違があつたことからも明らかなように、かなり慎重に行なつても、なお信用し切れない面が残つていることを認めなければならない。そうだとするならば、ガス分析結果なり、密閉観測結果なりに疑わしい数値があらわれた場合の対応措置としては、そのいずれか一方の方法により異常がないと認められれば十分というのではなく、少なくとも双方の方法を併用して用心深く確認するというぐらいの慎重な配慮が必要だと考える。そして、密閉観測の際に、同時にサンプルを採取してきて、その分析を行なうという程度のことは、その気になりさえすれば、容易に実施することができるのである。

(三) 漏風検査など。

本件事故前、七、八、九目抜付近に漏風の徴候があらわれたことが、その頃のガス分析結果によつて窮われることについては前述した。検察官は、この際、対応措置として、入気側にあたる、右二入気坑道密閉付近、後向一〇尺ロングゲート付近ないし、一〇尺材料卸の調量戸設置により影響を受ける付近で、それぞれ漏風検査を行なう必要があつたと主張し、弁護人は、その必要はなかつたので行なわなかつたと弁明している。

しかし、上添目抜で漏風が認められた場合、その侵入経路が、どこであるかについて、可能な範囲で、そのチエックをしてみる必要があることについては言うまでもなかろう。

ただ、後向一〇尺ロングのゲート付近とか、材料卸付近は、いずれも、通気が行なわれていたのであるから、検察官のいうミツル漏風検査器などによる漏風検査は無意味であろう。とすると、測点を定めて精密な風量検査を実施し、漏風量を想定することも考えられるが、七目抜方向の漏風が、このような測定方法によつて判別できるほどの大量のものであつたことは、分析値からみても、到底考えられないのではないか。

これに反し、右二入気坑道は袋坑道であるから、同坑道奥の密閉において、観測管を開いて入気状態の精密な検査をし、あるいは、密閉手前でミツルを用いて漏風検査を行なうなどのことは、容易に行なうことができたはずである。もとより、右の検査に際しては、発煙器の煙が坑道内の気流に流されるなどして、漏風個所を発見できないこともありうるかもしれない。しかし、漏風の有無、漏風個所を発見しうるかも知れない、という可能性があることも否定できないのであるから、排気側において、現実に漏風の傾向があらわれている状況のもとにおいては、まず、これを実施してみるというのが、保安の実務というべきではないか。

弁護人らは、七、八、九目抜の漏風は一〇尺材料卸の調量戸による上添側だけの漏風であり、右二入気坑道や、一〇尺ロングゲート方向からのものではない、と説明していること前記のとおりである。しかし、そのような判断は可能な限りの検査を行なつたあとにおいてなされるべきものであつて、保安上は、まず、手をつくして検査するなどの措置をとることが不可欠というべきである。

(四) 右二入気坑道へのコンクリート密閉の構築。

右二入気坑道奥の密閉から漏風を生じたか、どうか、あるいは、同密閉を破つて内部から爆風が噴出したかどうか、と無関係に考えた場合にも、同坑道入口付近にコンクリート二次密閉を構築しておくべきではなかつたかと、当裁判所は考える。

すなわち、右二入気坑道は坑道廃棄前には奥部残炭柱と、あまり遠くない距離でつながつていた関係にあり、その後、その間に木煉瓦密閉が構築され、あるいは、坑道のアーチ枠回収によつてかなり充填されたとはいうものの漏風のおそれが、全くなくなつた場所ではない。そのうえ、右木煉瓦密閉完成後三ケ月位を経た時期から急拠事業計画の変更により、後向一〇尺ロングをもうけ、右二入気坑道の至近距離まで採炭することとなつたので、これにより、残炭柱方向への亀裂を生じる心配が生じたのみならず、地山運動によつて、同木煉瓦密閉部付近にも亀裂などを生じる心配が強くなつていたと考えられる。地圧により、一方では、木煉瓦密閉の気密性が高まることも期待されるけれども、反面、密閉にいたみが生じ、あるいは、その周辺に亀裂を生じることなどの心配が強まることを保安上は考えておかねばならない。さらにまた、同後向一〇尺ロングの採炭面の接近により、同坑道内一〇尺層からの、ガス湧出が強まることが予想されるとするならばその必要性は、尚更高いと考えねばならない。後向一〇尺ロングの採堀による、このような影響を考慮するならば、二次密閉を構築しておくことは、単に望ましいというだけではなく、むしろ必要であつたと考えた方がよかろう。

これに対しては、同坑道奥の密閉は自然発火対策としての密閉ではないこと、同密閉構築後、同密閉では、やや入気という程度にすぎなかつたこと、などを理由として、二次密閉が不要であるとか、あるいは、六尺ロング払跡は周囲を包囲密閉してあるので、その内部に異変が生じた場合にも、その徴候を認知した段階で、これを構築すれば足りるとの考え方もありえよう(伊木、昭四五、五、二三日公判、二一七問答)。

事故前度々入坑していた、鉱務監督官からも、全く指示はなされていないのであるから、二次密閉が明らかに必要であつたというほどの事情ではないといわねばならないし、このような場合においてこそ、その適確な判断は技術者の任務であるといいうるかも知れない。しかし、一旦見込違いを生じた場合の犠牲の大きさを想うならば、前記の程度の事情が認められるときには、いくらかの経費をかけても、まず早期に二次密閉を構築し、万全の備えをしておくことこそ必要ではないか(会社側においては二次密閉を構築する予定であつたとする証言もある。境田、昭四四、三、二八日公判、三七八問答)。また、密閉記録簿(昭四三年押第一四四の一五)中の右二入気坑道の部分を見れば二次密閉が予定されていたことは明らかである。検察官も指摘しているとおり、炭坑保安の本質は労働者の生命保護にある。そして、技術者の知識経験において安全と判断される程度の措置が講じられていても、一旦事故が発生し、結果として、労働者の生命が失われてしまえば、炭坑における保安措置としては、失敗と評せざるを得ないのである。したがつて、このような危険と背中合わせの性質をもつた保安の問題については、最低限のぎりぎりの線で考えてはならないのであり、予想以上の事態が発生した場合に備えて、なお、つぎの歯止めをもうけておくという位の措置が要求されて然るべきである。

(五) 以上は本件爆発についての過失の有無をはなれて、一般的な保安措置の問題のうち、本件に関係が深いと思われるいくつかの点について審理中、当裁判所が懐いた印象を説明したものである。それは、あるいは自然発火による爆発であるかも知れない本件について、資料等が乏しく十分の検討を行ない、事故原因を解明することができなかつた一半の責任が上述したような、事故前の日常の保安態勢にもあつたのではないかとの、趣旨をも含んでいる。もとより、多くの炭鉱のなかには、大手炭鉱にあたる被告人らの場合と同程度の保安措置を行なつているもの、あるいは、それ以下の保安措置しか行なつていない中小炭鉱なども少なくないと思われ、被告人らの場合、他の炭鉱と比べて、とくに手を抜いていたというわけではないようである。しかし、この程度の措置さえ講じておけば、事故が生じた場合にも、保安上必要な注意義務をはたしたことになるとは限らないことを、この際将来に向つて強調しておかねばならないと考える。

第五  結び

本件爆発事故は、一瞬の間に、坑内を職場としていた者、六二名を死亡させ、一七名を負傷させた。

死傷者数が多く結果が重大であつたことは言うまでもないが、本件は単にそれだけにとどまるものではなく、炭鉱における坑内保安の将来につながる問題を含んでいる。また本件事故の背景には、我国における炭坑の稼行炭層が深部方面に移行し、保安面の重要性は増大しているのにもかかわらず、採炭コストの上昇や炭鉱界をとりまく厳しい経済情勢から、生産性の向上のみが、企業存立の至上命令として強調され、そのかげで、保安上の諸要求は軽視されないまでも、最低線に止められる傾向が生じているのではないかという、一般的な危惧感も社会の一部にはあり、そうしたことを考えると、本件は極めて重要な意味をもつている事案であると考えられる。そのため過去、約二年余りにわたつて、審理の内容を事案の核心にふれたものとし、真の爆発原因を解明することができるよう、最大の努力を払つてきた。とくに爆発原因についての推論とその根拠について、鑑定人である、東京大学伊木教授、北海道大学磯部教授、早稲田大学房村教授、その他、多数の関係の専門家、の意見を聴くにあたつても、想定される、重要な問題で検討もれのものがないよう詳細な説明を求め、その意見聴取は一九回の多数回に及んだし、各鑑定人の意見が一方的な推論に終らず、真に争点ごとに、かみ合つたものとするため、最初に提出された伊木教授の鑑定書に対し、その批判が、その後提出された房村教授の鑑定書の中でなされたのに対応して、再度伊木教授に鑑定を依頼し、その際には、意見の対立を生じている事項を個別的に摘出し、その各項目についての詳細な説明を求めた。その後、房村教授から再反論の意見書が出されたこととあいまつて、両者の見解の相違が究極のところ、どこに存するか―証拠に対する読み方の違いなのか鑑定の基礎となつた資料の範囲の広狭の違いが影響しているのか―をかなり堀り下げて理解する効果もあつた。

さらにまた、こうした専門学者の意見を聴くだけでなく、爆発が生じた坑内を日々の職場としている現場関係者、すなわち、坑内員等組合や職員組合からも、卒直な意見を聴くことを試み、少しでも、事故原因の解明に役立ちそうな意見は広い範囲にわたつて拾いあげるよう手をつくした。。そして、これらの立証を当事者だけに委ねておかないで裁判所もとくに、積極的に介入し、特殊の事案ではあつても、疑問点を残さないように努力をしたつもりである。

しかしながら、以上の努力を重ねてきたにもかかわらず、本件爆発原因が自然発火であつたかどうかの核心の点を遂に明らかにすることができなかつた。そのため、自然発火であることを前提とした場合の会社側の保安措置の当否、注意義務違反の問題にも、入り得ないで終つたのである。近時産業活動の発展にともない、企業の内外に生じる被害、危険の防止、救済の問題が大きな社会問題とされ、これに対する対策の一つとして、罰則等の適用強化を求める声が強い。こうした議論は勢い具体的な事実の立証をはなれて罰則適用の有無のみを問題とする結果に走りやすい。しかしながら、この種の事件であつても、いやしくも罰則を適用して刑罰を科するためには、その基礎となる理由すなわち、本件についていえば、本件爆発原因が自然発火であることについて合理的な疑いをいれない程度に明確な立証を要することは、他の一般刑事事件の場合と変りはないことを忘れるべきではない。もとより、この種事件の原因立証には、通常の刑事事件には見られない種々の困難がつきまとつており、そのことを当裁判所も、本件において、十分に痛感した。しかし、結局、爆発原因が自然発火であるかどうかについて、立証が十分でない以上これに刑罰を科することはできないのである。本件審理の過程で罹災者の悲惨な状態に直接ふれた当裁判所として、同種事故の続発防止のため、この際、特に強調しておかねばならないことは、事故防止のためには、罰則強化というような、形式的な対策だけでは不十分であつて事故原因の検討究明を行ない、必要ならば、いつでも罰則を適用するのに十分な明確な立証をなしうるだけの物的設備とこれを駆使しうる専門職の充実を図ることが実践的には、はるかに重要だということである。罰則をいくら強化しても、これを適用しうるだけの立証を検察官側においてなしえないようでは罰則も殆んどその効果がない。そして本件はまさに、そのような一場合であつたと言つて差し支えないであろう。もとより、この種事件の性質上事故防止対策として、罰則がはたしうる役割りは、実際には世間が期待するほど大きな効果をのぞみえないかも知れないが、そもそも、罰則適用に必要な、右のような配慮がなされているのでなければ、罰則はその限られた効果すらはたし得ないで終わることになるのではないかと、危惧されたのである。

以上述べたとおり、被告人宮崎義一、同和田秀雄に対する各業務上過失致死傷の罪については犯罪の証明がなかつたことに帰するので刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をなすべきものである。

そこで主文のとおり判決する。

(渡部保夫 秋山規雄 大津千明)

別紙1 死亡者一覧〈省略〉

別紙2 受傷者一覧〈省略〉

別紙3 最上区右方面図面

別紙4 炭層等高線図〈省略〉

別紙5 右二・排気側目抜の変化

別紙6 右2・6尺添各目抜分析表

別紙7 パイロメーター測温表〈省略〉

別紙8 密閉観測管内外温度表〈省略〉

別紙9 一二月抜一酸化炭素分析値ならびに報告値表〈省略〉

〈別紙3〉

〈別紙6〉

右2・6尺添各目抜分析表(40年2月分)

年月日

採取

時刻

坑外気圧

分析結果

温度

密閉名

CO2

O2

CO

CH4

N2

管内

管外

40.2.2

0.30

725

4.0

1.4

0.002

74.4

20.2

25

24

12目抜

2

0.30

725

3.5

1.5

0.002

74.6

20.4

9

1.30

735

3.4

5.4

0.003

54.9

36.3

24

16

0.20

731.5

3.5

0.7

0.001

68.1

27.7

25

23

16

0.20

731.5

3.5

0.5

0.001

74.9

21.1

25

13.50

725

0.6

19.9

0.084

0.8

79.0

42.2.2

0.20

725

3.3

7.3

0.008

46.5

42.9

28

24

11目抜

2

0.20

725

3.8

3.6

0.012

63.9

28.7

9

0.20

735

3.4

6.4

0.008

54.1

36.1

27

16

0.10

730

3.8

1.8

0.006

61.9

32.5

28

23

16

0.16

730

4.0

2.0

0.004

66.5

27.5

25

13.44

725

5.5

5.9

0.244

43.4

45.2

24

40.1.13

3.50

727

4.8

2.0

0

69.3

23.9

26

22

10目抜

20

不明

不明

4.8

1.2

Tr

76.0

18.0

27

0.45

730.5

4.8

2.2

0.004

68.4

24.6

2.3

0.50

721

5.0

1.5

0.002

70.1

23.4

9

0.10

735

4.4

1.8

0.002

68.2

25.0

17

0.36

733

4.2

1.8

0.018

68.7

25.3

25

13.26

725

3.4

10.5

0.032

31.1

55.0

40.1.13

3.4

727

5.0

2.6

0

64.7

27.7

31

23

9目抜

20

不明

不明

4.4

3.2

0

60.6

31.8

27

0.35

730.5

5.0

2.0

0

67.8

25.2

2.3

0.40

721

4.5

4.5

0

60.1

30.9

10

0.25

727

4.8

2.2

Tr

69.1

23.9

30

22

17

0.20

733

3.6

8.0

Tr

49.5

38.9

25

13.19

725

5.0

3.6

0.295

59.5

31.5

40.1.21

4.50

730

9.8

1.0

Tr

11.1

78.1

27

23

本向10尺上添

26

0.15

731.5

10.0

1.2

0

9.3

80.5

21

4.50

731

9.8

1.0

Tr

11.1

78.1

26

0.15

732

10.0

1.2

0

8.3

80.5

2.10

0.10

727

10.8

1.2

0.002

9.0

79.0

26

25

13.09

725

5.2

14.3

0.123

2.9

77.6

30

24

40.1.13

3.30

727

5.0

2.2

0

65.3

27.5

23

22

8目抜

20

不明

不明

4.4

1.6

0

71.4

22.6

27

0.30

730.5

4.2

2.6

0

66.2

27.0

2.3

0.31

721

4.0

4.6

0

58.9

32.5

24

23

10

0.00

727

3.6

6.6

0

52.1

37.7

23

22

17

0.10

733

3.4

8.1

0

41.3

47.2

25

12.58

725

5.4

3.0

0.087

53.6

38.0

40.1.14

1.40

734

7.4

2.2

0

40.1

50.3

24

23

7目抜

21

4.40

730

7.6

1.8

0

41.5

49.1

28

0.25

737.5

8.0

1.0

0

37.5

53.5

2.4

0.30

727.5

7.8

0.8

0

47.5

43.9

11

4.20

729.5

5.0

10.4

0

14.9

69.7

21

21

18

0.30

735

5.2

11.0

0

8.0

75.8

25

24

25

12.51

725

8.8

4.6

0.032

14.2

72.4

24

23

40.1.14

8.6

2.0

0

35.8

24

23

6目抜

21

4.35

730

8.4

1.4

0

38.1

52.1

28

0.35

737.5

0.2

20.8

0

0.8

78.2

29

4.00

731

8.0

2.0

0

34.8

55.2

2.4

0.20

727.5

8.4

1.4

0

39.4

55.3

11

4.10

729.5

6.8

5.2

0

32.1

55.9

18

0.20

735

3.8

15.0

0

3.7

77.5

26

24

25

12.44

725

3.3

15.5

0.066

2.8

78.4

24

23

年月日

採取時刻

坑外気圧

分析結果

温度

密閉名

CO2

O2

CO

CH4

N2

管内

管外

40.1.14

1.10

734

9.4

1.8

0

45.4

43.4

28

22

5目抜

21

4.30

730

9.4

1.0

0

47.4

42.2

28

0.45

737.5

9.0

2.0

0

46.0

43.0

2.4

0.10

725.5

7.2

5.4

0

36.1

51.3

26

11

4.00

729.5

8.2

2.2

0

41.2

48.4

28

23

18

0.10

735

5.4

9.4

0

14.6

70.6

24

25

12.21

725

5.8

7.2

0.494

16.7

70.3

30

23

(備考) (1) ガス分析成績綴(昭和43年押第144号符号23)による。

(2) 4目抜以下については関連性がうすいので省略した。

(3) 赤線部分は論告で主張している点。

(4) 青線部分は起訴状で主張したが,論告では放棄している点。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例